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暮らしの効用

朝、目覚めて部屋中の窓を開け、朝の新しい空気を招き入れる。
台所に立ってお湯を沸かしながら、昨日の残りを片付けて。

冬の縁側にはよく日が入り、本当に気持ちいい。
お日様の光を背中に当てて、やりたいことを持ち込む冬の縁側は、お家の中の大好きな場所。

冬至を過ぎて、日に日に太陽の力が春へ向かっていくのを感じながら、この冬を過ごしています。


ずっと自分の中で温めてきたこの記事。
ようやく言葉にできて、嬉しい気持ちで綴っています。

暮らしの効用と言われてもいまいちピンとこないかも。
それくらい”暮らし”って、毎日の当たり前を作っていて。
でもだから、案外日々の自分を司っている大きな存在で。


そんな風に感じたのは、昨年の春から長野の穂高養生園で働かせてもらうことになり、共同生活始めてから。

その前までは、祖父が亡くなった後、空き家になった祖父母のお家に住んでいました。

それまでは、色んな場所に住んだけど、時には街中の高速道路の真横だったり、小さなアパートだったり。

祖父母の建てたお家の前にはご先祖さまたちが植えた木々たちが小さな森を作っています。
そこにはたくさんの鳥たちが集い、時にはたぬきやキツネのシェルターにもなっているようです。


そんな小さな森とお庭のある、日本家屋のお家での暮らしを始めて約2年半が過ぎたタイミングで、それまでの暮らしを離れて長野へ。

いざ共同生活を始めると楽しいことはたくさんあって、日々沢山の刺激を受けます。

でも、それと同時に今までの何気ない日々の暮らしの愛しさを感じるようになりました。

仕事を終えて帰り、おかえりと迎えてくれる家族の存在、台所から聞こえるお料理の音。
食卓を囲んでご飯を食べることだったり、お日様の匂いを感じながら布団に潜る瞬間の幸福な気持ちだったり。

当たり前としていて、意識もしていなかったことが、自分の心と体の安定を支えてくれていたことに気が付いて。


そして、台所に立つということ。
日々の自分のバロメーターにもなる場所。自分のからだと対話する時間。

ときには、自分や家族が体調を崩したときには、薬局にもなる場所。

冷蔵庫の余り物でその日食べたいものを作る時間は本当に楽しい。
それを分かち合える人がいたら、なお嬉しい。

そして自分はこの”暮らし”の中にあるお料理が好きなんだっていう、とてつもなく大きな気づきもあったりして。

そんなことを感じながら、一旦共同生活を離れて冬の間は再び元の暮らしに戻っています。

掃除したばかりの廊下にはすぐ埃が溜まるし、家族と暮らせば色んな感情のぶつかり合いだってあるし、
いいことばかりではなく大変なこともたくさんある。

でもそれも含めて”暮らし”であって、
それが暮らしの効用なんだと。

近すぎて、気付けない。
だから尊く、なお愛しい。
本当に大切なものって、そういうものなのかもしれない。

そんな風に感じるこの頃です。


少し温かすぎるくらいのこの冬。
でも寒波が来るとやはり春が恋しくて。

お庭のコブシが咲く頃を楽しみに待っています。

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