被災弱者 (岡田 広行)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
「決して忘れてはいけない記憶」というのも正しくないでしょう。
それは、まだ「過去のもの」になっていないからです。まだまだ、多くの被災者の方々にとっては “現在進行形” なのです。
本書では、未曾有の被害をもたらした東日本大震災の復興から取り残されている人々の今の姿(注:2015年時点)や、被災者支援のために、今なお様々な分野で尽力している方々の活動、そしてそれらを通して明らかにされた課題の数々を紹介しています。
石巻市立病院開成仮診療所の長純一所長。
長所長の最大の危惧は「要介護認定率の急上昇」です。この要介護者へのケアは介護保険サービス利用のニーズの高まりにつながりますが、おそらくそれでカバーできない状況が容易に想像されます。
そこを補うためには。現状では「家族」や「コミュニティ」の力にまだまだ頼らざるを得ないのですが、これが急速に崩壊しつつあるというのです。
被災現場に在るリアルな生活者の方々を助けるには、単に「住む所」を提供すれば済むというものではないということです。「復興公営住宅」の提供の “負の部分” にどう取り組むのか?行政は、しばしば「住処を提供したのだからいいだろう」と手を引いてしまうのです。
こういった制度や行政の手が届いていない被災者として「在宅被災者」の方々がいます。
こういった在宅被災者の生活は今現在でもさほど改善されていない、宮城県南部を中止に活動しているボランティアグループ「チーム王冠」の伊藤健哉さんは語気を強めてこう語ります。
自分が苦境にある中で「ほかの人を助けてあげて」との話す人々の心情を慮ると、本当に心が痛みます。
こういった方々に手を差し伸べる主体こそ行政であるべきですが、実態は、被災者に寄り添うボランティアの活動に頼っているのです。
もちろん、行政としても、全ての被災者の皆さんが満足できるような支援は、残念ながら極めて難しいことでしょう。せめて、少しでも多くの支援を、少しでも不公平感をなくす形で提供できればと思います。
いの一番には、不要不急の施策や便乗施策を排除する、これは是非とも実現させたいことですね。
火事場泥棒的な姿勢は、本当に寂しくまた情けなく思います。可能な限り、限られた財源を「今、苦しんでいる人々」に届けるべきです。もちろん、将来のリスク低減も重要ですが、「今」を乗り越えられない人々には、そもそも「将来」は来ないのです。
もうひとつの「公平性」、これは、更に難しいですね。
まずは、納得できないような制度を何とか変更・廃止して、意味のある制度に再設計すること。
ただそれでも、制度を運用する以上は、現実的にはどこかで「線引き」をせざるを得ない、これは避けられません。そこに僅かなりとも納得性の要素を残すことができれば・・・。
それは、制度を運用する側、制度の恩恵を受ける(受けられない)側が、それぞれの立場を理解しあうこと、その上で、「申し訳ない」「仕方ない」と想い合うところまで至ることだと思います。
しかしながら、それでも結局、現実的には目の前の生活に困窮する被災者は「0」にはなりません。この方々に対して何ができるのか・・・、ダメです、私の思考もそこ止まりです・・・。