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【毒親おかん】理不尽な言葉たち

今回は、つまりはおかんの【暴言集】です。


その①

『あんた、こんなパンツまで、親に洗わせるのか!!!』


わたしは、自分の初潮の時期を覚えていない。

まず、異変に気付くのが遅かった。
僅かな出血を、パンティに残していたらしい。

母親が鬼のように怒って、
事情のわからないわたしに怒鳴りつけてきた。

「あんたは、こんなパンツまで、親に洗わせるのか!!!」と。

それを聞いてもピンとこない。
だって、初めての生理の最初の出血。

グイッと押し返されたパンティを
訳もわからず受け取るので精一杯。

あれから、生理止まったよ。
よっぽどショックだったんだな。

ちなみに、この頃、パンティを
買ってもらったことがなかった。

母のお古の、汚れのマシなのを
こっそり履いていた。
正直、情けなかったな。

気づいているんだから
買ってくれたってよかったのに。
おかんのお古、キモかった(泣)

その➁

『あんたはスタイルがいいからまだいいよ、顔は皮一枚のことだからね~』

 この言葉を何度、繰り返し言われてたか…。そう、中学生くらいの頃から。「おやすみ」を言いに行くと、決まって言われました。そうしてわたしはブサイクであるという事を、言われ続けたのです。
 また、わたしの手足を見て、「いいわね~」とか、言うのです。若さをうらやむのです。バカじゃないか?と思いました。わたしは、何があろうと、そんな、若さををうらやむようなことはしないでおこうと心に誓った理由でした。

その③

『これ着なさい!!!』

 小学校6年生の時に、わたしは物凄い成長期を迎えました。一気に身長が30㎝も伸びました。普通、親って子供の成長を喜んでくれるものではないのでしょうか? 
 わたしの成長期は親にとって、迷惑、あるいは無関心だったみたいです。靴のサイズが合わず、親指のところがいつも破けるのですが、それで通学させられていました。また、ある時には、お出かけするときに、わたしの着る服が無く(サイズがあうものがなかった、おかんが洗濯をさぼってたのもあると思う)、なんと、おかんの古着を着せられるはめになりました。
 とっても嫌でしたが、仕方がない。てろんてろんのナイロン生地に、変なプリント柄、そしてなんと首下に紐があって、それを蝶々結びするという…。なんとも、小学生に着せるにはかわいそうではありませんか? ちなみに、成長したといっても大人サイズでは勿論無いので、ぶかぶかです。そんな奇妙な格好で、おかんの用事が終わるまで、妹とそこの近くの公園でブランコ遊びしていたのですが。通りかかった数名のまったく見知らぬ男子たちが、わたしの服装をみて、「だっせー!!」「ぶすー!!!」って叫びだすではありませんか…。ショックでした。でも、だからと言って、服を買って貰えるわけでもないので、本当に、苦痛でしたよ。そう、そういう事を言われたって事も、もちろん毒親にはお話しません。どうせ、なんか言い返されるだけだから。傷が深まるだけだから…。

その④

『人間のクズッ!!!!!!!!!!!!!』

 こう、怒鳴りつけられた時には、
もっっっっっっっっのすごい、ショックでした。
いや、ショックのあまり、動きが止まりました!!!

