植木への水のやり方
会社で植木に水をやっていた。
ペットボトルに入れた水を、土のところにジャバジャバと。
枝や葉にかけたり、土全体に満遍なくかけたりはしなかった。
そうしたら隣にいたアルバイトが声を掛けてきた。
「え〜、土全体にかけて、枝や葉っぱにもかけてあげた方がいいですよ。」だって。
俺は「かけてあげる」という言い方がそもそも好きではない。
「〜してあげる」って、植木は赤ちゃんか。
まぁ、それはいいとして、俺が気になったのは土全体に満遍なくかけたり、枝や葉っぱにもかけてあげなきゃというその気遣いだ。
もちろんその方が良いのはわかってる。
でも俺はあえてそれをやらないんだ。
だって雨が自然に生えている木に気を遣って「ちゃんと満遍なく水がかかりますように。」なんて雨を降らせるか?
上からドバーッと浴びせて、後はお前らで何とかせいというスタンスだろ?
確かに上から降ってくる雨が枝にかかり葉にかかり、それが土に落ちて...という一連の流れは自然が生み出した必然かもしれない。
必然であれば俺も植木にそのようにやるべきなのかもしれない。
でも俺には持論がある。
植木だってそんなヤワじゃない。
そもそも木のつくりを考えてみてくれ。
木には根っこがある。
そこの一部に水が浸透すれば、そこから各根っこに木が自分で考えて水分を配分し、それを枝に送り葉に送る。
木を馬鹿にしちゃいけない。
そんなことは当然出来るに決まってるんだ。
それを過保護に「あ〜ら、こっちの土には水がかかってないでちゅね〜。ほ〜ら。」なんて甘やかしは、木に対して失礼だ。
よく爺さん婆さんに赤ちゃん言葉で話しかける奴もいるが、あれと同じだ。
あれだって失礼だ。
自分より年配の方に対して赤ちゃん言葉で話しかけるだなんて、相手は大人だから余計なことは言わないかもしれないが、その昔、ちょっと気性の激しいお方だったら言い返されるぞ。
「俺は赤子じゃねぇ!」ってな。
つまり木だって赤子じゃない。
そんな過保護に水をやることは失礼だ。
だから俺は大胆にドバーッとかけるに留めているんだ。
それは俺なりの植木への敬意だ。
アルバイトは相変わらずご丁寧に植木に水をあげている。
まぁ、君の心優しい気持ちもわからなくはない。
そんなことにいちいち目くじらを立てる俺は未来の老害かもしれないな。
今回は大人しくアドバイスに従っておこう。
「は〜い、お水でちゅよ〜。」
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