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親密な手紙 (大江 健三郎)

(注:本稿は、2024年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着本リストで目につきました。

 大江健三郎さんに関わる本は、以前「同じ年に生まれて-音楽、文学が僕らをつくった」という小沢征爾さんとの対談集ぐらいしか読んだことはないと思います。
 本書は、小冊子「図書」連載のコラムを収録したものとのことで、第一印象では読みやすそうな印象をもったので手に取ってみました。

 数々の興味深いエピソードや大江さんらしい思索の紹介がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをひとつ書き留めておきましょう。

 「人間を慰めることこそ」と題された小文から。大江さんの義父にあたる伊丹万作さんのエッセイからの引用です。

(p29より引用) 私が十三に代って書いた解説のなかに引用しているものだが、伊丹万作が戦後すぐ、その死の直前に発表したエッセイの次の言葉に、「福島三・一一」後の日本の知識人たちからあらためて共感をあらわす幾つもの言及が行なわれた。ここにも私はそれを繰り返したい。《・・・・・・だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 まさに、知識人たる伊丹万作氏の面目躍如の指摘ですね。

 さて、本書を読んでの率直な感想です。

 大江さんの作品とはいえ、小冊子に連絡されたエッセイ、コラムを採録したものとのことで少々気楽に構えていたのですが、読み進めていくにつれ私の手には全く負えなくなってきました。
 大江さんと交友関係にある方々の話題については当然私の予備知識は皆無ですし、処々に登場する御子息の光さんに係るエピソードも、その背景としてある大江さんの心情まで思いを巡らすこともできずで、かなりの消化不良で終わったという情けない結果でした。

 さて、私にとっては手強い大江作品、次は何にチャレンジしましょうか・・・。



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