 留年したんです。大学。言い訳をさせてください。わたしの大学のわたしの言ってた学部は、毎年、1/3の2年生が、3年生に上がれないくらい厳しい名物講義が、二つほどありました。高校では、理数系をほぼやらなかった純文系のわたし。なのに経済学部に進学してしましました。
 この理由についてもいろいろ毒親が関係してます。まず、わたしは正直いいまして、早慶しか考えられなかったのです、志望校が。成績も、高校で行われた一番最初の模試で、学年1位になりました! びっくりしたのはわたしも、友人たちと同様ですが…。で、たまたま志望校を父母の出身校にしていました。当然A判定です。余裕です。最初の最初から、滑り止め程度の大学だったわけです。でも! そこしか行かせてくれないのです。毒親が。
 「家から通えるところしかダメ」「東京なんか行ったら生活費出さないからね」と言われました。何度も何度も何度も何度も。
 生活費くらいアルバイトをすれば良かったのでしょうが、あまりにも成績が優秀だったため、進路相談もされなかったのです、わたし。なので、志望校も「東京は受けないのか?」と聞かれることも多かったのですが、「家が許してくれないんで…」としか言えずでした。国公立を受けるという選択肢もあったのですが、わたしたちのクラスは相当変わったカリキュラムだったので、5教科の成績でいうと、さっきも言った通り理数系を高1のときしかやっていないとかで、クリアすべきハードルがとてつもなく高かったのです。
 ま、わたしの行きたいところは、早稲田の政経学部だったわけですよ。政治がしたかったんですね。なので、地元の経済学部を受験して、当然合格するわけですが、その時になって初めて、「政治学部」が「経済学部」の中にあるのではなくて、「法学部」の中にある事を知るわけです…。はぁ。
 話は、ぐるっと回りましたが、そんなわけで、学びたくもない数式だらけの「経済学部」に誤って、入学してしまったのです。
 また、体育会系サークルに入ったことで、授業に出席することができなかったのです。「え?」って思われるかもしれませんが、サークルの幹部(3年生)に、「この曜日は1年生(ボール拾い等、雑用係)が足りない!!!!」と言われると、「え? わたし、行かなければいかん?」ってなんだかすごい圧を感じて、行ってた訳です。断ることができなかったんですね。あるいは従順すぎたんですね。そんなこんなで出席日数も足りなければ、勉強もおろそかになってゆく…。そんなこんなで単位を落したわけです。恐怖の1教科。
 あ~~~~、思い出すだけでも、ショックです。さ~~~~~~~~~っと、血の気が引く思いがしました。お先真っ暗、どんより、どん底、です。3年生になるための必須科目を落したので、わたしは3年生から所属するゼミに入る権利が無くなった訳なんです。
 それまで、ゆるっとしたゼミにいて、「3年も今のこの友人関係でゆるっとしたゼミで…。」と思っていたのが、全員とお別れです。今でも覚えています。大教室で、皆に、「わたしは単位落した」とお知らせした時の、皆のびっくりした顔…。ああ…。もぉ…。うううううううううううううううぅう。
 本当にショックだし、立ち直れないし、もう学校もやめたい気分でした。もともとわたしは、働くことに憧れがあったので。それもいいかなって。
 いろいろ思い悩みました。ひとりっきりで。

 そんなとき、おかんから言われたんです。いや、怒鳴りつけられたんです!! 鬼のような形相で!!! 『あんた! 恥ずかしくて隠してたんやろ!! 単位落すなんて、人間のクズッ!!!!!!!!!』って。

 あぁ…。あぁ…。どうしてこんな親を持ってしまったのだろう。わたしの悩みを察してくれるどころか、クズって。クズ…。
 行きたくもない大学に行かされて、勉強苦労して、クズ呼ばわりされて。最悪の学生時代の思い出です。つらいですね、思い出しても。あの頃。
つらい。つらい。つらい。つらい思い出だー-----!!!!!!!

その⑤

おかんの、おとんと結婚した事への言い訳

 おかんは、わたしが小学校3年生の時に、「今度こそ離婚する」と私の前で泣いていたわけですが。結局、何十年たった今もずるずる結婚してます。
 おかんは言うのです、わたしと妹に。

 『わたしは好きで、おとんと結婚したわけじゃないのよ。お願いだから結婚してほしいって。してくれなかったら死ぬって。そう言われて、無理に結婚を迫られたのよ』 『新婚旅行も、すぐには逃げられないように、当時は週1しか飛行機の飛ばなかったグアムに連れていかれた』 『家事、育児、何もしなくていい、君は君の好きな事だけしていてくれていいと約束してくれた』などなど、のたまわっております、おかん。
 そして、本人不在なわけですから、おとんの悪口を言いたい放題です。いつも。必ず。嫌そうに。気持ち悪そうに、嫌味を言うのです。さいっていなおかんですよね。思春期の子供に、聞かせるものではありませんよね。
 ちなみにそれは今現在でもそうです。3階建てのおうちの、上と下に住み分けていて、昔は、それでも仮面夫婦だったのですが、最近では、もろに喧嘩してます。戦争中です。それを、子供たちに隠すこともありません。家族LINEで、おかんはおとんの悪口を、言いたい放題です。おとんは反応しません。そうでしょうね。でも、一度、物凄い反論ありました、びびりますよ。「嘘言うんじゃない!!! 明日の空気を吸えなくさせてやるぞ!!!」って。スクショでも撮ってればよかった。ケタケタ(笑)。
 おとんはおかんのことを『同居人』といいます。一度おかんが、おとんとの性交渉もないのに、【性感染症の子宮頸がん!】を発症した時に、おとんは海外にいたわけですが、「かわいそうだから、お見舞いに一時帰国してあげてよ」って電話で言うわたしに、おとんは、「いい気味だ」と言い放ったのでビビりました!!!
 そして、結局、手術で摘出・入院したおかんですが、わたしが片道1時間もかけて車で2日おき程度でいろいろしにいってた訳ですが、一度同行したおとんは、なんと。お見舞いの言葉を言ったのかどうかわたしは知りませんが、2人にしたので、ただ、おとんの姿が見えないな~と、廊下をぷらっと歩いてた時、おとんが超陽気な声でげらげら笑いながら、公衆電話で誰かと話しているのを目撃した時にはビビりました!!! 今でも、耳に残ってます。あんなに明るい声で話すおとん、知りません(笑)。

