ゴジラと日の丸―片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全 (片山 杜秀)
平田昭彦、川谷拓三
文字が小さくて、それでいてボリュームのあるコラム集です。
収録されているコラムは全部で400本を越えるのですが、その中から順不同に私の興味を惹いたものをご紹介します。
まずは、「ゴジラ第1作(昭和29年(1954年))」に出演した俳優平田昭彦さんを取り上げたもの。
実は私、子どものころから怪獣映画は大好きで、ゴジラシリーズはすべて見ています。この「ゴジラ」第1作もDVDで見ましたが、世相を反映した重々しい画面で、強烈なインパクトのある作品でした。その中でも芹沢博士は特異のキャラクターで、まさに平田氏のはまり役という感じです。
もうひとつ、1970年代一世を風靡した「ピラニア軍団」。
室田日出男さん・志賀勝さん・川谷拓三さんといった個性派脇役俳優の活躍に、主役を食う下克上の痛快さを見た短文。
確かに、三船敏郎さん・勝新太郎さんといった豪放磊落、いかにも大物という「大スター」はいなくなりましたね。
現在の映画界では、強いて言えば渡辺謙さん・役所広司さん・佐藤浩市さんあたりがそれにあたるのかもしれませんが、ちょっと持っている雰囲気が違う気がします。とても真っ当な想定内の方なので、良しにつけ悪しきにつけ「伝説」にまでは昇華しそうにありません。
時代観・社会観・人間観
採録されている400を超えるコラムの中から、さらに、私の興味を惹いたコメントの紹介を続けます。
まずご紹介するのは、「作曲家古関裕而氏による戦時歌謡」をテーマにした小文です。
これは、感情的な「短絡思考」を諌める一理ある指摘だと思います。
次は、「オリンピック」の本質をシニカルに指摘したコラム。
「暴力の祭典」とまでの形容はどうかとは思いますが、「粉飾」されているという感覚は多かれ少なかれ感じられるところですね。ある種「偽善的」という感覚に近いものがあります。
著者は、さらに、こう続けます。
思わずニヤッとするような提案ですね。
さて、最後のひとつは、「IT革命とちはやぶるもの」とタイトルされたコラムから、超高速化時代における「社会の歪」の指摘です。
速ければいいわけではありません。そのスピードについていくことができない人、ついていく必要のない人がいても構わないはずです。
そういう人々を最後救い上げるネットが、今、なくなりつつあります。ITではカバーできない「人と人とのかかわり」の次元です。
伝統芸術
著者の片山杜秀氏は、もともとは政治思想史の研究者ですが、音楽・映画・演劇といったジャンルにも造詣が深くその方面での評論活動も活発です。
そういう背景もあり、本書では、「伝統芸術」の世界が、しばしばコラムの題材として取り上げられています。
そのうちのひとつ、「古典芸能」という一種聖域に関しての著者の指摘です。
確かに、「芸能」は、生まれたばかりの方が純粋だったというのは首肯できます。その姿を芯にして、様々な時代や心情の粘土が塗り重ねられ、塑像のように形作られていくものなのかもしれません。
続いては、狂言師野村萬斎さんの芸風を切り口にした「個性を育て大事にする教育」についてのコメント。
歌舞伎・能・落語等々、伝統芸能の一流は皆、名人先達の芸を「真似」ることを修行としました。それを極めることにより、先達とは異なる自らの個性・自分らしさが磨かれ出るのでしょう。
自主性を重んじるという掛け声だけで「個性的な人間」が育つはずもありません。「真似る」ことは個性発揮のための必要なファーストステップだとの主張です。
とはいえ、生け花の草月流創始者勅使河原蒼風を採り上げたコラムでは、著者はこう声高に叫んでいます。蒼風は狭義の生け花に対して、生ける客体を広げていきました。
さて、本書、ともかく文字が小さくて分厚い。それだけに百花繚乱、玉石混交・・・、コラムの主張内容も首肯できるものばかりではありません。
が、著者独特の視点はとても刺激的です。いろいろな意味で「なるほど」と興味深く感じられる評論が目白押しのなかなか楽しい本です。