先日祖母を天国へお見送りしました。 住み慣れたお家で、家族に囲まれながら。 おばあちゃんらしい、最期でした。 自分たちで人を家で看取るという経験は、祖父に続いて2度目。 祖父の時は突然だったから、母と泊まり込んで看病した。 病院で多くのかたを看取ってきたのに、いざ自分が当事者になり、 しかも家でとなると戸惑うことがおおかった。 介護の方法、介護の経験がない家族でどう協力するか、どこまで医療処置を施すかなどの選択など。 ただ今回の祖母の看取りは、祖父のときとは少し違って
朝、目覚めて部屋中の窓を開け、朝の新しい空気を招き入れる。 台所に立ってお湯を沸かしながら、昨日の残りを片付けて。 冬の縁側にはよく日が入り、本当に気持ちいい。 お日様の光を背中に当てて、やりたいことを持ち込む冬の縁側は、お家の中の大好きな場所。 冬至を過ぎて、日に日に太陽の力が春へ向かっていくのを感じながら、この冬を過ごしています。 ずっと自分の中で温めてきたこの記事。 ようやく言葉にできて、嬉しい気持ちで綴っています。 暮らしの効用と言われてもいまいちピンとこない
雪がちらつき始めた11月末。 穂高養生園での、長くて短い8ヶ月が幕を閉じました。 東京を経由して地元に戻り、色んなことがようやく落ち着いて、暮らしを取り戻しつつあるこの数日です。 あぁ無事に終わったんだなあ… という安堵感もなければ特別な達成感もなく、とてもフラットな気持ちで今までの延長線上での今の時間が流れている、少し不思議な感覚。 ただ、山の中での暮らしを離れて、今までの元の暮らしに戻って、両者にいろんなことを感じながら、その足跡を確かめるように過ごしている気がしま
お日様がよく当たるところから、少しずつ紅葉していく木々の様を眺めては、秋深まる季節を追いかける日々。 ご無沙汰していたnoteに、近況を綴ります。 生まれてからずっと過ごして来た愛知を離れ、今年の春から長野県の北アルプスの麓で暮らしています。 穂高養生園というリトリート施設のワークエクスチェンジのキッチンスタッフとして。 そして、今まで積み重ねてきたことたちも一度フラットにして。 初めて養生園を訪れたのは確か、5年くらい前。 仕事を辞めたタイミングでした。 滞在中
先月のことですが。 東京・中目黒の学校で、植物療法士の資格の授与式でした。 「フランス植物療法普及医学協会認定 植物療法士」 という資格を頂きました。 今回は、この節目にわたしと植物療法の出会いや歩みを振り返りながら、 これからのことも少し綴りたいな、と思っています。 あれはかれこれ5年ほど前のこと。 当時は病院で看護師の仕事をしていました。 毎度の残業で疲れ果てた帰り道にふらっと立ち寄った本屋さんで、森田敦子さん著の「自然ぐすり」という背表紙が目に入り、手に取った
日常からしばらく離れて旅するように過ごし、 雄大な自然のスケールの大きさ、たくさんの刺激、温かい時間… どうやってこの旅を閉じようか、上手く着地できるのか不安でいっぱいだった。 心よりも体が先に赴いて、 思わず靴を脱いで足を浸す、鎌倉、由比ヶ浜。 吸い寄せられるようにというよりは、自分が吸い寄せたかのように。 人、行き交う車、夕焼け、月、打ち寄せる波。 自分の心の中みたいに、混沌とした世界。 人生28年目の始まりは、千葉にあるBrown’s Field で迎えました。
atelier nora はじまりました。 この夏に、わたしのおじいちゃんとおばあちゃんが長年住み慣れた家を、 「atelier nora」として小さくはじめました。 絵が好きなわたしの母は、12年前に癌で弟を亡くしてから、(私にとっての)叔父さんが大好きだった音楽を流しながら、この場所でギャラリーカフェを開くのが夢でした。 残念ながらおじいちゃんは、その夢の実現を待たずして天国へ旅立ちました。 この家で、家族で力を合わせておじいちゃんを看取りました。 その時のわたし