 おとんは海外赴任が多かったわけですが、一度、定期便のお手紙を無断で拝見したところ、おとんからおかんへ「子育てひとりに任せて悪い」とかいろいろ、おかんが【していないこと】に対しての、いたわりの言葉がたくさんあって、『どんだけ、おかん、嘘ついてるねん』と思ったわけです。
 育児? してる? いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいー------------------やいや!!!
 家の片付けの掃除もできないおかん。いつもリビングルームに掃除機が、ホースもだらっと出しっぱなし。それがおかしいって事に気付いたのは、お友達のおうちに遊びに行ったとき、とても整理整頓されたこぎれいなお宅で、当然、掃除機なんでありませんでした。なので。
 うちの、お風呂にはナメクジが湧くし、黒カビだらけだし。料理もせん。子供に飯を作ったりしなかったわけです。だから、妹は、食堂のある私立中学校に入学したので、わたしの苦難はわからないと思いますが、中学時代、いつも、【まっちゃっちゃのお弁当、時々汁漏れあり】を持たされていて、友人の前で恥ずかしくて、隠しながら食べていたものです。また、夕食の残りのおかずをそのまま入れるものだから、汁が漏れて、いろいろ、カバンも、カバンの中も汚れて超迷惑でした…。そして愛情を感じたお弁当は一度もありませんでした。
 子供を朝起こすときも、自分がまだ寝ていたいものだから、ベッドの中から「起きろーー---!!!!!」ってがなり立ててました。笑えるね。バカじゃないか?と思います。また、朝食を、わたしは作ってもらった覚えがありません。作り損ないみたいな、ぐちゃぐちゃの形をした卵焼きが、たまに、お皿にぽんに置かれたくらいです。もちろん、配膳なんてしてくれないので、運ぶのは自分です。ちなみに、妹は和食系だったので、(あるいはその頃から、すでに妹ひいきしていた?)きちんとおかずも準備されて、食べてましたね、食べるものがあるので、遅くなって、おかんが学校まで車で送ってるみたいでした。あれ? わたし、同じ学校なのに、自力で電車通学してるぞ?? っていう突っ込みはもうどうでもいいか。とにかく、優しく起こしてくれるお母さんってのが世の中にいるってのはテレビドラマで知りました。
 あと、洗濯もしないですねー。だから、溜まります。そうすると、たまにまとめ洗い、まとめ干しをして、「今日は洗濯機を何回も回した!!!」とかって、威張るんです。ばかじゃないのか? 毎日しろよ、何日分も溜めるから、こっちは制服のシャツも着るものがなくなるんじゃないかよ、ほんとバカだな、あいつ。迷惑です。
 家事をしないわけなので、高校生くらいでは、【ヨシケイ】とか利用してましたね。共有の洗面所・脱衣所・リビングルームは、わたしが、気が向いたら綺麗にするのですが、すぐごっちゃごちゃにしちゃいます。困ったおかんです。ちなみに、たまたま知ったのですが、それは昔からの事だそうでした。昔友達付き合いをしていたおかんの友人が、お店(小さな雑貨店)を開いたというので、応援にかけつけたわけですが。その人が、昔近所に住んでいて、幼少期のわたしを見ていたらしいです。なので、「大きくなったねぇ」と言われ、過去話になったのです。その時に聞きました。「(わたしたちの)幼稚園バッグを、ぽーんってほうり投げてる頃と変わらないね」と言われてるのを。普通は、きちんとカバン置き場(あるいはかけるところ)があって、そこに置いておくでしょう? それすらできないダメな親だったんですね。なので、わたしは、小学校年少の頃、しょっちゅう名札をなくしていました。おかんが管理不足だったのねって思います。ま、わたしも、そんなおかんの子なので、管理能力が無かったのだと思いますが。本当、ダメな親を持ったものです…。とほほ。

ん-。長くなりすぎたかな?

 この辺で、第一回、おかんの愚痴大会は終わりにしますね。
 ここまでお付き合い頂けたのなら、ありがとうございました!


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