ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること (ニコラス・G・カー)
可塑的な脳
タイトルのネーミングはあまりうまいとはいえませんね。しかしながら論じられている内容はしっかりしたものだと思います。
昨今のインターネットメディアの浸透が私たちの思考スタイルにどんな影響を及ぼしつつあるのかというテーマについて、多面的な観点から考察を進め、興味深い指摘を導いています。
本書の前半では、脳(神経)の可塑性といった神経科学の話や、文字や本、音声や録音、さらに今日のデジタル・メディアに至る歴史的変遷といったメディア論が語られます。そして、この脳の認知作用とメディアの変遷との関係が、本書の主張のひとつの幹になります。
(p148より引用) 印刷された本・・・は、インターネット接続された電子デヴァイスに移植されると、ウェブサイトに非常に似たものへと転じる。ネットワーク接続されたコンピュータにつきものの注意散漫状態が、本の言葉を包んでしまうのだ。リンクを始めとするデジタルな補強策によって、読者はあちこちに矢継ぎ早に導かれる。・・・印刷された本が有する直線性も、その直線性が奨励する静かな集中も、もろともに粉砕される。
こういった新しい読まれ方は、脳の思考においてはプラスに働くのでしょうか。それとも・・・?。
最近になって、文章内のあちらこちらにハイパーリンクが張りめぐらされている新たなメディア「ハイパーテクスト」の認知学的側面からの評価が数多く発表され始めました。その多くは「ハイパーテクスト・ハイパーメディアの幻想」を指摘したものです。
この点は、さらにハイパーテクストとマルチメディアとを結びつけた「ハイパーメディア」に関しても同様の傾向が見られるというのです。
この指摘は、日本においてようやく盛り上がりつつある「電子教科書」議論にも大きな影響をもたらすものですね。
本来のリッチメディアは、本筋の理解を深めるための道具であったのですが、注意散漫化を引き起こすことにより、かえって「深い読みや集中した読み」を妨げるものとなったというのです。
この動きはさらなる本末転倒を呼び起こす可能性があります。
自分の頭で考えるということをしなくなる、この傾向は致命的でしょう。
この国立神経疾患・卒中研究所のグラフマン氏の指摘に集約されているように、可塑的な脳の性質が、私たちの思考スタイル自体を変化させてしまうのです。
「ネット・バカ」を生むグーグル
本書の帯に書かれているキャッチコピーは「『グーグル化』でヒトはバカになる」。かなり挑戦的でセンセーショナルですね。
実際、このグーグルについては、第8章「グーグルという教会」というタイトルの章で取り上げられています。
そこでは、グーグルの基本思想を、機械工業の効率化を推し進めたテイラーの考え方になぞらえて説明しています。グーグルの教条は「テイラー主義的倫理」だというのです。
そして、その教条にもとづき、グーグル社は「オンライン広告の販売及び普及」というメインビジネスを営んでいます。
グーグルはすべての情報をネット内にデータベース化しようと試みています。
こういった現状は、「検索しさえすれば必要な情報はすぐに入手できる、外部データベースは、人間の脳による『記憶』を不要にするものだ」と考える人を生み出しています。そして、そう考えている人々は、記憶の外部化により「人間の脳を記憶という負荷から解放し、そのリソースを創造的な思考に振り向けることができる」と主張するのです。この考えは正しいのでしょうか。
ウェブの効果は、むしろ人間の高度な論理的思考能力のリソースを奪うというのが著者の主張です。
そうですね。やはり人間の知的営みにおいては、外部データベースを補完的に活用することがあったとしても、やはり「自己の脳」の活動が主人公であって欲しいものです。
さて、本書ですが、読み通してみて興味深い点が数多くありました。
流れとしては、神経可塑性に関する生化学や文字・印刷・出版等の歴史等を辿ってから、インターネット時代の知的探索活動について論を進めていきます。
ちょっと迂遠な立論のような印象も抱きましたが、まさに、そういった構成自体が、旧来のテキストメディアのよさを自己証明しているようにも感じられますね。
(再録時(2022年5月)の追加コメント)
「スマホ脳」という著作がベストセラーになっていますが、本書は10年ほど前にその先導たる論考を記しています。その内容のレベルは比べるべくもありません。
まずはこちらの著作に目を通すことをお薦めします。