(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)
会社の大先輩がSNSで紹介されていて気になった本です。
いつもの図書館に所蔵されていたので、さっそく借りて読んでみました。最新の遺伝子研究の成果から人類誕生以降の足跡を顕かにしようと試みた著作です。
さっそく数多くの私の興味を惹いたところから、いくつか覚えに書き留めておきましょう。
まずは、「ホモ・サピエンス」の起源に関する最新の研究成果です。
このあたり、化石の形状や年代推定だけでなく、DNAやアミノ酸配列の分析に基づく研究の成果であり、アウストラロピテクス、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人、クロマニョン人ぐらいしか習わなかった私の学生時代の知見とは激変してしまっていますね。
こういった大古の人類の探究以外にも、もっと時代が下り、私が「世界史」の授業で習い、より具体的活動が思い描かれるようなトピックにも「遺伝子研究」による新たな発見が見られます。
その後ユーラシアステップに登場する「匈奴」や「フン族」も、遺伝的に異なる地域集団の連合体だったとのことです。
同様に、日本列島における「縄文人」と「弥生人」の分布に関する諸説の当否についても「遺伝子研究」の成果が活かされています。
たとえば、まず日本列島に縄文人が拡散し、その後、中央部に弥生人が侵入したため北海道と琉球に縄文人的集団が残ったという「二重構造モデル」も最新の遺伝子研究によってその単純な立論は否定されています。
そして、「遺伝子研究からみた人類集団」についての篠田さんのとても重要な指摘です。
さらには、こう続きます。
こういった科学的な基本認識のもとに「多様な社会」の理解がなされるべきなのでしょう。
本書を読むと、遺伝子分析によると「種」という区分は無意味であり、地域集団の差異は連続的な変化の一断面に過ぎないことが分かります。
さて、最後に、私が本書を読み通して最も印象に残ったくだり、「脳容量の変化と社会構造」というコラムの一節です。ちょっと長いのですが引用しましょう。
なるほどと首肯できる指摘ですね。
別の言い方をすると、世の中の変化において「人間の思考」が影響するウェイトが減少しているということ、さらに言えば、現代は「人間の知性の相対的劣化」が日増しに進んでいるということかもしれませんね。