予測不能な旅、音楽の謎と魅力
「君がそばに居てくれないと困るのに」と言いたくない
本日も休憩がてらに書いてみよう。
今日は朝から、将来のこと・今やりたいこと・それにつながる学びとは何なのか、などいろんなことを考えて疲れてしまった。
「なんか疲れてしまった」という歌詞で始まるPanorama Panama Townの「Black Chocolate」という楽曲がある。
この曲を初めて聴いた時、
「君がそばにいてくれないと困るのに」という歌詞にはあまり共感したくないと思った。
共感されたいが為に作ってる訳でもないと思うから、だからなんやって話なんだけども。
あまり他人に依存せずに自分軸をしっかりと持って、自分の思う方に進んでいける人生でありたいなと思った。
結局人間は、互いの全てを分かり合うことなんて到底できないと言う意味でずっと孤独だし、
その中で誰かの存在を求めてしまったら、よりその孤独が深くなる気がする。あまり精神に良さそうじゃない。
とか言って、私にとって「君がいてくれないと困るのに」の「君」は音楽であり、その中でも特にPanorama Panama Townなのだけど。
最近の流行りサウクラディグ
最近ちょっと自分の中で流行っていることがある。それは、Sound Cloudで、古い曲のカバーを探すこと。そしてその中でお気に入りを見つけること。趣味として音楽を楽しんでいる「アマチュア」と称されるであろう人たちの、個性あふれる音源がたくさんある。
そのブームの中で見つけたお気に入りはこれだ。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」をカバーしたこの音源。スタジオで録ったのだろうか。
その空気感が伝わってくるような音源により、何か過去の「ある空間」を垣間見ているような感じがする。
この曲をアップロードしている人が何者なのか全く分からなくて、そういうところに何かロマンも感じる。しかもこの曲がアップロードされたのはもう八年も前らしい。タイムカプセルやん。
時代も言語も越えてた
尾崎紀世彦といえば、やはり「また逢う日まで」が有名な曲で最も知られているが、他にも素敵な曲はある。
例えば「この胸のときめきを」とか、たまに聴いてしまう。昭和感溢れるサウンドで、耳につくから聴いてしまうのかなと思う。
で、好きでたまに聴くねんけど、これも歌詞には共感できなかったりする。というか時代を感じる。
「君は僕のものだもの」という歌詞がある。
語られつくした議題かもしれないが、人はものじゃないという点でまず共感できない。
そして何よりも、この詞には時代の雰囲気が色濃く反映されていると感じる。家父長制というかなんというか、男性の下に女性がいるという感じ。
曲全体としては縋っている感じもあるが、それでもなお。
男性が働きに出て、女性は家事をする、世話をする。そういう、女性の立場がまだ弱かった時代を感じさせる。
今この曲が出たらどうなるのかなと、ちょっと考えたりする。
──と、つらつらと書いてしまったが、よくよく調べてみるとこの楽曲、元はイタリアの楽曲だそう。それも起源が1965年ごろだとか。
原題は「Io che non vivo senza te」で、 「君なしに生きていられない僕」という意味だそう。まさかのここで、Black chocolateの歌詞とちょっとリンク。
作詞は、VitoPallavicini(ヴィートパラヴィチーニ)という、イタリアの1924年生まれの人だった。
そしてこの曲、かの有名なエルヴィス・プレスリーもカバーしていた。
まじで、かっっけぇ...。
で、以下が、作曲者で創唱者であるPino Donaggio(ピノ・ドナッジオ)による歌唱。
ちょっと良すぎるな。
ほんまにこの曲、世代も国も超えていて凄いなと思った。音楽の良さが集約されていると思う。
言語の壁や時代を越える。音楽。壮大で自分の悩みとか全部ちっぽけに思えてくる。
思いもよらぬ結末
ところでこの事実によって、先に語った昭和感だとか家父長制の雰囲気だとか、そう言うものについて再考が必要となってくる。が、その件についてはまた機会を改める。長すぎる。
今回もう少しだけ書きたかったのが、
「Baby you're mine」という歌詞が終盤で繰り返されるこの曲のことなのだが、これもまた機会を改めた方が良さそうだ。