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結婚10年目、夫婦に「病めるとき」がやってきた。


3月って、なんだかそわそわ、不安で心が落ち着かない季節。もうすぐ子どもは新学年になり、仕事は新しい期がはじまる。

寒さがやわらぎ、春の嵐といわれるような風がふいて、陽射しにもこれまでにない強さを感じると、ああ、今年も春がくるのだと思う。

タイトルにした下の記事は、昨年9月に書いたもの。書いたけれど、これだけは結局公開しなかった。
だけど我が家にも不安な冬を越えて春が訪れ、ふたたび穏やかな日々が戻ってきたのを感じている今、だれかに伝えてみたいと思った。

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夫が、うつになった。

うつ気味、うつっぽいとかそのあたりの境は不明瞭だけど、ともかく心療内科にかかって、抗うつ薬と睡眠薬を飲みはじめた。

そしてわたしは、このことを今も夫から知らされてない。

夫の書斎にある本棚に本を取りに入ったとき、袖机の上に無造作に置かれていた薬袋を見て知った。会社の昼休みに、ひとりで受診したみたいだった。

夫の変化には前から気付いていたし、夫婦でそれに関する話もしていたから、病院にいけたということについては、安心した気持ちがまずひとつ。
なんで言わないんだろう、とは思わない。夫が言いたくなったら言うだろう。

結婚以来、いつも週末が近づくと「今週末はどうする?」と家族の予定をたててくれていたのは夫だったんだと、こうなってから気づく。
ちょっと遠くの公園にピクニックに行こうとか、あそこのモーニングがおいしいらしいから、みんなで自転車で食べに行ってみないかとか。

家族の時間をなにより大切にしていた夫が、家から出る意欲を失った。

小さな異変も、日常にたくさん散らばっていた。

洗濯機をまわしてから息子と寝室に入ると、何も言わないのに干して残りを終えてくれていた。
それが最近は毎回、洗濯機に中身がまだ大量に残りっぱなし、ふたが開きっぱなしでなぜか一部だけひっかけるみたいに不格好に干してある。
浴室乾燥のボタンも押していない。

もう、夫の頭のキャパは限界なのに、それでも干そうとしてくれたのがわかるから、わたしはちょっと泣いた。

几帳面できれい好き、服も仕事道具もきちんと整える夫の書斎が、驚くほどに散らかっている。
休日の夕方は音楽をかけながら通勤の革靴を磨いていたのに、その姿もしばらく見ていない。

夫は穏やかでやさしくて、まじめな人だ。

「仕事がつらい。くるしい。眠れない。なんか今は、生きてるだけで精一杯なんだ。なにもする意欲がおきない。家のことも、思うようにできていなくてそれもつらい。ごめんね。」
ある夜、そういった夫の声も指も、小さく震えていて、わたしはすぐに休ませなくてはならないと思った。

会社の人から見れば、きっと夫はなにも変わっていない。タフな業界で休まず、立ち止まらず、ずっと一線で働いてきた。何年も何年も毎日変わらずにそれを続けて、強いとさえ思われているはずだ。自分で声をあげなければ、分からない。

わたしは夫に、とにかく仕事から離れてほしいといった。転職先が決まったらとかじゃない。今、会社を、やめたほうがいいと思う。
なにも心配しないで、それが何年になったっていいからエネルギーがたまるまで休んでほしい。
休むのこそが一番の仕事だ。
だからそういうことも伝えたけれど、夫は一度休むと今いる場所には戻れないといって休まない。
ただの1日たりとも、休まない。

わたしの意見を聞いていることさえつらそうに見え、わたしも夫を傷つけているような気持ちになる。

今いる場所に戻れなくたって、いいんだよ!!
できるなら夫の肩をゆさぶって、大声で伝わるまで言いたい。
どうしたら、伝わるのだろう。

息子がまだ小さかったころ、繊細な息子を案じて、夫とよく話していたことがある。
もし将来、学校のいじめとか本人の力でどうしようもないことがあったなら、わたしたちが環境を変えよう。息子が「毎日がつらい。明日がこわい」と思わない場所を探そう。
息子が過ごしやすいところなら、地方に行ったって、外国に行ったっていい。
仕事もリモートができないのなら、その地で新しく探せばいい。家族3人が笑っていられたら、それでいいんだから。浮草のように、生きていこうよ。

わたしは、息子と同じように夫にだってそう思っているのに。これまで一番の責任を抱え、家族のために走り続けてきた夫と、バトンタッチするいい機会だとすら思ってる。わたしにできることはなんだってするつもり。どうしたらちゃんと伝わるだろうか。

うつになろうがなんだろうが、夫は夫。
風邪をひいたようなもの、という言葉をどこかで見たけど、ほんとにその通りだと思う。

調子が悪い日もあれば、よさそうな日もある。
結婚10年ではじめて訪れた、「病めるとき」。

これを乗り越えたとき、間違いなくわたしたち家族の絆と思いやりはより深いものになる気がしていて、これこそが夫婦なんだなぁ、と感じている。

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このときから半年が経ち、夫は違う会社にうつるという選択をし、今はすっかり前向きないつもの夫らしさを取り戻した。
考える力も決断する力も弱まっている中で、大きな強い流れがふいにあらわれて、自然に今いる場所に運んでくれた。
もちろんもしかしたらこれも、大きな波の中の小休止なのかもしれないけれど。だけど、きっと、大丈夫。これから先も、いつなにが起きたって家族が一緒にいれば、それさえあれば大丈夫なのだと、そう思っている。


これを書いたとき、家族とはいえプライベートな病状をここにかくことに、正直わたしは気がさした。だから、いつかこの記事はやっぱり消すかもしれない。
でもわたしの毎日の暮らしには、家のことがあり、息子のことがあり、食べたものがあり、夫のこともある。これもたくさんの中の、一部。

だからときどき、書くかもしれない。

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