こころのプロムナード(10月14日更新)
(2024.10.14)
今晩10月14日の夜、BS松竹東急で『本陣殺人事件』が放映されます。無料放送では、私の記憶では初めてです。下記の『望郷』に続いてBS松竹東急さんに感謝です。
(2024.09.02)
映画『サンダカン八番娼館 望郷』テレビ放映!
9月7日の土曜日の午後9時からBS松竹東急で、映画『サンダカン八番娼館 望郷』が放映されます。無料放送では、ものすごく久しぶりだと思います。私も山崎朋子さんの原作についての記事を書いています。興味のある方はぜひお見逃しなく!!
(2024.08.19)
日中、日韓の若いアスリート間の信頼関係が、戦争に対する認識のズレによって揺らいでいると聞いて心を痛めています。相互理解の難しさを感じるとともに、SNSの脆さを感じました。結びつきやすさは、切れやすさでもあるのでしょうか。
いずれにしても若い人の戦争認識が不十分というか、ともに被害者意識に偏りすぎて、戦争の真実の姿が見えていないのだと思います。特に日本は中国、韓国に対しては加害者の立場なので、より神経を使って物を言わないといけません。知覧という場所がどういう場所だったのか、東郷平八郎がどういう人だったのかを、もっと理解しておくべきだったと思います。
こういう段階を経て、お互いの真の心の交流が深まっていくことを願っています。
(2024.08.14)
noteの「ビュー」のカウントに、自分自身が見た回数も含まれると初めて知りました。(「スキ」が自分でもできることは知っていました。ただし1回限りですよね。)私は投稿した後も、読み返したり、修正を加えたりすることがあります。先日ほとんど見られなくなった記事をいくつか読み直したとたんにビューが増えたので変だなと思ったのです。試しに3回連続で同じ記事を開いたら、ビューも3つ増えました。時間差があるので意識して見ていないと気がつかないです。インチキができるとかそういう話ではなくて、ちょっとがっかりしたというか、こういう数字に一喜一憂するまいと思ってはいても、本当にどれだけの人が読んでくれているのかは気になりますから。
(2024.07.31)
きょうは私の68回目の誕生日でした。近所の床屋さんに行きました。終わってお金を払う時に「誕生日おめでとうございます。500円サービスさせていただきます」と言われました。そういうシステムになっているので、別に驚くわけもなく、むしろそれが目的で、もっと早く短くしたかったのを我慢してきたのでした。スタンプカードに生年月日が書いてあるので、気が付くようになっているのです。
もし、気が付かれなかったらどうしよう、自分から「きょう誕生日なんです」って言わなきゃいけないのかな、なんか恥ずかしいな、なんて心配していたのですが、向こうから言ってもらえて良かったです。店長さんに続けて他の店員さんも「おめでとうございます」って言ってくれるんです。「ありがとうございます」ってお礼を言うのは、ちょっと恥ずかしかったですが、やっぱり、嬉しかったです。
来年も500円引いてもらえるよう、一日一日頑張って生きて行こうと思います。神様仏様ご先祖様、きょうまでなんとか生かせていただいてありがとうございました。感謝します。
(2024.07.18)
いま、名古屋では大相撲の名古屋場所の真っ最中です。私も、女房と二人で16日に行ってきました。久しぶりで横綱が元気なのは頼もしい限りですが、以前から気になっていたのは、怪我人の多さです。休場を余儀なくされる大怪我の人以外にも、怪我を抱えている人は多そうです。体が大きくなっている分、倒れた時のダメージも大きいことでしょう。
相撲取りの場合、休場すると、それは負けと見なされ、番付はどんどん落ちて行ってしまいます。非常に気の毒です。
土俵の見直しをしたらどうでしょう。土俵をもっと低くする。もっと柔らかい素材にする。(柔道は畳、プロレスはマットです)怪我や病気になっても休まず、相撲を取りながらなおさなくてはいけない、というのはあまりにも酷な労働環境だと思います。
(2024.07.17)
私は自分でスポーツをするのが苦手ということもあるんでしょうが、スポーツというものが、心の底から好きにはなれません。敵と味方に分かれて戦うというあのシステムが。いくらいいプレーをしても、観客の半分は褒めるどころか、いやな思いをするんですよね。観客全員を感動させることはできないんです。その点音楽は、そのアーティストのファンの集まりであれば、観客全員を感動させられます。
政治はどうでしょうか。スポーツに近いのでしょうか、音楽に近いのでしょうか。少なくともポピュリズムはスポーツに近いと、私は思います。ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳されることが多いかと思いますが、私は、「支持者迎合主義」と訳した方がわかりやすいと思います。自分の政策を支持してくれる人は優遇する。その代わりに反対する人は徹底的に排除、攻撃する。相手の言うことには耳を傾けないどころか、相手に自分の意見を言えないように抑え込んでしまう。有権者を敵か味方に、完全に分断してしまうんですね。支持者は拍手喝采するわけです。でもこれは本当の民主主義と言えるでしょうか。過去を遡ると、こういうやり方がまかり通った時代があったような気がします。
