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野間秀樹著『韓国語をいかに学ぶか』(平凡社新書,2014)の「はじめに」と目次を読む

ここでは,ことばを学ぶ方々への渾身の応援歌,野間秀樹著『韓国語をいかに学ぶか--日本語話者のために』(平凡社新書,2014)の「はじめに」と「目次」を読むことができます.原著は縦書きです.段落の始めの1字開けや傍点を削除するなど,原著とごく僅かに異なるところもあります.原著は新書判,371頁の本です.日本語や英語や独仏西露中,アイヌ語や漢文や日本語の古文など,韓国語以外の言語を学ぶ方も大歓迎です!

   

はじめに


本書の問いはこう立てられている。韓国語=朝鮮語をいかに学ぶか? 韓国語はいかに学べばよいのか? どう学んだらいいのか? 

でも本書は、韓国語を学んでいる方、学ぼうとしている方のみならず、韓国語を全く知らない方や、韓国語を学ばない方にも開かれている。およそ〈ことば〉というものについて考える、あらゆる方にも開かれている。

どうしてだろう。答えはいつも問いの中にある。

   韓国語をいかに学ぶか

 という問いは、実は三つの問いを併せ持っている。第一に、韓国語という特定の言語をどう学ぶかという問いである.

   ① 韓国語(このことば:原著ではルビ)をいかに学ぶか

同時にこの問い①は、次の②のような問いでもある。

   ② 韓国語(こういうことば:原著ではルビ)をいかに学ぶか

 世界には八〇〇〇とも言われる、様々な言語がある。韓国語に似た言語もあれば、およそ似ていない言語もある。その言語のある部分は韓国語に似ていて、他の部分は全く似ていないなどということもある。この問い②は、韓国語と何かしら共通点があるような言語、韓国語のようなタイプの言語、こういう言語を学ぶときにはどうしたらいいかという問いでもある。

もちろん、実はこれは他のいくつかの言語を知ってこそ立てうる問いである。韓国語のような言語とはどんなことばなのか、それを知ること自体が、エキサイティングに面白くもまた有用である。さらに深く掘り下げようとすると、第三の問いが横たわっていることも、しばしば垣間見えてくる。

   ③ 韓国語(ことば:原著ではルビ)をいかに学ぶか

 韓国語という個別の言語をいかに学ぶかという問いは、右のような普遍的な問い、〈ことばをいかに学ぶか〉という問いでもあることにたどり着くであろう。

これは随分と大きな問いである。何よりも日本語も〈ことば〉だし、多くの人は学習して獲得する、例えば英語やドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語といった、いわゆる「外国語」も〈ことば〉である。「国語」の時間に学んだ日本語の古文、あるいは漢文などという言語も〈ことば〉である。こうした様々な〈ことば〉を貫く、何かしら一般的、普遍的な〈いかに学ぶか〉という問いだってあるかもしれないではないか。それにことばは私たちの思考を形造ったり、〈知〉を形成する担い手でもある。言語が私たちの存在の深いところに関わっていることは間違いない。だとすると、これは深い。面白そうだ。

 要するにこういうことである。やみくもに、韓国語ってのは――などと当たっては、まず砕ける。これは芸がない。当たって砕ける路線は、本書の好むところではない。韓国語という言語を学ぶには、韓国語に特有の、韓国語にのみ当てはまる問題があり、韓国語と他の言語にまたがる問題があり、言語一般に広く渉(わた)る問題があって、それぞれを区別しつつ、うまく見きわめてゆくのが、私たちにとって役立つし、私たちを奮い立たせてくれるし、そして面白いのである。

 〈韓国語をいかに学ぶか〉という問いには、今一つの隠し事がある。それは〈誰が〉学ぶのか、という主体の問題である。英語を自分の言語とする人々、つまり英語母語話者と、日本語を自らの言語とする人々、日本語母語話者とでは、いかにも学び方だって違ってきそうなものではないか。大人と子供だってことばの学び方は違うだろう。ではそれらはなぜ違ってくるのか? 実は学ぶ〈主体〉ごとのそうした〈違い方〉の中にも、面白い秘密が隠されている。学ぶ〈主体〉、私たち自身や、私たち自身の言語をも今一度対象化して学ぶという構えが、ここでは大いに役に立つ。 

