夏は、“戦争” のことを考える季節です。
本書は、城山三郎氏の「反戦論」、久野収氏の「非戦論」という二部構成で、両氏の主張および編集者である佐高信氏自身の主張を開陳したものです。
城山氏は、自ら志願して海軍に入隊しました。そこで理不尽この上ない軍隊生活を経験したのです。城山氏の「反戦精神」は、まさにその実地の体験に基づく強靭な思想であるわけです。
本書には、城山三郎氏・久野収氏の論考に加え、佐高氏の持論も併載されています。
たとえば、安易な規制緩和に走る政界・経済界の動きへの反論です。この動きが、本来最低限必要とされる社会のルール自体を緩めてしまっているとの指摘です。
佐高氏は、小泉・竹中改革が推し進めた新自由主義、すなわち世の中をすべて「赤字・黒字」で測る利益至上主義的価値観には断固反対の立場です。
さて、本書の後半は、久野収氏の論文と佐高氏との対談が採録されています。
その中から、私の興味を惹いた部分を以下にご紹介します。
まずは、「戦争と宗教」に関わる久野氏の整理学です。
もうひとつ、「非武装的防衛力は幻想であるか」との寄稿文冒頭の久野氏の一文です。
「現実主義(そんなのは理想に過ぎない、現実を見ろ)」というステレオタイプ的思考様式は、こと平和論に限らず、社会的事象のいろいろな場面で登場します。
現実を踏まえること、「三現主義(現場・現物・現実)」は、リアルな課題を取り扱ううえでの基本動作としてはきわめて重要ですが、それは、そのまま「既成事実容認」というわけではないということです。
「現実」は、“理想”に向かう思考のスタートであって、思考を停止させるゴールではありません。