民主主義の本場アメリカですら、ポピュリズムが幅を利かせている状態ですので、日本がその真似をするのはしょうがないかもしれません。大谷選手のように、敵に対してもリスペクトを忘れない精神を持った政治家は現れないものでしょうか。
(個人的見解です。ご不快を感じられましたらお詫びします)(2024.07.11)
タイトル写真を替えました。木曽街道の妻籠宿です。随分前の写真です。平成10年、1998年の6月です。あの頃はまだ若かった。山道もへっちゃらでした。(笑)
妻籠宿 つばめも宿借る 旅籠かな
(2024.07.10)
7月24日は河童忌 芥川龍之介の命日です。芥川ファンである私は、去年、両国国技館へ相撲見物に出かけた時に、芥川が少年期を過ごした回向院界隈をぶらつきました。芥川が好きだったという隅田川の水面を眺めながら、ホテルのテラスで朝食を食べられたのが、一番の思い出です。
「将来に対するぼんやりとした不安」を感じて、1927(昭和2)年に自ら命を絶った芥川。1929年昭和恐慌、1931年満州事変・・・と一気に戦争へと坂道を転げ落ちていく日本ですが、小説家の芥川にとって、自由な言論を拘束される治安維持法(1925(大正14)年)こそが、自分の将来に暗い影を落とす忌まわしい存在ではなかったかと思います。
『トロッコ』(1922(大正11)年)の最後の一節「塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一筋断続している。・・・」は芥川のその頃の心境と重なるものがあるように思えてなりません。
(2024.07.07)
やはり私の予想通り、日中戦争に関するメディアの報道(テレビ、中日新聞)は、私の知る限りありませんでした。何か新しい発見でもない限り、今後もないでしょうね。下世話な言い方をすれば、太平洋戦争に比べて日中戦争はあまり注目を集められないというか、視聴率を稼げないんでしょうね。被害者意識を刺激する「玉砕」「特攻」「原爆」が中心となるようです。
8月の11日は、「シベリア出兵」でウラジオストクに日本兵が上陸した日です。ロシア革命に対する各国の干渉戦争と言われますが、日本は各国よりもはるかに多くの兵(アメリカの10倍)を、より長い間(5年)シベリアに駐留させ、ソ連だけでなく、各国からも領土的野心を疑われ、非難を浴びました。シベリア抑留はその時の報復だとも言われます。まあ、何もなく過ぎていくでしょうね。
(2024.07.05)
フランスで極右政党が躍進するかと思えば、イギリスでは保守党から労働党に政権が移るそうです。フランスは昔から右から左への振れ幅が大きい国なので驚きもしませんが、驚かされるのはアメリカです。トランプがいいとかバイデンがいいとか言う前に、なぜもっと若い人が出て来ないのかが不思議です。年寄りも若い人に道を譲れよ、と言いたくなります。世代交代、新陳代謝は必要です。アメリカこそ、そういう国だと思っていたのに。それだけ世界が進むべき道を見失っているということなのでしょうか。
O型主導の製造業でガンガン経済成長を引っ張っていくやり方の弊害が地球のいたるところで噴出し、じゃあ、次はA型(保守 右翼)に任せるか、それともB型(革新 左翼)にやらせるかで、意見が分かれているように思われます。地球全体の問題なので、AよりBの方がいいと私は思います。ただし緊急を要します。
(2024.07.03)
きのう、『生きている兵隊』と『麦と兵隊・土と兵隊』に関する記事をアップしましたが、(両方とも日中戦争の初期を描いた本です)両方に共通して言えることは戦場の兵士たちが、軍歌に慰められていたということです。特に「戦友」と「露営の歌」が人気だったようです。歌の力、音楽の力は偉大です。
(2024.07.02)
サイパン島と言うと、最近はもっぱら観光地として人気の島ですが、戦争の歴史を辿っていると、この小さな島の存在は、ことのほか大きく扱われています。
1944年昭和19年7月9日、サイパン島は激戦の末、アメリカ軍に奪われました。もともとは第一次世界大戦の時にドイツから日本が奪った島(日本名 彩帆島)でした。
この島がアメリカに奪われたことによって、太平洋戦争は劇的な変化をすることになります。あの悪夢のようなB-29による本土空襲が始まるのです。B-29の航続距離内に入ったということです。日本の敗戦はこの時に事実上決まったと言っても過言ではないでしょう。
(2024.07.01)
固定記事の写真をまた替えました。愛知県新城(しんしろ)市にある四谷の千枚田です。以前、下記の『祖母の故郷』で使った写真です。撮ったのは、2012年ですので、もう12年も前です。6月で時季的には同じぐらいなので、載せてみたくなったのです。他の有名な千枚田に負けないぐらい立派な千枚田です。昔の人の苦労の結晶です。
(2024.06.26)
一週間も過ぎてしまいましたが、6月19日は太宰の命日、桜桃忌でした。先日書いた太宰のダウン症の長男のことは、この『桜桃』に書かれています。
(2024.06.23)
昭和20年の沖縄戦についてメディアが多少騒いでいますが、7月7日についてはどうなるでしょうか。7月7日は、七夕? 東京都知事選挙? たぶんそれ一色になるんでしょうね。