まとめよう。本書が述べてゆくのは、基本的に次のようなことが中心である。

   日本語で生まれ育った人々が、韓国語をいかに学ぶか

その際に、他の言語圏の人々のことも時々考えに入れると、これがなかなか面白く、また役に立つ。ゆえに本書ではしばしば触れることにする。

実は、〈韓国語をいかに学ぶか〉という問いを考えることは、韓国語を学ぶ方法を考えることを突き抜けて、私たちが〈言語を学ぶ〉とはどのようなことなのかといった、非常に広く深い問いの沃野へと、飛び出し得る道筋でもある。言語。学習。知。私たちが生きることと言語。他の言語も本当はこうした大きな可能性への契機を有するのだが、学習者が日本語母語話者であることによって、韓国語の持つ可能性はいよいよ巨大である。このことも本書で語られるであろう。

謂わば、本書は〈韓国語を学ぶ方法〉、〈韓国語の方法〉の本であると同時に、言語を貫く、広く深い知の沃野へと旅立つ〈韓国語という方法〉の書でもある。

 問いと問いに秘められたことどもが、とりあえず明らかになった。ではこうした様々な問いに答えてくれる学問はないのか? ある。それが言語学であり、応用言語学や言語教育という分野である。日本語と韓国語を照らし合わせながら見る学問は、日韓対照言語学と呼ばれる。

言語学などと言ったが、案ずることはない。本書は、高校生にも楽しめるように書いてある。もちろん中学生だって、スーパーな小学生だって、大歓迎である。〈ことば〉こそは、老いも若きも、誰もがそこに泣き、そこに笑い、そこに生きる、母の懐のようなものである。言語学や言語教育を始めとする、言語をめぐる膨大な知の蓄積が、〈韓国語をいかに学ぶか〉という問いを考える、胸もときめく時間へと導いてくれるであろう。

ここだけの話であるが、韓国語を学ぶ学ばぬに関わらず、〈韓国語をいかに学ぶか〉という問いを考えることは、どれだけ遠慮がちに言っても、心ときめく面白い世界である。

 野間 秀樹

目次


はじめに

第1章 韓国語=朝鮮語は学びたくなる言語である
1.1 韓国語を学ぶと、三つ嬉しい
1.2 文法の相似形
1.3 体験する言語

第2章 学び始めに--始め佳
(よ)ければ日々(ひび)是好日(これこうじつ)
2.1 始めは全ての半ばである
2.2 〈話されたことば〉にとって発音は全てである

第3章 言語から学ぶ--楽しみの座標を知る
3.1 文字と発音を学ぶ..文字の中に音があり、音の中に文字がある
3.2 語彙を学ぶ--方法の快楽
3.3 文法を学ぶ--その「文法」では話せない
3.4 表現を学ぶ--日本語に照らす

第4章  〈教える〉ことから〈学ぶ〉--師よ、師たちよ!
4.1 教えてみよう--ことばが要る
4.2 先生は? 学校は? --こうなっている
4.3 日本における教室で
4.4 なぜ、何を、教師は学ばねばならないのか
4.5 言語教育よ、ことばについて考える時間たれ

第5章 学習書に学ぶ
5.1 優れた学習書とは? 優れた教科書とは?
5.2 入門書を選ぶ--それが人生を決める
5.3 中級への道、中級からの道
5.4 上級の沃野(よくや)

第6章 他に照らし、自らを鍛え、共に在る
6.1 対照言語学的視座..母語から出発せよ・他を照らし自らを知る
6.2 共にある私たち 共にある言語

あとがき

日本語の五十音をハングルで書く
ハングル字母表 反切表
母音字母とその辞書順
終声と終声字母
参考文献

amazon:
https://www.amazon.co.jp/dp/458285737X

紀伊國屋書店
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784582857375

honto:
https://honto.jp/netstore/pd-book_26199654.html

e-hon
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=978-4-582-85737-5


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