能動的な構え
アリストテレス哲学を経営学と結びつけた指摘は、以前読んだ野中郁次郎氏の「美徳の経営」にも詳しく紹介されています。
その著作の立論において重要なコンセプトは、「フロネシス(賢慮)」です。
野中氏の定義によると、賢慮とは「個別具体の場において、その本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できる知恵」とされています。
本書の著者たちの主張も、この野中氏の指摘と軌を一にしています。
ギリシャの哲学者は考察のスタイルは、ソクラテス・プラトンをはじめとして「対話」を重んじるものでした。今日の企業でいえば「コミュニケーション」の重視です。
このコミュニケーションの活性化はイノベーションに繋がっていきます。
コミュニケーションにより、組織内に知識が集積される同時に、それらの組織間交流により知識の有機的化学反応が発現するのです。
もうひとつ、アリストテレスの哲学の中核には「中庸」の理論があるといいます。この「中庸」は「適度」とか「中間」とか「足して二で割る」といった概念とは全く別ものです。
変化への対応を前提とした柔軟ではあるが考え抜いた構えというイメージですね。
この概念を組織論に敷衍するとドラッカーのメッセージと軌を一にします。
著者は、この「中庸」という概念をリーダーシップ論においても展開しています。
この能動的な姿勢としての「中庸」という捕らえ方は、とても新鮮です。
観照的な知
アリストテレスは、師のプラトンに比較して実践を重んじる哲学者とされていました。しかし、この点は短絡的に考えてはいけないようです。
このアリストテレスの姿勢は、とても参考になります。
この点を捉えて、著者はこう指摘しています。
若いうちに現場を経験させる、CRMの仕掛けで現場からの情報を吸い上げる・・・、そこまでで、何かパラダイムシフトした気になっていないかというのです。
かつて、日本企業の現場は強かった、商社もメーカーもです。
しかしながら、昨今の日本企業の衰退、それに代わる韓国をはじめとするアジア諸国の台頭を鑑みるに、「現場は強いが戦略構築力あるいは大きな構想力で劣る」という日本企業に対する評価が、今、定着しつつあります。
新たな「知的生産の方法」を作り上げるべく、まさに「観照知」の出番です。
さて、最後に、アリストテレスからは離れますが、私の興味を惹いた孟子に関わるくだりも書き止めておきます。
普遍的なものと多様化を是認するものとの関係性の整理が明確です。