星降る中部高地 縄文の笑顔|岡谷美術考古館
今日は楽しい「諏訪めぐり」の日です。
諏訪めぐりをしようと決めてから、美術館・博物館の情報が一覧になったマップが欲しいなぁと思っていたところ、先月訪れた諏訪湖博物館でとても良いものを見つけました。
☆諏訪湖・八ヶ岳アートリングマップ☆
このマップを見ながら次はどこへ行こうかと妄想を膨らませるのですが、今回、直感により白羽の矢が立ったのはこちら!
市立岡谷美術考古館
歴史好きとしては、もう『考古』という文字を見るだけでなにやらワクワクしてきます。それではさっそく行きましょう~
1階は市内小学生が制作した版画作品の展示、2階にお目当ての考古展示室があります。
(版画家・武井武夫の故郷である岡谷市では、学校教育で版画制作が広く行われているようです)
◎考古展示室
土偶コーナーへ真っ先に行きたい気持ちを抑え、ひとまず入口一番近くから順に見ていくことにします。
まず目に入って来たのは、一体だけうやうやしくガラスケースに収められた縄文土器。
ほ~、飽きのこないお顔です。装飾品も面白い。
土器となっていますが、これはもはや器よりも顔の方がメインでは?
人のようにも、小動物のようにも見えます。
見る角度をすこし変えるだけで違った表情になるのが面白く、右へ行ったり左へ行ったり背後へ回ったりしていたのですが、背後の壁に大切に飾られている額縁の存在に気付きました。
それがこちら、
日本遺産 認定証
星降る中部高地の縄文世界
ー数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅ー
平成30年5月24日
テレビなし・新聞なし生活のおかげでしょうか、例によって初耳です。まっさらな状態で説明を読むと、なかなか興味深いことが書かれていました。
黒曜石は、火山が生み出した天然ガラス。
日本列島には北海道から九州まで100ヶ所以上の黒曜石原産地遺跡があるといわれていますが、なかでも信州産の黒曜石は良質なものが多く、広域に流通していたそうです。
鉱山から採掘された黒曜石は山裾のムラからムラへ運ばれ「黒曜石の道」ができ、八ヶ岳山麓は、信州ブランドの黒曜石を求めて遠くから訪れた人々の交流の場となっていました。
以前ブラタモリでも取り上げられていましたが、縄文時代の諏訪地域は、一大都市だったようなのです。
う~ん、縄文ロマン。すてき。
黒曜石への興味はつきませんが、そろそろ次の興味の対象「土偶」コーナーへ。
と、その前におもしろい土器が2つ。
風神雷神図屏風の雷神が背負う連鼓を連想させる釣り手が・・・と書かれていましたが、どうですか? わたしにはタコの吸盤のように見えました。
思いっきり笑っていますね!いい笑顔です。
戦がなかったといわれる縄文時代は、きっと、こんな笑顔の人が多かったんでしょうね。
そしてお待ちかねの土偶コーナー。
1つのショーケースの中に細々と展示されていましたが、なかなか個性的な顔立ちばかりで見応えがあります。
いかがですか?
お気に入りの顔はありましたか?
これだけでも十分楽しめましたが、土偶コーナーのはずれに「土偶御朱印」が展示されているのを見つけてしまいました。
その場にはそれ以上詳しい説明がなかったので、気にはなったもののそのままスル―したのですが、あとから調べてみたところ、なんとなんと中部高地で「三十三番土偶札所巡り」なるものがあるようです!
なんて楽しそう~。
御朱印スキ、土偶もけっこうスキ。
でもこれ、集めるとなったら山梨県まで行かなければ・・・
危険な香りがするのでひとまず保留ということで。
縄文時代の素朴で個性的な顔に満足して、そろそろ次の目的地へ行こうかと展示室を出たところ、ふと足元をみると、
”当館から和田峠(黒曜石原産地)まで18,528歩、12.97km”
この距離は縄文人にとって、近かったのか?それとも遠かったのか?
縄文時代、とても気になります。
<おまけ>
日本遺産の検索をしてみたところ、長野県は他にも3か所登録されていました。
◎木曽路はすべて山の中
~山を守り 山に生きる~
◎月の都 千曲
ー姨捨の棚田がつくる摩訶不思議な月景色「田毎の月」ー
◎レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」
~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~
興味がある方は、検索してみると面白いですよ。
お気持ちありがとうございます。大切に使わせていただきます。