noteコメントの善と悪~善(4)会話のトレーニングになる
■コメントを瞬時に返す
私は、
他の方のnoteにコメントする際、
あえて
「相手の話した内容を瞬時に把握して
瞬時に返す」、
会話のような送信を目指している。
「noteコメントが
会話のトレーニングになる」
というのは、
そんなコメント返しの効果を言う。
人と言葉のやりとりをするとき、
リズムを損なわない返しが
会話を盛り上げるが、
「相手の話した内容を瞬時に把握して
瞬時に返す」コメントは、
神経細胞間での信号(情報)の
「伝達速度」を上げ、
相手からの情報を認識して理解し、
反応を生み出す
「認知処理速度」を磨く。
と、勝手に思い込んでいる私は、
少なくとも、noteを読んで
瞬時に浮かぶ言葉と出合うのが楽しい。
それが脳に好影響があれば(あくまで、あれば)
加齢対策にもなる。
■マナーを守るのは会話と同じ
もちろん、
思い浮かんだらそれを
書いてそのまま
送信するのが
危険なのは言うまでもない。
ハラスメントチェックは、
もちろん重要だ。
(1)気分を損ねない
こちらにその気がないのに
違う意味に取られたり、というエピソードは
他の方のnoteでもよく目にする。
だから、相手の気持ちをインスタントに
推し量って、場合によっては
最初に浮かんだコメントをやめて
違う内容にすることもある。
卑下したコメントのはずが、
相手のnoteを否定したように取られて
誤解を与えてしまうこともあるため、
そもそものコメントの発想から
ポジティブな感覚に努めねばならない。
「発想」と言えば
取材で特に使うのが、
こんなテクニックだ。
(2)勝手に構築した答えをぶつける
相手の話した内容が分からない場合、
私の想像で解釈して
「それは〇〇〇〇みたいな
ことですか?」と相手に返す、ことがある。
このとき、返した内容がズレていても、
相手は「いや、そうではなくて」と
説明してくれるのが常道なので、
より正確に発言を具体化できる。
このステップは、一般的な会話でも使うし、
noteコメントでも、もちろん使う。
こんなやり方を使うことで、
瞬時に浮かぶ言葉と出合う
面白さがふくらみ、
コメントに遊び心が
生まれる。
また、あまりに熱くなり過ぎてはいけない。
(3)一方的な持論はほどほどに
と書いた。
特に政治ネタだと、つい自民党政権批判を
コメントしてしまう私に
「一方的にコメントしない」
などと断言できるわけがない。
だから「ほどほどに」と書いた。
持論もいいが、その方のノートに
関わることを書くのは
最低限のマナーだ。
「スキ、フォローお願いします」だけで、
noteへの感想がゼロなのはいただけない。
スキやフォローのお礼だけで、
やはり内容に言及しないのも、
失礼な気がする。
そして、
これは既に書いているが、
批判コメントは
禁止にしてもいいとさえ思っている。
【noteコメントの善と悪アーカイブ】
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