昭和12年の7月7日に何があったかという報道はほとんどされないでしょうね。その日は盧溝橋事件、日中戦争が始まった日です。加害者としての負の歴史に目を閉ざすようでは先進国とは言えないでしょう。
(2024.06.22)
障害について書いていますので、デリケートな部分に触れますことをご了承の上、お読みください。
先日投稿した記事「幸多からんことを・・・」の中で、作家の水上勉の『くるま椅子の歌』について触れましたが、実際、水上勉の子どもは障害を持っていました。それを書いたあとで思い出しましたが、太宰治の長男も障害者でした。
障害者は不幸なのか、という問いに対して私は何も答えられません。しかし、そうなることを望んで妊娠、出産される人はいないのではないでしょうか。
出産時の障害を避けるひとつの方法として、できるだけ若い年齢での出産、ということがあるそうです。私の個人的な意見で恐縮ですが、経済的不安もなく、子どもが障害を持って生まれてくる危険性の低い若い時期に出産することができ、社会的にも少子化の心配もなくなるような、そんな世の中になってもらいたいと願うものです。
(2024.06.21)
先日も書いたが、5月末に投稿した『山月記』の感想文のビュー数が異常な増え方をした。114編ある私の記事の中の第2位まで上昇したのである。1位は、最初からずっと不動のダントツの1位なので、それには及ばないが、短期間でよくぞここまで伸びたと驚いている次第である。
ほぼ同時期に5つの読書感想文をアップしたのだが、『山月記』以外の4つは低調で下位に沈んでいる。全部『山月記』に吸い取られた格好である。読んでいただけるのは嬉しいが、もう少しバランスよくならないものか。他の4編は『山月記』の四分の一以下のビューしか獲得できていない。書いた人間からすると、『山月記』に特別思い入れがあるわけでも、気に入っているわけでもない。5つの記事それぞれを、独自の視座をもって、書いたつもりである。『山月記』が飛びぬけて出来がいいとは思っていない。この現象が気に入らないとは言わないまでも、不思議なのである。
唯一、『山月記』が他の4編と違う点を挙げるとすれば、中島敦の『山月記』が小説として一番短いという点である。短いから読んだ人が多く、従って、私の読書感想文にも興味を持っていただいた、という可能性もなきにしもあらずかな、と推測する次第である。
いずれにしても読んでいただいた方々に感謝申し上げます。
(2024.06.18)
「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」長野県中野市出身の高野辰之が詠んだ日本のふるさとの代表的な風景が、今では災害を起こす危険な存在となりつつあります。山は大雨で崩れ、住処を無くした熊は人里へ下りてくる。川は小さい川でも、いつ洪水を引き起こすかわからない。悲しいかな、「ふるさと」は、もはや安住の地ではなくなっています。
昨夜から雨が降り続いています。梅雨入り間近とも言われていますが、その梅雨入りも例年より遅れているようです。水不足が問題になっているところもあるようです。暖冬での雪不足が雪解け水の不足につながり、それが農業用水の不足につながっているとか。
自然はみんなつながっているんですね。多すぎても駄目、少なすぎても駄目、過不足なく、バランスよくが一番のようです。そのバランスを壊してしまったのは人間なんですね。
(2024.06.16)
固定記事の写真を替えました。北斎の「尾州不二見原」通称「桶屋の富士」と呼ばれるものです。場所は、現在の名古屋市中区富士見町であろうという話です。私のマンションは名古屋の隣の豊明市にあります。天気がいいと、5階のベランダから遠く南アルプスまで望むことができます。その山並みの中に、小さな三角の山が見えると、女房に「きょうは富士山がよく見えるよ」と言うのですが、残念ながら、名古屋から富士山は見えないそうです。南アルプスの聖岳だそうです。
でも富士山は信仰の山でもありますから、信仰心を持っていれば、その人の心の中には、富士山がいつでも、どこからでも、はっきりと見えているのでしょうね。
(2024.06.11)
先日投稿した『山月記』の読書感想文が、意外に多くの方に読んでいただきました。(「スキ」の数ではなく「ビュー」の数)私の中では久しぶりの大ヒットとなりました。(笑)どこが受けたのかを考えてみました。『山月記』という古典に、血液型の観点から切り込んだところが、目新しかったのかと思います。それはそれとして、戦争を描く時に、被害者の視点で描かれることがどうしても多くなりがちです。アメリカからの被害者、軍上層部からの被害者・・・。しかし、加害者としての側面を忘れてはいけません。中国大陸では、日本は間違いなく加害者でした。『山月記』はそのことも訴えているのだと思います。
(2024.05.10)
久しぶりの更新となりました。前回書いた伯父は俳句が趣味でした。晩年は認知症が進んで、俳句は作れなくなりましたので、私が代わりに一句
筆あらば 何を語らん 春の雨
(2024.04.26)
