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味を訪ねて (吉村 昭)

 吉村昭氏は、旅行に出るときには必ず、以前訪れたことのある飲食店等が記された住所録をカバンにいれていくそうです。その住所録におさめられている店は、「旨くて安い」というのが条件だといいます。

 本書は、そういう吉村氏の「食べ物」をテーマにしたエッセイ集です。
 まずは、「食べ歩き」についての吉村氏の持論です。

(p34より引用) 食通と言われている人は、美味な物を食べるためには金に糸目をつけぬという。・・・食通の人は、美味な食物を口にする時、必ずといっていいほど厳しい表情をする。・・・
 そのような人にくらべると、私は、食通になることはあり得ないことに気づく。・・・第一、うまい物を口にできた時、私は、ただ嬉しくて笑うだけなのだ。
 ただし、それがいかにうまい物でも値段が高ければ喜んではいられない。私の場合、食物には金に糸目をつけるのである。
 私にとって、うまいとは、安いわりに……という条件が必要になる。

 そうですね、やはり「こんな値段でいいの!」という驚きは大事だと思います。
 私も(恥ずかしながら)食べ歩きのときには「値段」もそれなりに気にします。もちろん、「折角だから今日は贅沢を」ということもありますが・・・、その場合は、美味であることはもちろん、その時期、その土地、その店ならではというちょっとした「こだわり」に出会えると嬉しいですね。

 もうひとつ、吉村氏流の「食物の随筆」の楽しみ方について語っているくだりから。

(p152より引用) 随筆に甚だうまいものがあると書かれたものを食べてみて、うまくない場合がしばしばある。裏切られたような気がする、という人もいるが、私は、そうは思わない。味覚は人さまざまで、そこが面白いのである。

 「美味しい」と感じる根っこには、その人が生まれた以降の食習慣からの慣れがあると吉村氏は考えています。それ故に、(吉村氏にとっては不評ではありますが、)九州の「おきゅうと」、東北の「ほや」などは、その地方の人にとっての「美味」なのだろうというのです。

 さて、吉村氏の旅の目的は、多くの場合作品の取材です。とはいえ、もちろんプライベートの旅行もあります。そのときの楽しみは「食」ですが、それだけではないようです。
 たとえば、吉村氏お気に入りの旅行先、岩手県の田野畑村の場合。

(p60より引用) しかし、食べ物がうまいだけで毎夏行く気にはなれない。村の人の情の美しさに接したいから、自然に足を向けるのである。

 吉村氏の作品のひとつ、「三陸海岸大津波」は、この田野畑村への訪問が創作のきっかけになったそうです。
 今回(注:2011年当時)の大震災では田野畑村も被災されたとのこと、心からお見舞い申し上げます。



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