期待しない
どうも西尾です。
今日7月9日は「ジェットコースターの日」、「グラフィックTシャツの日」、「泣く日」などの記念日になっているそうです。
今日も全国的に暑い日になりますが、無理せずに過ごしていきたいです。
期待しない
先日、書店にて一冊の本が目に入った。
正確な本のタイトルは覚えていないのだが、“期待しない生き方”のようなタイトルだったと思う(間違っていたらすみません・・・)。
何だろうか。
気になったと言えば気になったが、中までは読まなかった。
“期待しない”という言葉がずっと頭の中に引っかかる。
期待しない。
私は何事にも期待してしまうタイプだと思っている。
日々の生活でも色々と期待してしまう。
今日はスーパーに行くと大好きなクロワッサンは購入出来るだろうか、本屋さんに行って目当ての本を購入できるだろうか、どうか宝くじ当たってくれ、散髪屋さんは他にお客さんが少ないと嬉しいな…などと色々挙げるとキリがない。
これはある種、性格の問題なのかもしれない。
小さい時から色々と期待してしまうタイプだった。
私は電車が好きだった(今も好きですが・・・)。
学校からの帰り道は途中の踏切で電車を見れることに期待していた。
見れた時は嬉しかった。
高校生になると電車通学をするようになる。
電車が好きな私には嬉しいことだった。
テスト期間中などは午前中で学校が終わることが多く、夕方とはまた違った駅の様子を見れることに嬉しく思い、大事なテストはそっちのけにしていた。
皆、電車内で英語の単語帳や社会科の教科書を開いて勉強をしている中、私の視線は車窓に釘付けであった。
一応、私も単語帳や教科書を広げて勉強している風を装ってはいたが。
“風”なので、英単語や教科書の内容は頭に入っておらず、頭に入っていることと言えば〇〇駅の留置線に電車が停まっていたなどのどうでもいいことばかりで、結局、テストでは赤点をとることが多かった。
そんなある時、電車の中に素敵な女性が座っていた。
その女性も制服を着ていたので高校生だと思われる。
狭い地元だから制服を見ればどこの高校かは直ぐに分かる。
その女性の名前も知らなければ、年齢だって知らない。
学年が一緒なのかどうかも。
私には話しかける勇気は無かった(今もそんな勇気はありませんが・・・)。
その女性を見掛けてからは、今日も乗っているだろうか、と少しの期待を胸に抱きながら毎日電車で通学していた。
ただ、実際のところ、始めて見掛けた後は一度か二度くらいしか見掛けなかった。
その女性が通う学校の方が、より地元に近い場所にあり、何かの都合で朝早い電車に乗っていただけのことだと思われる(私の通っていた学校の方が少し距離があり、その分朝の早い電車に乗らなければならなかった)。
高校生の頃には電車から異性へと期待の文字が飛躍することもあったが、こうして思い返してみると、やはり自分は期待してしまうタイプなのだと思う。
期待してしまうタイプだということは、期待通りにならなかった時のショックも大きかったりする。
試験などでも期待していた通りにならずに、思いのほか点数が低かったりして大きなショックを受けたことが何回もあった。
始めて告白した時だって。
…
あれから、既に10年近く時が経つ。
私の期待してしまう性格はあまり変わっていないように思う。
やはり今でも期待してしまう。
だから、“期待しない”という言葉に引っかかったのかもしれない。
期待しない。
期待するということは悪いことでは無いと思う。
しかしながら、過度に期待し過ぎたり、何でもかんでも期待し過ぎるのはよく無いのかもしれない、と近頃は考えたりもする。
些細なことであれば“期待しない”もしくは“あまり期待しない”くらいをベースにした方が良いのかもしれない。
クロワッサン食べたいけど未だ売っていればラッキーだな、宝くじ当たればラッキーかな、と言った具合だろうか。
もちろん、期待する対象の事物や状況にもよるとは思う(大事な試験や出来事だとどうしても期待が膨らんでしまう)。
“期待しない”からと言って、別にネガティブに捉えるわけでも何でも無いし、寧ろ、ポジティブに“期待しない”ようにしようと思う。
ポジティブに期待しない、というのは少し難しいかもしれないが。
2024年も7月に入り半分が過ぎた。
下半期が始まったばかりである。
2024年下半期はポジティブに“期待しない”もしくは“あまり期待しない”ということを心掛けてみても良いように思っている(勝手に下半期の心掛けを設定してみた)。
期待しない。
そういう考え方も時には有りなのかもしれないな。
以上になります。
お読みいただきありがとうございました。