今週は98歳の伯父の葬式でバタバタしました。葬式があると淋しく思うことがあります。それは身近な人が亡くなったということだけでなく、その死によって、親戚間の人間関係がまた薄くなっていくなあという淋しさです。私は長い間、親戚はいつまでたっても親戚だと思っていたのですが、違うんですね。親同士が兄弟という関係は変わらないにしても、その子同士はいとこになり、その子同士はまたいとことなって、だんだん血は薄くなり、関係も途絶えがちになり、最後は親戚関係を断つということにもなります。淋しい気もしますが、自然のなりゆきですから、しかたのないことなのでしょう。
(2024.04.17)
久しぶりに固定記事のタイトル画像を替えました。皇居お堀端から見た国会議事堂方面の写真です。去年の5月に東京へ行った時のものです。皇居を通り抜けて靖国神社まで歩きました。あの日は暑かった。靖国神社の食堂で、ゼロ戦を見ながら、アイスコーヒーと冷やしうどんで体を冷やしました。
(2024.04.08)
世の中は三日見ぬ間の桜かな、というが、前回の投稿から10日も間が空いてしまった。桜は好きだが、無理に書く気は起きなかった。そのせいで、ビュー数もスキ数も大幅にダウンした。
それはそれでいい。無理に書きたくもない物、書く値打ちのない物を書く必要はない。やはり私は自分の座標軸を常に傍において、自分の書きたい物だけを書けばいいし、また、それしかできない。目的地を見失ってはいけない。
(2024.03.27)
続・座標軸で青春と恋愛をテーマに書いたが、青春と恋愛はセットなんだと思う。青春のダイナミズムで外に飛び出し、そこで恋をする。内側への力が働くことで、外側へのダイナミズムが押さえられる。好きなあの子と一緒に暮らしたなと思い始め、腰を落ち着ける。
そんな恋愛とセットになった青春が、一番似つかわしい時代は、やはり高度経済成長時代ではなかったか。右肩上がりの経済、五輪、万博と世界に認められていく日本。まさに日本という国の青春時代であった。1970年の大阪万博が日本の成人式だったんだと私は思う。大人になると、責任を持たされ、苦労が増える。若者たちよ、頑張れ!
(2024.3.25)
吉田拓郎の『落陽』に「女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあの爺さん」という歌詞があります。『水戸黄門』にも丁半博打がやめられない男がよく登場します。私はパチンコすらほとんどやったことのない人間ですから、いわゆる「ギャンブル依存症」で、身を持ち崩すまでやらずにいられないというのは全く理解できません。水原氏が大谷さんまで、巻き添えにするのはやめてもらいたい。墜ちるなら自分一人で墜ちてもらいたい。家族はかわいそうですが・・・。
(2024.03.24)
記事のタグを大幅に増やしたら、ビューが増えました。
新しい記事以外は、ほとんど動きがなくて不満だったのですが、テコ入れをしたい記事のタグを思い切って増やしてみました。今まではキーワード的な言葉だけに絞っていたのですが、かなり甘くしました。すると目に見えてビューが増えてきました。全体的には増えていないのですが、新しい記事に集中していたものがバラけたという感じです。新しい記事の数が少ないということもあるでしょうが、私としてはこの方が嬉しいです。
ビューを増やしたいと思われている方、試してみられたらどうでしょうか。
(2024.03.22)
ダルビッシュ投手が、韓国でのドジャースとの開幕戦先発を務めた翌日の第二戦でもベンチ入りしていた。普通は休養のためベンチにも入らないのではないかと思いながら、テレビを見ていると、第二戦での中継ぎ登板を終えた後輩の松井投手と何やら熱心に話し込んでいる。身振り手振りで、アドバイスをしているようだ。今年アメリカにきたばかりの後輩のために、アドバイスをしたり、話し相手になってやろうと、休養日を返上してベンチ入りしたのではないか。私はそう思う。WBCの時も、若い選手たちに指導、アドバイスをするために、自分のアメリカでの調整時間を切り上げて、早々と日本に来て若手と合流したと聞く。いい人だ。
例の事件が発覚した後だからこそ、一層ダルビッシュと松井の笑顔が爽やかに見えた。
(2024.03.21)
なんともやり切れないニュースが飛び込んできたものです。水原氏の賭博問題です。詳しいことは知りませんが、水原氏もある意味、被害者だと思いたいですね。賭博業者が、水原氏をうまくそそのかして、大谷さんからお金を引き出すように仕向けた。水原氏には、全然お金は入っていないんですよね。犯罪は犯罪でしょうが、悪魔のささやきに負けてしまったということじゃないでしょうか。お金のあるところには、いろんな人間が群がってきますからね。夫婦でうまく乗り切って行ってほしいものです。
(2024.03.17)
資金力に物を言わせたM&A 買収というものは、どうも好きになれない。会社は株主の物なのだろうが、社員や経営者の気持ちを無視してもいいのだろうか。まさに食うか食われるか、経済界は弱肉強食の世界ということなのだろうか。日本人は本来そういうことが、あまり好きではないような気がするのだが。鵜の真似をする烏になっていると「虎の尾」ならぬ「トランプの尾」を踏むことにもなりかねない。
(2024.03.15)
大谷翔平さんの奥様が田中真美子さんであることが公表されました。まさにこの世の春、幸せの絶頂というお二人でしょうか。どうかお二人がシンボルとなって、若い人たちが、結婚に希望を持っていただけるようになってもらいたいものだと願います。
(2024.03.12)
