篠原理央

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与えられていないものを与えるのは難しい。

自分が子供の頃に親から与えられていなかったものを、 我が子に与えるのはとても難しい。 (子育てに限らず、他者に対しても応用可能) 与えられたかったと思うものは全て、与えようとする際には、「想像の世界での理想」として作られている。 理想の愛情、理想の環境、理想の関係、理想の知識、理想の考え方。。 自分が得ていないものや、知り得ない体感を、 我が子にだけは与えてあげたいと思った時、 与えてもらいたかったという隠れた欲求に蓋をして、我が子に関わっている可能性がある。

    • 子どもに何を差し出すかということ

      こどもに幸せになってほしい。 必死に子育てをしながら、成長を感じ、きっと子どもに必要だと感じるあらゆることをささげていることでしょう。 今や、たくさんの習い事や、子育てのツール、いろんな情報にあふれています。 多くの親は、親がたてたアンテナにひっかかってきた情報をもとに、 必要だと感じたものを、子どもの目の前に差し出してゆきます。 子どもがそれを選択するかもしれないし、 こんな子になってほしいなと与えるかもしれません。 ママが褒めてくれるので、うれしくてたまりません。

      • 退院後その後②(過去記憶記事)と今の私の思い

        熱性痙攣といえど、とまらなければ入院になります。1泊2日の入院もカウントすると、入院回数は3歳までに22回です。今となっては、因果関係にこだわりすぎても、我が家のケースの場合、原因から対処方法を導き出すのは、なかなか困難だということはわかります。 原因追求からヒントを得られる事を期待し続ける事が足かせとなり、現状が置き去りになってしまうのでは意味がありません。現実逃避せずに、今、起こっていることに、早期に対処する事が、今を変える一番の方法でした。 仮説や予測をたて、現状に

        • 退院後のその後①(過去記憶記事)

          私は当時、こどもが大学病院を退院してからずっと、因果関係の追求にこだわっていました。なので、看護師が誤薬をしたことはほどなくして薄れ、何が原因で眼球偏位がおこったのか、が気になって仕方なくなっていきました。 誤薬により、致死的な危機を体験することになっていたならば、気持ちはまた違ったかもしれません。幸いにもそれは免れる事ができました。 仮説にはなりますが、もしかすると、本来なら程度の大きな痙攣が起こるというシナリオを、偶然にも抑えた可能性もあるかもしれません。 いづれに

        • 固定された記事

        与えられていないものを与えるのは難しい。

          そもそも入院に至った経緯(過去記憶)

          もうすぐ2歳になる頃の娘はいつでも、食べるという事が大好きでした。 朝起きると一目散に、食卓にある椅子に後ろ側からよじのぼり、着座するのが定番です。 なぜなら、食卓の椅子に座れれば、すでに朝食があるもんだから、食べたい本能で一目散だったわけです。 座ったならばモリモリ食べるのがいつもの様子なのですが、とある時、そのいつもの光景が見られず、うつむき加減のまま、まるでフリーズしたかのように時々止まってしまう様子を発見します。 動きが止まるなんてことは、それまでなかったため、その

          そもそも入院に至った経緯(過去記憶)

          子どもの入院で感じた事(過去記憶)②

          溢れた涙に寄り添い、そっと同じ時間を過ごしてくれました。ただ、そこにいるだけで本当にありがたく、そして、大丈夫と言い続けてくれました。 後になって思うと、この大丈夫は、きっと、どちらに転んでも大丈夫だよ、だったのだと思います。 何ががあってもどんな事でも、大丈夫なのだと。 何故、声をかけてくださったのか。私の不安を感じとり、そして支えになろうとしてくださる気持ちと行動の中にあるもの。 いままさに壊れそうな、その繊細な部分が理解できる過去の経験がありました。 人は、自

          子どもの入院で感じた事(過去記憶)②

          コミュニティクラッシャーにに対して、一般的に言われているような解決策だけでは、悩んでいる人が健全な心を保ちにくいケース。どうサポートするのがよいか真剣に考えている今日この頃。でも、やはりその人の心を守りたい。自分軸をみつけてほしい。明日もまた考え続けます。

          コミュニティクラッシャーにに対して、一般的に言われているような解決策だけでは、悩んでいる人が健全な心を保ちにくいケース。どうサポートするのがよいか真剣に考えている今日この頃。でも、やはりその人の心を守りたい。自分軸をみつけてほしい。明日もまた考え続けます。

          こどもの入院で感じた事(過去記憶)①

          子どもが1歳の頃、この子は脳腫瘍かもしれません、と言われて入院した事があります。 その日の晩、酸素と点滴につながれて、モニター音だけが響く病室の中で、この子は一体何のために生まれてきたんだろうと思うと、にじみでてきてしまう涙をひとぬぐいして、 けれども、これ以上に大きく泣いてしまえば、そうであると認定してしまうような不安が気丈にさせ、それ以上は泣けない複雑な自分がいました。 翌日になれば詳しい検査がなされ、はっきりするのだけれど、ずっと病室でモニター音を聞き続け、我が子

