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下り坂のニッポンの幸福論 (内田 樹・想田 和弘)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着本リストで目に付いた本です。

 内田樹さんの著作は今までも何冊か読んでいます。本書は、映画作家の想田和弘さんとの対談を書き起こしたものです。

 私にとっては、少々哲学的、抽象的な議論もありましたが、なかなか興味深い気づきを与えてくれました。
 お二方ならではといったコメントも含め、そのいくつかのくだりを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「今回の東京オリンピック」について。
 広告代理店による「感動の商品化」と位置づけた内田さんに続いて、想田さんの本質を突く指摘です。

(p50より引用) 東京オリンピックの招致が決まった頃に、「おめでとう、東京」とか「2020年、東京」といった言葉は、IOCの権利を侵害する恐れがあるからスポンサー企業以外は自由に使っちゃいけないという記事を読みました。その時「本質が露呈したな」と思ったんです。オリンピックはみんなのものじゃなく、IOCとスポンサー企業の私物だということですよね。私物なのに莫大な公金を使って行うということが起きた。

 そして次は「新型コロナウィルス禍」により明らかになったことについて、内田さんはこういった点を挙げています。

(p72より引用) コロナでは世界中の政府が、同時期に同じ問題に直面したわけですから、指導者の能力差が歴然となった。・・・
 世界中の政府の対応能力が、単一の問題に対する解答によって査定可能になった。

 この新型コロナ禍に対する政策を進めるうえで、現政権の “マーケット至上主義的価値観” を重視する「新自由主義的姿勢」が垣間見られました。

 この風潮の中、内田さんと想田さんは改めて「デモクラシーの本来的思考」を解りやすい例示を示して説いています。

(p92より引用) 選挙で51対49で勝ったときに51の側が要求できるのは、自分たちの政策を優先的に実施することだけであって、「自分たちの政策が正しかった」と言う権利ではありません。

(p94より引用) 「民意を得た」という言い方がよくされますけれど、これはきわめて不正確な言葉づかいだと思います。51対49で勝った場合、その差はわずか2ポイントです。100対0で勝った場合と、51対49で勝った場合は、そこに託された民意を同一視するわけにはゆきません。でも、この「民意の程度差」に配慮するということを彼らは決してしません。

と内田さんは語ります。
 現実は、さらにそこに「低投票率」という要素も加わります。そうなると51は過半数かどうかも怪しくなり、「民意を得た」とは到底言えない状況なのが実態でしょう。

(p92より引用) デモクラシーとは本来、共同体の構成員人ひとりを尊重し大切にするという思想であり、政治体制だと思います。ですから51対49で勝ったなら、49の事情や利益に配慮しながら、政策を実施するという公共性が政治家には求められます。
 たとえば友達同士10人で食事をしようというときに、焼肉に行きたい人が4人、インド料理に行きたい人が3人、イタリア料理に行きたい人が2人、肉を食べられないベジタリアンが1人いたとします。・・・
 ・・・そういう場合、たとえ焼肉派が最大多数だったとしても、肉食にもべジタリアンにも対応可能なインド料理に行こうと提案するのが、本来のデモクラシーのリーダーだと思うんです。それが「一人ひとりを尊重し大切にする」ということだからです。

と想田さんは話します。まさにそのとおりですね。

 こういった “民主主義” や “多数決” の基本的な考え方を、本来であれば、初等教育のなかでしっかりと理解させるべきなのですが、今の世情をみると永田町あたりで授業をした方がよさそうです。なんと情けない状況でしょう。

 さて、本書の内容に戻りますが、お二人の対話は「時間」をテーマにした思索にも進んでいきます。“直進する時間” と “循環する時間” です。

 想田さんは牛窓(岡山県)での暮らしで “循環する時間” で生きることを実体験しています。

(p218より引用) 想田 やはりこれからの「下り坂」の時代を生きる上では、時間の転換が重要だと改めて感じます。
 一直線に進んでいく時間をゼロにはできないにせよ、そのスパンを引き伸ばしつつ、循環する時間の比率を高めていく。そしてできれば、循環する時間をメインの時間感覚にしていく。地方移住、里山構築などにおいても時間のイメージを転換していくことが前提になると思います。・・・
 そして、その時間感覚の転換が「いいこと、かっこいいことなんだ」と多くの人に感じてほしいですね。

 この話を受けて、

(p218より引用) 内田 定常経済を「非現実的だ」と批判する人がよくいますけれど、定常経済に行き着くことはもはや歴史的必然だと思います。もう地球上には資本主義が収奪すべき資源が残っていないんですから、エンドレスの経済成長から定常的な循環への切り替えの時期が来ていると思います。循環というのは停止のことではありません。定常経済システムを維持するためには、それなりに活発な経済活動が必須です。

と、内田さんは “定常経済” への移行は、今に生きる人類にとっての歴史的ミッションだとも語っているのです。
 とても面白い刺激的な議論だと思います。

 このところ “脳みそに優しい” エンタメ的な小説を手に取ることが多かったので、やはり時折はこういったテイストの本を読むのもいいですね。




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