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#音楽 記事まとめ

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楽曲のレビューやおすすめのミュージシャン、音楽業界の考察など、音楽にまつわる記事をまとめていきます。
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2024年7月の記事一覧

本気で選んだ最も偉大なアーティスト ランキング 〖前編〗TOP100~51

○傍若無人なローリング・ストーン誌ここ数年ローリング・ストーン誌はかつて自分たちが定めてランキングを改訂しているが、その選定基準は疑問に思うばかりだ。なにせ、バランスがグチャグチャなのだ。今まで保守派を貫いた反動で、過度に伝統的な名盤やアーティストを下げ、その空いた枠をこれまで過小評価を受けてきたミュージシャンが埋める形になっているため、「エリック・クラプトンが偉大なギタリストTOP30に入らない」「Hey judeが偉大な曲TOP50に入らない」という流石にやりすぎじゃない

矢野顕子のミディ作品が、全世界サブスクリプション解禁!

2024年7月25日(木)、矢野顕子がミディ(MIDI)よりリリースした、全13作品がサブスクリプション解禁となります。坂本龍一との共同プロデュースで制作された『ごはんができたよ』(1980年)や、リック・マロッタ、デヴィッド・スピノザ、ウィル・リーなどの名だたるミュージシャンが集結し、NYで録音された初のセルフプロデュース作『ト・キ・メ・キ』(1978年)、YMOのメンバーや大村憲司も参加し、「ラーメンたべたい」がシングル曲として話題になった『オーエス オーエス』(1984

「"音楽"と"パンク"とは人それぞれ意味が違う」 Interview with Ryan, 2013 (Meatcube Label, ex.Cease Upon The Capitol,Sanctions)

この記事は2013年に行ったMeatcubeレーベルを運営し、Cease Upon The Capitol,Sanctionsのメンバーでもあったライアン氏にインタビューしたものをリライトし公開したものです。日本への愛の溢れるコメント、そして音楽を世界にシェアしていこうとする行動力に心からリスペクト覚えました。 3LA : レーベルを始めたのはいつですか? Ryan : もともとディストロを始めたのは2003年、枚方にある関西外大での留学を終えてアメリカに帰った後だね。

世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件:The fact that Shibuya is not the city with the most record stores in the world

世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件 「世界で一番レコード屋の多い街は渋谷」とよく言われてきた。「ギネスブックにも載った」とも言われてきた。しかし、そのギネスブックの記事をいまだに見たことがない。私の検索方法が悪いのかもしれないが、あれば見てみたいものである。 そこで実際に1991年から2023年まで「レコード+CDマップ」で国内のレコード店密集地域の店舗数で調べてみた。(1990年、2006年無し、2014年以降隔年) すると、2000年、2001年の新宿エリア(

ご褒美みたいなライヴ/ Ravyn Lenae「One Wish」

(8月1日のジャム&ルイスの大阪公演に行かれる方は、壮大にネタバレしてますので、ご注意ください) 7月はこの日のために生きていたと言っても過言ではありません……ジャム&ルイス、キャリア40年以上にして初のリーダー来日公演!!! 私がチケットを取ったのは初日、7月28日のセカンド・ステージ。場所はビルボードライヴ東京。 この日のためにライターの林剛さんがXにアップしていたジャム&ルイスのライヴの動画を観たり、林さんのプレイリストを聴きまくったりして(林さんに頼りまくっている

ぼくのゴス・ライフ in the 80’s!!

先月発売されたグラビア誌『BUBKA 8月号』の吉田豪さんの連載ページ『what’s 豪 ing on Vol.18』に僕のインタビューが掲載されたのですが、読んで頂けましたか? 豪さんにはこれまでも何度か取材をして頂いた事がありますし,2年前に『TEA』のアナログ盤をリリースした際に早期予約特典として作ったZINEの中でも、僕の10代〜20代にかけての音楽遍歴をかなり突っ込んで取材してくれましたが、今回のBUBKAはそれを上回る掘り下げっぷりなので、ぜひ読んで頂きたい!