          こどもの入院で感じた事(過去記憶)①

          パパとママ、子どもの事をどっちがやるか論争

          子どもの事をどちらがやるか論争。 トレパンを替えてあげる、トイレについていってあげる、食事のサポート、お風呂入れ、幼稚園、保育園のお迎え、習い事の送迎、参観日の出席、運動会の親子競技の出番や役割、などなど。 シチュエーションは、まだまだ山ほどあります。 お互いがお互いを、思いやれたらいいのですが、 忙しい時や疲れている時、自分の事をわかってほしいタイミングがお互いに合わない時、歩み寄るのが大変な時もあります。 ただ、ひとつ。子どもの前でだけは、その言い合いを、うっか

          パパとママ、子どもの事をどっちがやるか論争

          怒られるのが嫌だからやらない、喜ぶのが嬉しいからやる

          どちらも結果としては、理想とされる行動であり、日常生活の中で大きな問題になりません。 ●怒られるのが嫌だから挨拶をする、お礼を言う ●喜ぶのが嬉しくて挨拶する、お礼を言う 同じ結果であっても、喜んでもらえて嬉しいと、他者の喜びを、心から自分の喜びに出来てゆくのは、後者の方です。 これは、自分を好きでいて、自分を信頼できるように、人が運んでくれる感情のプレゼントです。 これを大好きな存在である両親が、身近で体感させてくれる事は絶大であり、信じる力を育み、人を素直に愛せ

          怒られるのが嫌だからやらない、喜ぶのが嬉しいからやる

          教室の中で、個性への対応が進む世の中を願う

          当時、小学校4年生になる男の子は、 その年の4月から週1回、通級教室に通うことになりました。 3年生として過ごした1年間。辛い経験を重ねた1年でした。 集団生活の中で、周りと同じように出来ない時、先生に注意を受ける事が続きます。 先生が注意しつづけるごとに、周りのクラスメートから雑な扱いをうけていくようになりました。 先生が男の子に対応する姿勢は、クラスメイトにジリジリと影響を与えていました。 先生が、出来ない事をイライラしたり、馬鹿にしたように注意しつづければ、

          教室の中で、個性への対応が進む世の中を願う

          この感覚を体感して欲しい。子どもから得られる素敵な我慢。

          何度言っても伝わらない、最初は小さく諭していても、だんだん期待値と態度の差が開いていき、最後にはイライラして怒ってしまう。 そして、怒れば怒るほど上手くいかない。 こう言う時は、親の方も、もう感情コントロールが不能な状態ですよね。 人間だもの、そう言う事もあるでしょう。自分を癒し許した後は、新たな実験をしてみてください。 実験だと思っていたら、少し上手く出来たりします。 怒っても怒っても上手くいかない事に対して、いちど怒るのをやめてみる実験です。 そこが気になると

          この感覚を体感して欲しい。子どもから得られる素敵な我慢。

          大きな劣等感を抱かせないために、得意な事で克服する機会を与えよう

          劣等感を感じる時、それはどんな時でしょう。環境だけの視点からみると、その背景には、優越感の中にいる対象者の存在があります。優越感とまでいかずとも輝かしい存在です。 少なくとも自分より何かが出来ている存在。 競争が激しい環境で、より生れやすいとされていますが、優越感も劣等感も全てが悪ではありません。誇りにもなれば、向上心の糧にもなります。強くなりすぎて、ねじれると、糧になり得ず悪のようになるだけです。 人にはだれしも得意不得意があります。走るのが苦手、理科が苦手、料理が苦

          大きな劣等感を抱かせないために、得意な事で克服する機会を与えよう

          普段の生活の中から自己肯定感を育む土台をつくる

          子どもは、ぼく、わたし、すごいでしょ、と言ってくるところを認めてあげると、とても嬉しそうな表情をみせてくれますね。 そして、パパママにとっても、さほど難しくない受容だとおもいます。 過剰なアピールでない限りは、あたたかく受け止めてあげることで、次へのモチベーションを上げる事ができます。 ここで、過剰なアピールでない限りは、というところが気になったかもしれませんが、認めてもらいたい表現があまりにも過剰な時や、現実と大きくかけ離れている時は、その可愛いビッグボイスを認めつつ

          普段の生活の中から自己肯定感を育む土台をつくる

          コンプレックスがもたらす悪口

          マウンティングしたり悪口を言っても仕方ない。いい事は何も生まない事は、頭では、わかっている人がほとんどです。また、幼い頃から、悪口を言って人を傷つけてはいけません、と習っています。 悪口の本当の弊害は、人を傷つけるだけでなく、自分を傷つけている事にあります。それは自分のコンプレックスはここです、と手をあげているようなものだからです。 時には、黒い気持ちと戦い、誰かに共有してもらいたい時もあると思います。それに、そもそも感情に蓋をする方がよくないのでは、と思う時だってあるか

          コンプレックスがもたらす悪口

          子どもがして欲しい事を、まず先に満たす

          自分の中で培った正しい事や有益な事を、我が子に伝えていきたい時に、親としては、すんなりと伝わってほしいなと思うことが多々あると思います。 多くの事を惜しみなく差し出していく時に、親側が思う有益な事を不自由なく与える事により、こどもを支配しないように気をつけなければなりません。 こどもはきっと喜ぶはずだ、これがあれば幸せなはずだ、将来の役に立つはずだ、と親側から与えたものが、子どもの気持ちとリンクしているか、子どもの様子や背景をしっかり見守りながら、時々、みなおしていく事も

          子どもがして欲しい事を、まず先に満たす