3年目の気持ち
先日、noteからおしらせが届きました。
noteをはじめて2年経ったようです。
今月から3年目に突入。
<初投稿>
<1周年>
2年前の記事を見返してみると、
はるかむかしの出来事だなぁ・・すごく緊張したんだよこの初投稿、という感じ。
ビジネス文書を作ることはあっても、自分のことを綴るとなると・・・大昔のアメブロ以来。周囲で「発信!発信!」の声をよく聞くようになり、わたしも!と乗ってみたものの、
で、何を書けばいいの?
これですよ。
結局、なにかを発信するにはまず自分の内面を整理しないとダメなんですよね。
それに気づいて他のクリエイターさんの記事を読んでみると、皆さん、なんて自由闊達に自己表現されていることか!
どうしてこんな文章が書けるの?
プロですか?
尊敬の眼差しで眺め、わたしにはこんなの書けないと落胆しながらもポツポツと投稿を続けました。交流も少なかったので、もちろんスキ数も微々たるもの。
それでも何故かやめずに2年目、
わたしを見つけてくれる人が徐々に増えてきました。
すると、同時に「欲」も出てきます。
もっとスキが欲しい!
承認欲求というやつですね
みごとにスキの呪縛に絡めとられそうになりましたよ。
たくさんのnoterさんの記事を読んで、
当たり障りのないこと、万人受けしそうな記事を書いて、
たしかにそれをやっていればスキ数は伸びる。
けど、それになんの意味があるの?
noteの中だけで生きているわけじゃないし、時間は有限なんだよ。
転機はおそらく、「音楽」と「奈良」について書き始めたこと。
なぜその話題か?
理由はかんたん、好きだから。
そのときも確か、とあるクリエイターさんに背中を押してもらったんだった。そう、わたしはいつも誰かに応援してもらってる。
ありがとう。
そうして自分の好きを前面に出していくうちに、似た感覚・感性の人と繋がりができるようになっていきました。
そうか、気の合う人と出会うには、自分色をどんどん出していけばいいんだ! ようやく「発信」の意味に気付いたよ。
前よりも気楽に、けれども時間はそれなりにかけて、自分の感じたことを余すことなく言語化する。
するとそれに共感した人からコメントが入り、そこで初めて、これまで気づかなかった「自分の個性」に光が当てられ、、
え?
わたしって・・・
そうだったの?!
これを繰り返すうちに、「わたし」の輪郭がじわじわと炙り出されるような、そんな感覚を味わいました。
大げさではなく、みなさんからいただくコメントの端々にnoteの神さまからのメッセージが宿っているような気がして。
そして2年経ったいま
note熱は落ち着いています。
自分迷子のまま幾年も過ごしてきましたが、
おぼろげながらこれからの方向性も見えてきました。
そのためにやるべきことも。
ですので、これからはnoteの投稿も週一ペースになる予定です。
とはいえ突発的に書きたい発作に見舞われたときには、書きます。
つまり・・・これまで同様不定期。笑
書いてもいいし、書かなくてもいい。
見てもいいし、見なくてもいい。
そのくらいの気楽さでnoteと付き合っていきたい。
これが3年目の気持ちです。
願わくは、4年目の気持ちも書けるといいな。
さいごに、
わたしと出会ってくれて、繋がってくれてありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞこれからも、よろしくお願いします🌙