(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
変わったタイトルだったので目に付きました。
松岡正剛さんも著者のひとりということで挑戦することにしました。対談の相方は社会学者(法政大学総長(注:当時))田中優子さんです。
まさにお二人ならではのとても面白そうなテーマの対談だったのですが、私にとってはちょっと荷が重すぎました。著者と読者の持っている基本的な知的素養の量と質があまりにも違い過ぎるので、予想どおりお二人の論理の道程や発想の跳躍には全くついていくことはできませんでした。
が、それでも気になったところを覚えとして少々書き留めておきます。
まず、第一章「折りたたむ日本」の中での田中さんが指摘する「鎖国時代」の位置づけについて。
これに関連して、第四章「日本の治め方」の中で、田中さんは江戸時代には「鎖国」という概念自体なかったと述べています。
この章ではもうひとつ。
“日本らしい「治め方」” に関して、松岡さんとのやり取りの中で田中さんが面白い指摘をしています。
そしてもうひとつ、第三章「面影の手法」の中での「江戸時代の教育」に関する田中さんと松岡さんのやり取り。
寺子屋とか丁稚奉公とかの位置づけの説明ですが、ここでの教育内容は「道徳」のような精神教育ではなく、実用的な「コミュニケーション能力」だったというのです。これも私にとっては、新たな気づきでした。
さて、本書を読み通しての感想ですが、特に私の興味を惹いたのは、第八章「日本の来し方・行く末」の中でお二方の生い立ちを語りあったくだりでした。
お二人とも私よりひとつふたつ上の世代なのですが、その若かりし頃の世情感は何となく肌感覚で理解できて、お二人の問題意識の原点らしき一端にほんの僅かですが触れたような感じがしました。