Panorama Panama Townとサリンジャー
岩渕さんが、昨日伝えようとしてくれたことについて考えていた。
そして、今日は『REBEL IN THE RAY』という映画を見た。
先に言っておくと、めちゃくちゃ読みにくい文章です。
思ったことを構成なんか気にせずに、ギリギリ取りこぼさないように、書きました。
言葉にすることで失われる種類の心の動きがある。
今まさに言葉にしているゆえに失われていく物も、もちろんある。
しかし、「言葉にしてある部分を失う」という犠牲を払わないことには、完全に消えてしまう物事もある。
ある部分を失い、いくらか形が変わってしまう、その犠牲を払ったとしても残したい物事。
そして、言葉にできない領域に属する物事がある。
言葉にできないと書くことで、その領域にあるものは守られるかのように思える。
しかし実際には、そこにある物事を、そのままの形でとどめておくことはできない。
言葉にしないことで、守られているように思えて、守られているわけではない。
猶予が与えられるだけだ。
「無理に言葉を与えること」を拒めば、はじめは元の姿で、その物事を自分の中に再現できるかもしれない。
しかし、結局それも時間とともに形を変える。
時には美化されたり、また時には醜化されたり。
言葉を与えても、与えなくても、
(その過程と辿り着く場所は違えど、)
おそらく心の動きのほとんどは、そのままの形で持っていることはできない。
大好きなバンド、PanoramaPanamaTownのライブ。
そして、サリンジャーの映画。
そこには通ずる心の動きがあった。
書けない、書きたくない、無くしたくない、無くなっていく。
行き場のない色々なこと。