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命に嫌われている

生きてます。こんなタイトルの歌ありましたよね。結局のところ、生きたいって言うメッセージの言葉だったけれど。

18の時に死のうとした。

20の時に死のうとした。

22の時に死のうとした。

3×の時に…

どんどん死刑宣告は伸びていって。怖いからって伸ばしているだけかもしれない。でも本当に鬱がひどくなればなるほど希死念慮に晒されていっときは自分で自分が制御できなかった(今も違う意味で制御できないけど)。あれは確か推しの舞台の直前で。階段に吸い寄せられるように歩みを進めていた。あと少しで階段から落下するところだった。直前で止まった足元を見て自分は何をしようとしたのか分からなかった。そのことを医師に相談したら入院できる病院に転院させられるし、そこの転院先の医師と意見が合わなくてまた戻ってきて「死なない約束」をした。

希死念慮って死なない約束をしても無意味で。浮かびたくない思考回路と戦ってる。口頭での約束はあまりにもちっぽけなものにしか見えなくて結局また死のうと繰り返す。

どれもこれも家庭環境の悪さとパワハラが生んだ結果であると悟った時、誰かに謝ってほしかった。家庭環境の悪さは父親がハッキリと言った。「精神的ネグレクトを受けさせてしまった」と。パワハラ先からは何も言われない。源泉徴収票すらも送られてこなかった。

置き土産という名のフラッシュバックは至る所で起きてしまう。例えば今なんて特に。若者のスーツ姿を見るだけで起こしてしまう。入学式かもしれないのに。電車内にいるだけでも、立っていても歩いていても作業していても何をしても思い出す。思い出して罵倒されて苦しんで。

この間、お風呂場でフラッシュバックを起こして気がついたら必死に「思い出すな、思い出すな」って繰り返していた。

バタフライエフェクトだなんていうけれど、そんなのが存在していたならもっと早くハッピーエンドに向かいたい。このルートは正しいのか知りたい。

結婚がゴールだなんていうけれど、特に身近にいる異性に対して嫌悪感しか抱かない自分としてはきっとヘテロじゃない。何より今は自分の性別すらも迷子だ。「かわいいね」って言われるたびに吐き気がする。「可愛い格好」をする自分はいるけれどそれに対して他者からの感想に可愛いは求めていない。

話はそれてしまったけれど、そもそもこの身体でこの家庭で産まれ育ち生きていることが間違っているのだと思う。

だから何度でもいう。

命に嫌われている。

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