卒業式といえば『蛍の光』です。『蛍の光』に幻の3番と4番の歌詞があるここをご存じでしょうか。以下wikipediaよりコピーさせていただきました。
3 筑紫の極み、陸の奥、 海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、 一つに盡くせ、國の為。
4 千島の奧も、沖繩も、 八洲の内の、護りなり。
至らん國に、勳しく、 努めよ我が兄、恙無く。
学校を卒業したら、しっかりお国のために、国防に励めというレールが敷かれていたんですね。日清、日露の戦争により、日本の領土が変わるたびに、歌詞が変えられていったというのも、興味深いです。
(2024.03.10)
3月11日に東日本大震災が起きたということで、3月10日が霞んでしまった感がありますが、3月10日は1945年昭和20年に東京大空襲のあった日です。一夜のうちに10万人の命が奪われたという大惨事です。去年女房と東京へ行った時に、東京都墨田区横網町の東京都復興記念館へ行きました。横網町の陸軍被服廠跡地は、関東大震災の悲劇の舞台ですが、空襲関連の資料もありました。以前震災と空襲に関する記事も書きましたので、よろしかったら、お読みください。
(2024.03.07)
きょうは内職の手伝いでゴム紐を25㎝の長さに7時間切り続けました。1日で4000本以上のゴム紐を切りました。女房と面と向かって。女房は、私が切ったゴム紐を1本1本タグの穴に通して結ぶのが仕事です。無念夢想、機械になったつもりでやり続けました。明日以降もまだまだ続きます。(2024.03.03)
大谷翔平さんが、お相手との交際期間に、同じビデオを、アメリカと日本で同時に見ていたらしいですが、あれは、ドラマ『北の国から』で、東京にいる純と北海道にいるれいちゃんがやっていたことです。遠距離恋愛をされている方は真似をされてみてはいかがですか。純とれいは別れてしまいますが・・・。
(2024.03.02)
私は寒いのが苦手です。ですから早く温ったかくなれと願っています。しかし、春が好きというわけでもないのです。大人になってからは、さほどでもないのですが、学生の間は、春が嫌いでした。4月は進学、進級の季節で、学校やクラスが変わったり、先生が変わったり、環境の変化の多い時期です。私は環境の変化に順応するのが遅いので、4月は嫌いなのです。健康診断も嫌いでした。4月は嫌な思い出ばかり。でも寒いのはもっといや。
(2024.03.01)
きのうお墓参りに行ったのですが、毎回帰りは江南市のスーパーでお昼を食べます。いつも決まってマックです。女房は必ずエビフィレオ。肉が嫌いなので普通のハンバーガーは食べません。そして、次の日の朝食用にミスドのドーナツを買いました。さらに、女房の夕食用にさぼてんのヒレカツ弁当を買いました。女房はヒレカツなら食べられるのです。加えて、女房の好物の苺の入った大きないちご大福を買いました。おまけに、缶入りのクッキーを2缶。その他もろもろで6000円の出費です。好き嫌いがいかに不経済か、よくおわかりいただけるかと思います。
(2024.02.29)
きょうは月1回のお墓参りに行って来ました。月1回ということに大した意味はありません。むかし読んだ本に月1回行くべしと書いてあったので、それを律儀に守っているだけです。葬式やお墓のあり方(結婚のあり方も含めて)がどんどん変わってしまって、私が若い時には想像もしなかった状況になりつつあります。これが時代の変化というものかと、空恐ろしくなる時があります。この先どこまで変わっていくんだろうと考えながら、お墓掃除をして来ました。
(2024.02.27)
きょうアップした「3月3日は桃の節句」で使った写真です。何の写真かわかりますか?ひなあられです。この袋の中にあられが入っています。袋は三角錐の形をしていて、4種類の絵が描いてあります。「お内裏様」と「お雛様」+三人官女のうち2人。残りの1人は別バージョンとして違う袋に描かれています。全部で7袋入りなので、「お内裏様」と「お雛様」を2組、三人官女を1組作れます。その3組を並べて適当に飾って、我が家のひな飾りは終わりです。181円なり!五人囃子はなし。
(2024.02.26)
朝、車のエンジンをかけたらナビが「きょうは2月26日。2・26事件の日です。」と言った。ちょっと嬉しくなった。今年、2・26関連のテレビ番組はほとんどない。先週、映画「226」をやったぐらいだ。去年はNHKが再放送も含めてたくさん放送したと思うが、新しい発見がないとこんなものかなと思った。
(2024.02.25)
きょう、深夜放送に関する記事をアップした。もし実際の(実際に近い)ものをお聴きになりたいという方がおられたら、you tubeでさがせば多少は出てくる。拓郎の新しいオールナイトニッポンならいくらでも出てくるが、古い1980年ごろのものとなるとかなり少ない。音も悪い。それでも当時の雰囲気はわかっていただけると思う。
(2024.02.24)
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」これは、かのチャールズ・チャップリンの言葉です。喜劇王と呼ばれ、また数多くの名作を監督したチャップリンらしい名言です。私たち一人ひとりが自分の人生の主人公である限り、どうしてもクローズアップで見てしまって、自分を悲劇の主人公に仕上げてしまいがちですが、悲しく、苦しい時こそ、自分を喜劇の主人公にして、悲しみを笑い飛ばしてしまうような鳥の視座を持ちたいものです。