カレーライスを作るのが精一杯だったわたし。 一人暮らしを機にいつしか料理の楽しさや美しさにすっかり魅了されるようになり、去年からはマクロビオティックの料理教室に通い始めました。 みなさんマクロビオティックという言葉、ご存じですか? 料理教室に通い始めてからのこの1年、ますます料理は楽しくなり、そして体調が安定しただけでなく気付いたら心まで変化していました。 そんな素敵なマクロビオティックとの出会い、そしてわたしの変化について綴りました。 マクロビオティックとはきっとま
立春、雨水を迎え 三寒四温という言葉の意味を 日々味わいながら過ごす毎日です。 さて、先日地球のしごと大學 教養学部を卒業しました。 地球のしごと大學とは 持続可能な地球を創る「地球のしごと」の学び舎。 これからの「暮らし」「稼ぎ」「務め」を学び、これからはどんな「生き方」や「しごと」が大切なのかを仲間と共に学ぶ場です。 新型コロナウイルスの感染拡大で、今まで当たり前としていたことが一変した2020年。 先の見えない不安と同時に、 今まで当たり前のように機能していた
ご先祖たちが約400年かけて繋いできたこの場所に、不思議な縁あって住むことになり約1年が過ぎました。 小さいけど豊かな自然が織りなす様と四季の移ろいを、日々の喧噪で忘れてしまわぬように、2020年は必死で噛みしめて過ごしてきた気がします。 そして自分の中にも、驚くほどに色んな感覚や感性が備わっていることにも度々はっとさせられるのでした。 住まい・家にはシェルターとしての役割があり、建物を通して自然を取り入れ、暮らす上で厳しい自然はシャットアウトする機能があるそうです。
本の最後の1ページが閉じるように静かに止まった、おじいちゃんの最後の呼吸。 なぜかそこには悲しみではなくて 最後までやりとげたという達成感のような、不思議な感覚だったのを思い出します。 2年前の11月3日 生前からの「家で死にたい」という願いを無事に叶えて、永い眠りについたおじいちゃん。 一緒に暮らしていなかったから、些細な変化にも気付けずに、気付いたときにはただただ弱々しくなった姿がそこにはありました。 看病のために祖父母の家に泊まり込みながら 刻々と変わる状況の中
この秋から地球のしごと大學での学びが始まり、半市場経済、循環型農業、流域経済圏、衣服、働き方など私たちの暮らしにかかわる様々な分野の授業が進んでいます。 そして先日は地域医療の分野として静岡県の富士山の麓、朝霧高原にて統合医療を実践されている山本竜隆先生の授業でした。 「統合医療」という言葉はまだまだ馴染みのない言葉ですが、西洋医療や代替療法を含めてそれぞれの良さを生かして統合的に実践されているのが統合医療。 どっぷり西洋医療の中で看護師をしていた私には、とても興味深い
なんとなくいまの自分の現在地を記しておきたい気分。 ちょっとした区切りのタイミングなのかもと思ったので、まとまりのない言葉ですが並べてみます。 看護師として働きだした22歳。 がむしゃらでそれはそれで楽しかった。 でも徐々に自分の体と心が乖離していくのを感じた3年目のはじめ。 退職を考えたけど上司に異動を提案され、訪問看護ステーションへ配属に。 病棟のときも、訪問看護のときもいつも自分のなかに疑問符があって 「人のためのいう名の行為は、はたして本当に相手のために
この1年くらい小さな船にゆられているような 感覚で自分にとって大切なことは何なのか 考えさせられる場面がたくさんありました。 そしてこれだけはずっと大切にしていきたいと 思えることの輪郭がみえてきたからなのか、 ふとそんな日々感じていることをあえて オープンにしたいなと思うようになったので これを機に少しずつですがじっくり言葉を 選びながら綴っていきたいなと思っています(^^) さてこの1か月は目に見えないものとの闘いで 普段とは違うストレスを身体は感じているようです。