僕は今を生きる
携帯電話が壊れ、データが無くなってしまった。
これも自分が悪い。
今までの僕が記録していたものは、これで全て完全に消えて無くなりました。
パソコンの外付けハードディスクに保存した今までのすべてのデータも、実は去年、僕のミスでデータが飛んでしまい、それも今では存在しません。
オンラインでバックアップもしていませんでした。
なので、もう、どこもありません。
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僕が今まで生きた証としていた、日記や想い出。
メール、手紙、宝物。すべて。
自分で作ったもの。集めたもの。貰ったもの。
大切にしていたもの。
完成していても、形にしていなかったもの。
未完成でも残していたもの。
独り言日記も。すべて。
存在しないのではなく、僕の中だけのものになりました。
僕らの真実は神様にしか分からないのですが。
僕の中だけに、その答えがあるのです。
僕の世界の、僕の物語は、僕の中だけにあるのです。
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僕は「幸せになる為に」
と、自分の命だけを懸けて(賭けて)しまっていたのです。
色々あったけれど、僕は命懸けでした。
これは、あの一件だけの話をしているのではありません。
そして僕は死にかけました。
ただ人間はそう簡単には死ねないのです。
そして神様、仏様、ご先祖様。
僕を愛してくれた人たちは、それを由(良)しとはしないのです。
僕は過去に囚われているのです。今でもそうかもしれません。
過去に執着し、現実や自分と向き合わず。
認知の歪みと、ここでは言いますが、何も解かっていなかったのです。
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自分が生きてきた過去、人生は否定できません。
過去を変えることは出来ないのですが。
自分がどう生きるか次第で、今これからの自分次第で、過去の自分の肯定を出来るような気がするのです。
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想いは言葉に届かない。言葉は想いに至らない。
今まで色々ありました。
これからも色々あると思います。
言いたい事もあるのですが、今は仕方がない。
生きていくしか道は無いのだから、そう言うのです。
言葉にするのは何でも容易いのですが。
傷は消えません。いつかは癒える日が来るのかも知れません。
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時間が解決するとは言いたくありません。
やっぱり、あったことを無かった事にはしたくないのです。
ただ、それも僕の目線、視点の話です。
僕らはいつまでも、そこで何もせずに、立ち止まってはいられないのです。
なぜなら、僕らは死ぬからです。
時間は過ぎていきます。
変えられない真実と言うのは、
僕らは絶対に確実に死ぬという現実だけです。
だから、自分を変えられるのは自分だけなのです。
自分を救えるのは自分だけです。
過去も未来も、現在の自分次第なのです。
そこまで息苦しくなるような、
大変で難しい話ではないと思うようにしています。
実際は大変です。生半可なものではありません。
中途半端な気合や覚悟では出来ません。
不安ばかり、不安しかありません。ごめんね。
ただ、ゆっくり、自分のリズムやペースで生きていけばいいのです。
ただ、自分だけで、自分の力や世界だけで生きていけると思い込んでいるのなら、それは笑えない冗談や、子供の戯言と一緒だと僕は思います。
運命や誰かを呪い恨む気持ちも、僕は解らないとは言いません。
感情は僕の十八番です。
ただ誰かが死なければ、誰かの命と引き換えにしなければ分からない。
そんな僕らの時代は終わりにしたいのです。
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いつの時代も、どの世界にも夜や闇は存在していると思います。
だから、それに飲み込まれてしまわないように、巻き込まれて自分を見失ってしまわない為にも、僕らには光が必要だと思うのです。
生きる力は、光を生むため。幸せや運命に触れる為に、運命や宿命はあるのだと今は考えているのです。
別に僕の話なので、人様にとやかく言われる筋合いは無いのです。
報われるかどうかは自分次第なのでしょう。
どう理解して解釈するかは、腑に落とすかは僕次第。
うまくいかない事もあるのも現実で。
どう生きるかは自分次第。
僕も君も、今でも立ち止まっている、退屈で暇な時間や人生は無いのです。
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みんな人生、色々あって今ここ。それでも僕らは生きていく。
世の中、そんなものです。
笑えない事も、仕方がないとは言いたくない。
死にたくなる事も、これからも何度もあるはず。
死にたいと発狂する時も何度もあると思います。
それでも、幸せになる為には、
幸せに生きる為に、僕には今やる事があるのです。
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卒業式の切なさのような。
失った特別な感情や存在。喪失感。
これも一生だと思う。
それすらも人生、みんな度合いはあれど同じ。
狂信的、妄信的にならなければ、一方的な偶像崇拝でもいいと思う。
最高に幸せな瞬間もあれば、
不幸が重なってしまう最悪な瞬間もあると、解っています。
「みんなに生かされた」
「御陰様で生きています」
と言える僕には、今を生きる力があるのだと僕は言います。
そして死ぬまで解らない事、死んだってわからない事に、いつまでも僕らの限られた時間を、有限の人生を、割くわけにはいかないのです。
だから、僕は自問自答し続けるのです。
僕は僕の声を聞くのです。
君の声が聴こえなくなっても、僕は僕の中の君の声を聴くのです。
何度でも言います。
運命は変えられると僕は知っています。
それは僕が生かされたからです。
僕は今までの後悔や過ちや、無様な痛々しい過去の自分を経て、運命を信じているのではなく、解っているのです。だから僕らは生きるのです。
感謝が出来ないのは、自分の姿が見えていないから。
己のその無様さや、過ちに気が付かないのです。
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今まで僕が生きた証としてきたものは、僕の心の中だけに大切に締まっておくべきものなのです。
それは、人様に伝えたり魅せるようなものではないのです。
僕はこれから「僕の生きた証」を形にして残していく。
それは自分の為だけの、自分の中だけのものでなく
「ありがとう」
と伝えたい人たちに宛てて。
大切なのは、正しく伝えられるように清書にする事だと思う。
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そう簡単に「生き辛さ」や「自分の問題」みたいなものから解放されたり解決する話ではないと思う。
ただ「生き辛い」と叫び続けているだけでは何も始まらないし、何も生まれない。何も解からないし、変わらないし、変われないのです。
今を生きるのは、自分の人生は、幸せとは、自分で決めるだけです。
ただそれだけ。それだけでしかないのだと知ることが出来ました。
ありがとうございます。
ただ、その為に失ったものは大きいという事も重々承知しています。
犠牲ではないけれど、喪ったものは大き過ぎたと思います。
僕を生かしてくれた人や全て、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
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「命の重さは重くも無ければ軽くも無い」
これは自分の言葉に重みが無かったから言えた言葉なのでしょう。
人生哲学なんて解ったような、偉そうなことは言えないのですが。
足るを知り、身の丈に合うように。
地に足つけて、自分の正義や美学と共に生きていたいと今日も想うのです。
いつか逢える日まで。幸せになるまで。
今の自分がすべての答えだと僕は言います。
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改めまして、はじめまして。
散文。
群像する僕らの人生は、振り返れば。
床に散らばったままの日記をただ眺めているだけのようなもので。
生きる事は辛い。ただただ辛い。
だから僕はロックをやっているのだ。
ロックは音楽の話をしている訳じゃない。生き様の話だ。
繰り返される諸行無常と、繰り返した口癖とまた罪悪感だ。
そして僕らの業は一生続くのです。