(2024.02.23)
きょう「続・座標軸 数学編」という記事をアップしたが、私は数学が苦手だが、嫌いではないということを断っておきたい。特に座標軸を使うことによって、数学の勉強を通して、B型的思考法、センスが少しでも身に付くと思えば楽しいし、B型に対する理解も深まるのではないかと思っている。A型的思考に偏るのはよくない。
(2024.02.22)
以前、日本が戦争を回避できたかもしれない時期として、第一次世界大戦の終わった時と書きましたが、ちょうどその頃に幣原喜重郎という外務大臣が、協調外交を展開しているんですね。中国に寄り添い過ぎて、軍部と対立し、逆に軍部を強硬化させてしまったとして批判されたみたいですが、それはおかしいだろうと思いました。外交というのは、バランスが大事とは思いますが、信念も大事だと思います。「幣原外交」という名前は知っていたんですが、もっと勉強してみようと思っています。
(2024.02.21)
ウクライナの戦争も中東の戦争も収まる気配を見せない。
日本は戦争をしないという。それは大いに結構なことだ。(できれば、の話だが)自国が戦争をしないということは、他国の戦争も見捨ててはいられないということになるのではないか?戦争を阻止できるものと言えば外交だ。ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナの間に割って入って仲介役をしてみてはどうだろう?大変なことではあるが、それぐらいの使命感をもってやらないと、戦争を外交の力で回避することなどできないと思う。ましてや日本は島国で外交が下手なのだから。
岸田首相が北朝鮮へ行くかもしれないという噂を聞いた。AB型の岸田さんの本領発揮となってもらいたいものだ。
(2024.02.20)
この冬、初めて自分の部屋のカーテンを開けました。冬の間、エアコンをつけていないので、窓は厳重な防寒仕様にしてあるのです。きょうは暖かい。室温も20度に届きそうです。でも暖かすぎる冬は、雪国ではいろいろ困ることもあるんですよね。やはり夏はほどほどに暑く、冬はほどほどに寒いのがいいですよね。何事もバランスが大事です。
(202402.19)
先日のAB型に関する記事が、思いのほか、多くの人に読んでいただいて、AB型についてあまり触れて来なかったことへの反動かなと思ってみたりしていますが、AB型の、特に女性への朗報といいますか、ご存じの方も多いと思いますが、作家の太宰治がAB型なんですね。『人間失格』の「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」の一節に表れているような生命力の欠如、疎外感などは、Oの遺伝子を持たないことから来ると考えられます。太宰の人生を見ると、倫理観が強いんだか、弱いんだかわかりませんものね。AB型の典型と思われます。
(2024.02.18)
寒さもあと一息である。(北国の人 すみません)この冬、私の部屋は一度もエアコンをかけなかった。もちろん節電のためである。厚着と足温器だけでしのいだ。部屋の最低気温は11度台だったと思う。11度、12度だとさすがに手が冷たくなってくるので、手袋が必要になってくる。
保温のためには、キルティングの下着が一番である。キルティングの長袖シャツとズボン下は最強の保温グッズである。その上に可能な限りのフリースを重ね着すれ無敵である。ダウンは暖かいが、クリーニングにお金がかかるので、家の中では着ない。リビングもホットカーペットだけで乗り切った。洗濯物を乾かすために、2,3日かけただけだ。
その代わり、寝室はしっかりかける。寝る時から起きる時までずっとかけっ放しである。寝ている時は無自覚だから、知らないうちに風をひく。40代からの経験で夏と冬はエアコンをしっかりかけて安眠を心掛けている。
そんなに無理をしているという自覚はない。私が子どもの時はもっと寒かった。指がかじかんで字が書けなかったり、朝冷たい水で顔を洗うのは当たり前だった。その頃のことを想えば天国である。
(2024.02.17)
ボウリングが夫婦共通の趣味だと書きましたが、もうひとつ、夫婦で日課にしていることがあります。それはテレビで『水戸黄門』を見ることです。もちろん昔の再放送です。しかも1日に2本。テレビ愛知(テレビ東京系)で2代目西村晃版、BSTBSで初代東野英治郎版をやっているので、ビデオに録って、夕食中から夕食後の休憩の時間にかけて2本見ます。俳優の若い頃の映像を見ながら、「若いなあ」とか、逆に「由美かおるも年とったね」って言ったり、「また仇打ちの話か」とか「またニセ黄門か」とストーリーのマンネリを嘆いて楽しんでいます。
(2024.02.16)
岸田首相はAB型らしいです。AB型はもともと少ないですが、日本の首相にも少ないです。橋本龍太郎氏に宮澤喜一氏。宮澤さんと岸田さんがともに宏池会というのは偶然でしょうか。お公家さんの集団と言われた宏池会にAB型が多かったとしてもうなづけるかなという気はします。
(2024.02.14)
2月11日は建国記念の日。ピンと来ないね。
2月14日はバレンタインデー。関係ないね。
