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教えたがりの息子は私の少し前を歩いている

火曜 朝

「ママ!見て!蟻さんが2匹もいる!!春が来たんだよ!!蟻さんのお家、ご飯なくなったんだね。」

一緒に過ごす時間が長い春休み。
この「ママ!見て!」が一日に何度も繰り返される。
あまりの回数に、あーー反応したくないなぁーと思ってしまうのも正直なところだ。

時々塩反応な母なのに、それでも息子は私に何もかも教えたがる。

「ママ!見て!てんとう虫がいるよ。てんとう虫はね、イチゴを食べるから赤いんだよ。」

「ママ!見て!恐竜の形の雲あるでしょ?あの雲ってね僕を追いかけてくるんだよ。幼稚園最後の日から追いかけてきてるんだ。」

「ママ!見て!お月様が白いでしょ?お月様ってね朝になると白くなって寝るんだよ。」

こんな風に、息子的解釈を加えて、彼の目に映る全てを私に教えてくれる。

「僕はね、ママの知らないこと、たくさん知ってるんだよ」

まるで、僕はこの地球上の全ての事実を知っているんだと言わんばかりに、自信満々にそう話すのだ。

「ママ!見て!」
パンツを下げた息子に手を引かれトイレまで連れていかれた。

「ママ!見て!!う●ち、2つでた!!大きいのと小さいのと。ふふふ。あっちがママでこっちが僕だね。」

生まれて初めてう●ちを自分に例えられた。
「お前はう●ちだ」と誰かに言われたら間違いなく不快に思うだろうに、この時私は全く嫌な気持ちがしなかった。

息子のおかげて、私が見ている世界もキラキラと輝きはじめたのだ。
それはトイレの中、便器の中身ですらだ。

息子は4歳になり、急に成長した。

息子の見ている世界は、“ママから教えてもらう世界”から“自分で見て知る世界”に変わったのだろう。

私に手を引かれ、隣を歩いていると思っていた息子が、いつのまにか私の手を離し、少し前を歩いているように感じる。
そして、振り返っては「ママ見て!」と、息子の目に映る全てを後ろにいる私に教えようとしてくれているのだ。

でも、いつの日か、振り返ってその可愛い顔と声を向けてくれることもなくなり、その背中すら遠く離れて見えなくなってしまうのだろうか。

そう思うと、私に全てを教えたがる今が愛おしくとてつもなく幸せに感じられる。


さて、春休みも折り返しだ。
今日も長いようであっという間な一日が始まった。

今日は「ママ!見て」を何回聞かせてくれるのだろう。




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