第2回|リヨン便り1 地域のものを受け継いでいく宿より(湯澤規子)
人文地理学者の湯澤規子さんと景観工学者の真田純子さんの、「食 × 農 × 景観」をめぐるおいしい往復書簡。記念すべき最初の書簡は、湯澤さんから真田さんへ、調査で訪れたフランスのリヨンからのお手紙。旅の始まりは、地元の風景をつくってきた「ワイン」を飲むことからでした。
地域の過去をリノベーションするということ
フランス、リヨン近郊のタラールという町の宿の一室からお便りします。
町に宿は2つしかなく、一つはビジネスホテル。そしてもう一つは20世紀初頭にこの地域で盛んだったモスリン工業の会社のために建てられた邸宅をリノベーションした宿です。織物と労働者の生活についての研究をするためにこの地を訪れたので、もちろん迷わず後者を選びました。真田さんが取り組んでいる「石積み」や「風景をつくるごはん」に共通する、「地域のものを受け継いでいく」という考え方をつくづく考えさせられる宿でもあります。
ごつごつした壁の風合いや窓枠の重厚さは残したまま、丁寧に手入れされている印象です。
手渡された鍵で入ってみると、壁全体は淡い水色、壁面から天井にかけて鳥の群れが飛んでいる絵が描かれています。中央にある大きなベッドにはモスグリーン、淡い水色、薄い焦げ茶色、壁際のソファーはグレーがかった紫のフレンチリネンがかかっています。カーテンはモスグリーン。絶妙な色加減の調和が、古い建物をむしろ引き立てているように感じました。なるほどね。こういうことか、と一人納得顔の私が部屋にポツン、しかし楽し気に興奮気味に過ごしている私の姿を想像してみてください。
こんなふうに書くと、高級ホテルかと思われるかもしれませんが、一泊13000円くらい(朝ごはん付き)です。
“超”地元のワインはボジョレー
私が宿泊している1階の部屋は(オランジェリールームという名前がついています)、広い中庭に向かって大きな窓が3つあり、夜明けの風景を眺めることができます。ブ―ブー、と何かブザーのような音がして外を見ると、それは庭に放し飼いになった孔雀たちの鳴き声でした。そういえば昨日、ちょうど7時頃に孔雀たちが朝の挨拶をするよ、と宿のオーナーが言っていたことを思い出しました。窓を開けたらそこを平然と孔雀が歩いている、なんて!そして、教会が朝の鐘を鳴らしています。そうか、異国に来ていたんだっけ、と自分を納得するのにちょうどよい、朝の出来事でした。
昨日の夕方に宿に着いた時に「夜7時にアペリティフがあるので、ご一緒にどうぞ」と声をかけられました。アペリティフとは、本格的な夕食の前に食前酒とちょっとしたおつまみのような食べものをつまむ習慣なのだそうです。約束の時間にダイニングルームに行くと、ワイングラスを5つほど手にもったオーナーが待っていて、「今年のボジョレーヌーボーあるけど飲む?」と一言。はい、飲みます、飲みます、と私。そういえば、ボジョレー地方はリヨンの北側を含む地域を指していることを思い出しました。日本でボジョレーヌーボーを飲もうというと、なんだか流行に乗っちゃって(かつては、ですが)、という感覚でしたが、こちらでは、まさに「超」がつく「地元のワイン」。ボジョレー地方の風景をつくっている「ワイン」を飲むところからフランス調査が始まりました。
そろそろ、朝ごはんの時間です(フランスではもうすぐ朝の8時)。
8時から朝ごはんですけど、5分くらい遅れてきてくれると嬉しいわ、とオーナー。
時間の感覚がのんびりしていて、自然体で、そんなささやかなことにも心が動きます。フィールドワークの醍醐味といったところでしょうか。
それでは元気に「ボンジュール」といいながら、ダイニングルームへいざ参りたいと思います。どんな朝ごはんだったか、続きは別便で書きますね。
プロフィール
◆湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
1974年大阪府生まれ。法政大学人間環境学部教授。博士(文学)。「生きる」をテーマに地理学、歴史学、経済学の視点から、当たり前の日常を問い直すフィールドワーカー。編著書に『食べものがたりのすすめ―「食」から広がるワークショップ入門』、絵本シリーズ『うんこでつながる世界とわたし』(ともに農文協)など、「食べる」と「出す」をつなぐ思索と活動を展開中。