2月23日は天皇誕生日。関心ないね。
やっぱり私は2月26日が一番気になる。
(2024.02.13)
「大きくなったらなんになる?」と聞かれても、なりたいものが何もなかった私が、唯一なりたいと思った職業があります。それはシンガーソングライターです。自分で詞を書いて、自分で作曲して、自分で演奏して、自分で歌う。その歌で聴いてくれる人を感動させることができたら、どんなに幸せでしょう。でもそれは叶わない夢なのです。なぜなら私は音痴だからです。アカペラではなんとか歌えたとしても、カラオケはまったくだめで、演奏に声を合わせられないのです。
そんな私がシンガーソングライターに憧れたのは、吉田拓郎さんをはじめとした当時のフォークシンガーの皆さんの影響だと思います。今私がこうやって文章を書いているのも、せめて文章で彼らに少しでも近づきたいという思いがあるからです。音楽ができないなら、文章で人を感動させられないかという思いが・・・。最近、歌関係の記事を続けて書いていますが、歌を作れる人へのやむにやまれぬリスペクトの表われだとお笑い下さい。
(2024.02.12)
「的(まと)」は、「射(い)る」ものであって、「得(え)る」ものではありません。「まとをいる」という言葉を文字を見ずに音だけで判断したための勘違いが、やや世の中の定着しつつあるようです。意味が勘違いされて伝えられている言葉については、時々マスコミが取り上げていますが、聞き間違いもやってほしいですね。そのうち「やむを得ない」が「やむお得ない」になり、「やもうえない」になったりしそうです。言葉は生き物なので、それはそれでいいのだと思います。背に腹は変えられません。
果たして、的を射た話になったでしょうか?
(2024.02.10)
きょう女房と二人でボウリングに行って来ました。月に2回のペースで、1回に5ゲームします。きょうは私の1勝4敗でした。私の5ゲームのアベレージは157。私としてはまあ、普通。女房に負けても、全然悔しくとも何ともない。私の相手は私。少しでもスコアをよくするには、どう投げたらいいかを考えて投げています。しかし、女房は私との勝負にこだわるのです。負けるとものすごく機嫌が悪くなります。「なんで、気を使わんの!」とか「きょうは晩御飯作らん!」とか言い出す始末。私はA型、女房はB型。
負けて良かった・・・。
(2024.02.09)
「作詞家」は正しいが、「作詩家」はおかしい。「詞」と「詩」は違う。「詞」は歌の文句。「詩」を書くのは「作詩家」とは言わず「詩人」と言う。この私の考えは間違っているだろうか。最近(といってもここ20年ぐらいの間であるが)の歌は「詞」というより「詩」が多いかもしれない。ほとんどが一人称でメッセージ性が強いように思う。昔の歌は違った。3分間のドラマと言われた。登場人物がいて、舞台があった。時代も感じた。自分を表現するというより、他人を描写した。そこに他人への思いやり、優しさを感じた。今の歌にあるのは「わたし」、せいぜい「あなた」だけではないだろうか。(個人的見解ですので、ご不快に思われたらご容赦ください。)(2024.02.08)
「雪どけ水の せせらぐ音に 失くした物を 想い出します」
これは『桜前線』(作詞:麻生香太郎 作曲:徳久広司 歌唱:小柳ルミ子)という歌の歌い出しです。私はこの歌が大好きです。春が近づいて来るといつもこの歌を口ずさみます。「桜前線」というタイトルですが、「桜前線」とか「桜」という言葉は出てきません。それなのに初春の情景が目に浮かびます。主人公の女性が信州、瀬戸内、鹿児島と、北から南へ一人旅をします。そして、たぶん鹿児島あたりで桜前線に遭遇するという設定の、1976年に作られた歌です。この女性は田舎から東京へ出てきて、男に混じって東京の競争社会で一生懸命働いて、心も体もすり減らしてしまったのでしょう。旅先で、忘れかけていた自然とのふれあいや人のぬくもりに接することによって、心を癒していくのでした。私もそんな旅がしてみたい・・・。
(2024.02.07)
「やってみせ 言ってきかせて させてみて ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず。
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず。」
有名な、というか知る人ぞ知る 山本五十六の言葉です。上杉鷹山の影響を受けたとも言われていますが、私の好きな言葉です。教育とか、指導するに当たっての心構えとしての要点を的確にとらえていると思います。主体的に動いてくれるのが一番でしょうが、そうでない人間の主体性をいかに引き出すか、という時の指針になると思います。
(2024.02.06)
初投稿から1か月弱、きのうビュー数が3000を越えました。1日100ちょい。これが多いのか少ないのかよくわかりません。少なければ淋しいから、多い方がいいのかなとは思いますが、多くてもどれだけの人が本当に読んでくれているのかわからないし、こういう数字に一喜一憂する必要はないと思いながらも、ついつい見てしまいます。