¥500

私が私であることを誇る――1990年代の渋谷と華原朋美

1990年代の「アーティスト」  1983年生まれの僕が渋谷に行くようになるのは、高校生になって以降の2000年代であり、1990年代に渋谷で遊んでいたことはない。したがって、よく言われるようなナイキのエアマックスと援助交際に彩られた渋谷という街は、テレビのニュースで観るような、あるいは映画『ラブ&ポップ』などで観るような、画面越しのものでしかなかった。  もっとも、エアマックス狩りのようなことは自分の中学校でも起きていたし、偽造テレフォンカードもコギャルも身近に存在してい

2024年のフジロック・フェスティバル雑感

 2024年のフジロック・フェスティバル、今年は、7月25日(木)の前夜祭から行った。  いつも、(カネをケチるために)軽のワゴンのレンタカーを借りて、40代50代のおっさん4人で、隙間という隙間に荷物を詰め込んでギュウギュウになりつつ苗場に行く。誰もクルマを持っていないのが、さすが自分の周辺だと思う。あと普通に運転に慣れているのが俺だけ、というのも同様、なのだが。  その4人のうちのひとりであり、撮影機材が重いので誰よりもクルマで行くことを望んでいるカメラマン岸田哲平が

最先端を追い求めなくても新しいサウンドは作れる(Nicholas Payton)

ニコラス・ペイトンといえば、1990年代ごろだろうかトラディショナルなジャズ(ニューオーリンズ風の)や、ちょっとウィントン・マルサリスのエピゴーネンのような作品をリリースしていた記憶があり、私自身も1990年代に一二枚アルバムを買って聴いていただけで、その後ノーマークだったのだ。 昨年、YouTubeを見ていたら突然ニコラス・ペイトンの動画が上がってきていて観ていたら、これがカッコよくて、すぐにアルバムを購入して聴いた。 私が知っていたニコラス・ペイトンはBachのストラ

DAWN N°3「HARDCORE特集」~HARDCOREとは?~ 序文ノーカット完全版 by Mizutamaxx

7/11に発売となるインディペンデント・ストリートカルチャーマガジンDAWNの最新号N°3にて、日本国内におけるNYHC影響下のコミュニティ/シーンにフォーカスした特集が組まれました。 ▼ご購入はコチラ https://dawntokyo.buyshop.jp/ DAWN側とも相談を重ねつつ、今回焦点を当てている国内ハードコアのコミュニティ黎明期である90年代~現代までをできるかぎり網羅するべく、編集などお手伝いさせていただきましたが、かなりのページ数や記事のボリューム、

JASMINE @BLUE NOTE PLACE(20240712)

 笑いや涙を添えながら、魂の声を響かせた一夜。  3曲目の「BADASS」を歌った後、開口一番「デビューして15年経ちました!」とオーディエンスに語り掛ける。時の流れは早いもので、2009年のデビュー時には、自身も大いに影響されたという宇多田ヒカルと比較されるなど、次世代を担うR&Bシンガーとして注目されていたのも今は昔。1stアルバム『GOLD』の冒頭曲「PRIDE」で“I was born in the Heisei / First year of the Heisei

interview Àbáse "Awakening":ベーシストが僕を見て「Sun Ra!」とだけ言ったんだ

ハンガリー人のアバセはずっと旅をしているようなアーティストだ。ハンガリーでの活動を経て、ブラジルに渡り、アフリカ系ブラジル人のコミュニティに入り込んで音楽を作ったと思ったら、ベルリンに移住し、また新たな音楽を模索し始めた。 当初、彼の名前が局地的に話題になり始めたころ、『Invocation』のアフロビートの印象があった。 ヨーロッパから現代ジャズを経由した謎のアフロビート・プロジェクトが出てきたと思っていたら、オーストラリアのドラマーのZiggu Zeitgeistとの

¥300

橋本徹(SUBURBIA)×山本勇樹(Quiet Corner)『Seaside Chillout Breeze』特別対談

V.A.『Seaside Chillout Breeze』 海辺でチルアウトしながら心地よい風を感じるようなとっておきの快適音楽を集めて山本:「Chillout Breeze」というタイトルで、新コンピ・シリーズが始まりますね。 橋本:そうですね。「Incense Music」シリーズと同じく、FJDのアートワークとCalmのマスタリングですが、コンセプトは違っていて。もともと「Incense Music」のリリース・レーベルのオーナーからオファーを受けたときは、僕が20

【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」

戦前の音楽史やレコードに関しての書籍や資料はたくさんあるが、日本のレコード屋の歴史を研究した書籍はほとんどないと思う。特にレコード誕生から戦前の中古盤屋の歴史を調査した本は見たこと無いし、調べている研究家も聞いたことがない。たぶん需要がない。 長い間「はて、日本で一番最初の中古盤屋や輸入盤屋はどこなんだろう?」とずっと思っていた。しかしネットには情報が非常に少ないし書籍も少ない。 「自分の生業の歴史」も知らないのは悔しいので、仕方なく時間のある時に少しづつ調べている。