大きな木
のたりのたりのなまけもの 2021.10.26
日曜日、広島の母から写真が送られてきた。
一体これはどこだろうかとよく見てみると、
実家から歩いてすぐそこの、
あの空き地ではないか。
とても大きな木があって、
その木は鳥たちのお宿になっていて、
周りには様々な草花が自由に生い茂っていて、
横の道を通るたびに、その木を見上げていた、
あの空き地だ。
その大きな木は、
きっと私が生まれる前からずっとそこにいて、
ここで暮らす生き物たちをずっと見てきてくれていた、
守り神のような木だった。
小さな写真の中で、
私が見慣れていたその風景は、
地面に広がっていた緑たちが蹂躙され、
重機の痕がある殺伐とした姿に変わり果てており、
その神様みたいな木が、
いくつかの短い丸太となって、
生々しい白い切り口を露わに、
ごろんところがっていた。
やるせない怒りと哀しみが込み上げてきて
胸が張り裂けそうになった。
そこの土地は誰かのモノで、
そこの木も草も土も、それらをどうするかは、
その所有者の自由だ。
それはわかっているけれど、
ずっとそこに生きていた木を人の勝手で切ってしまうなんて、
あんまりじゃないか。
突然棲家を奪われた鳥たちや虫たちは、
どこに行くのだろう。
私が生きてきた世界の一部が切り落とされてしまったような喪失感が、
じわじわと押し寄せてきた。
その空き地には、
昔ながらの古い平家が一軒あり、
小さくて細くて色白のおばあちゃんが暮らしていた。
お庭や畑をいつもされていて、
小学校の帰り道にいつも優しい声で「おかえり」と言ってくれた。
いつの間にかおばあちゃんはいなくなり、
お庭や畑は瞬く間に緑に覆われ、
人が住まなくなった家には、
野良猫が暮らし始めた。
そして、
いつの間にかそのお家はなくなり、
そこは雑草が生い茂る緑の空き地となった。
しばらく広島を離れ、何年も経ち、
私が生まれ育った町の景色はずいぶんと変わっていった。
山の上には大きな団地ができ、
古い空き家は次々と解体され、野良猫もいなくなり、
田んぼや畑は整地され集合住宅が立ち並び、
川底や石垣はセメントで固められ、彼岸花が咲かなくなり、
いつの間にか信号ができてコンビニが姿を現した。
幼い頃に、
秘密基地を作った大きな岩がゴロゴロあってカヤが生い茂る空き地も、
幼馴染のまーくんと一緒にカラスの卵を食べた松林も、
お弁当を持って、母と姉と一緒に息を切らしながら向かったどんぐり山も、
カブトエビやおたまじゃくしを取った田んぼも、
蛍を見に行った川も、
みんなみんな、なくなってしまった。
今はもう私の心象風景の中にぼんやりと残っているだけだ。
そんな風に、私が大人になるにつれて、
見える景色がどんどん移り変わる中でも、
その木はずっとそこで生きていた。
そして親になった私は、坊と一緒に、
大きくなったその木を、見上げてきた。
私と坊が生きる景色の中にも、
その大きな木はいつもそこにいた。
だからその木がまさか切り倒されていなくなってしまうなんて、
私は考えてもいなかったのだ。
せめてその大きな木だけでも残しておくという選択肢はなかったのだろうかと、
考えてもどうしようもないことを悶々と考えてしまう。
コスタリカだったら、
その大きな木を切るということはないだろう。
その大きな木の周りにお家やお庭を作るだろう。
私が暮らすこのコスタリカの小さな町は、
そこら中に植物が生い茂り、
周りにはそれはそれは大きく立派な木々がたくさんある。
森のような場所の中にお家があったり、
家の周りの柵や壁は植物で覆われていたり、
大きな木を囲むようにガレージが作られていたりと、
木と鳥と虫から、土地を分けてもらって、
そこに人が暮らしているようだ。
この町に暮らし始めた時に、
なんだか懐かしい気持ちになったのは、
小さな私が見ていた世界が、目の前に投影されたように感じたからかもしれない。
コスタリカの大きな木たちは、
太く高く伸び上がった幹の先に、
大きな枝を自由に広げ、
豊かな葉を風に揺らしながら、
どっしりと立っている。
坊は、そんな木々の下を日々、走り回る。
広島のあの大きな木も、こんな眼差しで、
そこに暮らす生き物たちをずっとみつめてくれていたのだろうなぁ。
そう思うと、広島を離れる前に、
せめてお礼の一つでも伝えておけば良かったと
胸が詰まる。
次に広島に戻った時、
私の見る景色の中に、あの大きな木はもういない。
そして、
今どんなにあの木を惜しんでいても、
そのうちきっと、
あの木の姿は、
心象風景の中にたまにふっと浮かび上がるだけになっていくのだろう。
だから今、
目の前に生きている大きな木々を見上げながら、
切に願う。
坊の生きる世界に、
坊の見る景色に、
大きく優しい木たちが、
ずっとずっといてくれますように。