(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
以前読んだ出口治明さんの本で紹介されていたので手に取ってみました。
なかなか “刺激的なタイトル” ですが、単に「陰謀論」を紹介しているのではなく、実しやかに語られる陰謀論を論理立てて論破していく内容です。
論破の対象は “史実(と主張されるもの)” ですから、論破の根拠は現存している「文献史料」が主になります。そして根拠の正当性を示すにあたっては、その記述の正否も含めその史料の内容をどう解釈するかがひとつのポイントになります。
たとえばの例です。
「吾妻鏡」のような半ば公権的な文献文献を扱うにあたっては、史書編纂者の解釈や記述にもバイアスがかかりうることを留意すべきと著者は指摘しています。
古くは「日本書紀」に始まるように、まさに「歴史は“勝者の歴史”」ということですね。
また、歴史研究においては、こういった傾向もあるようです。
その他にも、陰謀論を掲げる研究者にみられる立論の傾向としては、「結果から逆算した陰謀論」や「加害者と被害者の立場の逆転(主体と客体の逆転)」等、著者は様々なバイアスの存在を指摘しています。
さて、本書では中世以降の戦乱に纏わる様々な「陰謀論」を議論の俎上に載せていますが、その中で印象に残ったもののひとつが「日野富子、応仁の乱元凶説」の真偽です。
事程左様に、実際の「史実の真偽」は、まだまだ解明し切れていないものが多々あるようです。
司馬遼太郎の作品群のように世間大衆に流布しているものであっても、そこで描かれている歴史上のエピソードは、いくつもある諸説のひとつに準拠して書かれているに過ぎません。
小説は小説。著名な歴史小説に書かれているからといって、その説が「真」であるか否かは全く別物です。
書かれている目的が「学術的な研究成果の開陳」ではないわけですから当然ではありますが、小説の読み手からすると、そのあたりの受け止め方が悩ましくなります。
「歴史小説」はすべからく、そういった背景を踏まえつつ物語を楽しむ姿勢が肝要でしょう。