投稿する前は自分の書いたものを公開するのが、ひとつの目標でしたが、いざそれを実行してみると、何か空虚な感じにとらわれています。自分がしたかったのはこんなことだったんだろうかと。自分の人生を振り返ってみれば、そんなことばかり。現在の自分を「文学青年のなれの果て」などと言う時がありましたが、そもそも自分は本当に文学が好きなのだろうかと疑問に思う時もあります。大学の時まで文学に興味はありませんでしたから。この先も何をやれば充実感を得られるのか甚だ疑問です。「後世に残るようなものをひとつだけ書けたら」という願望を持ってはいるのですが、それもどこまで本当だかわかりません。
このコーナーのタイトルを「こころのプロムナード(散歩道)」から「こころの迷い道」に変えようかなと思っています・・・。(苦笑)
(2024.02.05)
きのう女房が、晩御飯に麻婆茄子をやろうと思って、冷蔵庫から1月30日に買った茄子3本を取り出したら、3本とも傷んでいて食べられない状態でした。持ちがいいとか、悪いという話は別として、食品ロスをしてしまいました。
2月3日の節分には、我が家も恵方巻を買ってきて食べたのですが、売れ残った分はどうするんだろうなあ、クリスマスケーキはどうしたんだろうなあ、って、まだ食べられる物が、廃棄処分されるのを想像するだけでも、つらいものがあります。家畜のエサになるのでしょうか。むかしは残飯屋って商売があったそうですけど、食品の無駄な消費はできるだけ避けたいものです。
(2024.02.04)
「春は名のみの風の寒さや(早春譜)」肌寒い立春の朝となりました。
さて、きょうは本当に気ままに適当な話をします。最近また新しいゴジラ映画ができたようですね。まだ見ていませんが、評判がなかなかいいみたいですね。私も怪獣映画は子どもの頃から大好きで、たくさん見てきました。 そこで最近ちょっと考えたことがあります。ゴジラにしろガメラにしろ初登場の時は人類の敵だったのに、いつのまにか味方に変わっているんですね。そこで考えました。ゴジラとはアメリカではないかと。太平洋戦争では日本の前に立ちはだかり、原爆、放射能という恐ろしい物をもたらした敵。それが戦後急に親しくなって、当時の東側の脅威から日本を守ってくれる頼もしい味方に変わった。どこか似てませんか?
ではゴジラのライバル、キングギドラは何か?キングギドラはソ連ではないか。当時ソ連は3頭立てのトロイカ体制といって、マレンコフ、フルシチョフ、ヴォロシーロフの3人の指導者がスターリン亡き後のソ連を引っ張っていたらしいのです。キングギドラの頭は3つです!
じゃあ日本は?というとモスラです。明治の日本を支えたのは生糸です。お蚕さんです。平和主義のモスラこそは日本の象徴なのではないでしょうか。(笑)
(2024.02.03)
2月と言えば、私はどうしてもすぐに2・26事件を思い出してしまいます。実際に経験したわけではありませんよ。それほど年はとっていません。映画『動乱』の影響かもしれませんが、2・26事件は軍部の組織としてのひずみを感じさせる出来事だったのではないかと思っています。この場は、気楽に書く場なので、堅苦しい話はしませんが、去年、女房と東京へ1泊2日で旅行をした時に皇居へいきました。皇居の隣の北の丸公園に旧近衛師団の司令部庁舎が残っていると知って、見てきました。近衛師団は当時ここに陣取って皇居を守っていました。その一部が2・26事件に加担したのでした。下の写真はその時撮ったものです。今は閉館されていて中へは入れません。歴史の舞台に立つというのは、興奮しますね。
(2024.02.02)
しばらく投稿をお休みしようと思っていたのに、もう書いてしまいました。(羅生門)何という意志の弱さ!この「こころのプロムナード」は私の中では記事ではなく、編集後記のようなものだと思っているのですが、そんなものでも、見に来てくださる方がいると思うと、やっぱり書かなきゃいけないな、という思いと、書かないと、そういう人も訪れなくなって忘れられていくのではないかという恐怖感から、再びペンを執った次第です。
(2024.02.01)
『座標軸』の連載を終えて、ちょっとした脱力感に襲われています。あの座標軸というのは、誰のためでもない、自分自身のために考えたものです。
私の好きな言葉というか、座右の銘は、「温故知新」です。歴史を学ぶのは、未来を知るためだと思いたいのです。ただ過去をさぐるだけでは、ともすれば自己満足に陥りがちです。過去の膨大な事実の中から、真実をつかみ出し、未来への指針とすることができれば、歴史に興味のない人でも、その重要性を認めざるを得ないのではないでしょうか。
でもそれは表向きの理由かもしれません。「溺れる者は藁をもつかむ」。この広い世界で人付き合いの苦手な小心者が、どうしたら少しでも人とうまく付き合い、人の動きに振り回されないですむか、その方法を探し続けた結果、やっとの思いでここに辿り着いたというのが、本当かもしれません。自分で考えた座標軸を使って、世の中を「性格」をキーワードとして分解し、再構築するという大胆にして無謀な試みをしてみたのです。成功したかどうかはわかりません。自分としてはある程度満足しています。ですから、他の人、とくに若い方のお役に立てればと思い、公開したのです。それができれば、私がこの世に生きた甲斐があったと言えるでしょう。
※すみません。古い記事は間違って消してしまいました。
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