『臨済録』を読む (有馬 頼底)
(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。
この投稿以降しばらくはあっさりとした内容が続きます。)
“禅” について少しでも見識を深めたいと思い、だいぶ前に岩波文庫の「臨済録 (入矢義高)」を読んだことがあるのですが、残念ながらというか、予想どおりというか、ほとんど理解できませんでした。
ということもあって、改めて本書を手に取ってみたのですが、結果は・・・、見事に “返り討ち” にあった気分です。やはり駄目でした。
人生に資する宗教という捉え方ではなく、学術的な「仏教哲学」として理解しようとすると、やはり「心」ではなく「頭」で受け取ってしまいます。
そうすると、如実に、基礎知識や思考能力の欠如が顕かになってしまうんですね。臨済師(有馬師)が言わんとすることが、全く頭の中で「論理的」に整理できないのです。
かといって、教えの “本質” をザクっと捉えられるかというと、それこそキャパシティオーバーで・・・、というか、どこから近づけばいいのかすら「???」という情けない有様です。
まあ、また懲りずに、少し間をおいてチャレンジしてみましょう。