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言葉の贈り物。

本日は、筆者がプレゼントされた言葉を皆様にも贈りたい。

最近では携帯が普及してすっかり手で文字を書く人が減ってしまった。
それがものすごく悲しい。

とにかく手紙が大好きで。

幼稚園くらいの頃から今も続けてる大好きなこと。

ポストに突然届いた封筒を見つけた時の喜び。
封を開けるまでのワクワク。
何かしらの癖があったり、小さく可愛く丸まっていたり。
書いた人を表す文字やこだわりの見えるレターセット。

手紙でしか受け取れないものがたくさん詰まっている。

これまで友達に限らず、学校や塾で特にお世話になったり、仲の良かった先生にも手紙を書いてきた。

直接言葉を伝えることは、どれほど仲の良い教師でも自分の性格上難しいことだった。

自分を知ってもらうには、どう思っていたか知ってもらうには、“手紙”という場所しかなかった。手紙の中では自分が自分らしく、思うまま素直なまま言葉にすることができる。

自分の性格は非常にややこしい。

笑ったり怒ったり、感情表現することが得意ではない。
特に、いつからか、なぜなのか自分でもよくわからないが笑うことが苦手だと感じていた。だからこそ、今もそうだが昔はもっと性格に限らず表情や考えも読み取りにくい人物だったと思う。

よく学校では家庭訪問があるが、後に聞いた話、何を考えてるかわからないからどんな生徒か教えてくれ、と親に直接聞いてきた教師がいたほど自分は分かりにくい。

そんな中でもやはり自分のことを見抜いたり、わかってくれる人はいた。

その違いは相手を知ろうとしているか、していないか、のように思う。

でもそれって簡単なことじゃないとも思う。
やっぱり目立つ人の印象がどうしても強くなって、おとなしい人間の見える部分は薄くなる。

それでもそういうところで、見よう、知ろうとしている努力は伝わるもの。

言葉をくれたその人は、きっと誰も取りこぼすことがないように、一人一人と向き合っていてくれていたように思う。

自分は本当に身近な人としか話したり、笑ったりしないし、授業中も当てられない限り喋らない、いわゆる“真面目”とか“おとなしい”とか言われる地味で目立たない人間だった。

それなのにその人は、授業中だけではなくて、休み時間に友達と過ごしている姿や他の行事での頑張る姿も知ってくれていた。

そして何よりそうしてみてくれていたことを言葉にして届けてくれたことが嬉しかった。

そんな人に言葉を届けたら、倍にして想いを届けてくれた。

大人になるまでに出会う嫌なこと、辛いこと、しんどいことは全て自分の肥料になる。嫌なことをひとつ乗り越えるたび、ひとつ素敵な自分に成長していく。失敗したら失敗した人の気持ちの分かる人になれる。

この言葉をいただいてから時が経って、昔よりもほんの少し色々な経験をして、今この言葉の意味がわかってきているような感じがしている。

今こうして思い出してみると、ただ思っているだけじゃなくて、その想いを言葉にして届けることも大事なことなんだろう。

自分の中にあたためている誰かへの特別な気持ちは、やっぱり自分の文字にこめてほしい。きっとラインやSNSだけでは伝わらない想いも届けてくれる気がするから。

これを読んでくれたそこのあなたにも、
時にはここを飛び出して手で文字を書いてみてほしい。


その時間があなたにとってきっと豊かなものになっているはずだから。

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