大切な人を看取るときがいつか来るとしたら、最期に何と伝えるだろう
10年前の冬、自宅で父を看取った。
1年半ほどの在宅介護を経て、最期のときは私と夫が側にいることができた。
余命は数ヶ月前から伝えられていた。覚悟はしているはずだった。
それでも実際にそのときが来たら、想像していた静かな気持ちとはまったく違う、何か激しい衝撃のようなものにおそわれた。
私は何も声をかけられず、ただ、弱くなっていく父の手首の脈を感じていた。
「ほんなら、またな!」
これが父からもらった最後の言葉だった。
ある週末、いつものように実家で夕飯を共にし、帰り際にかけ