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【短編】『コンピュータが見る悪夢』(中編「密売人」⑧)

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コンピュータが見る悪夢
(中編「密売人」⑧)


 その日は、今まで盗んだことのないものに挑もうとしていた。地球を襲う宇宙人と人間が戦う戦闘モノのテレビゲームだ。表紙には真夜中の空に飛ぶ宇宙船と、銃を構えた地球人が燃え盛る地上で待ち受けている情景が描かれていた。そのシンプルで分かりやすい構図が一番にフィルの目を引いた。フィルは今まで一度もゲームをしたことがなった。父はおもちゃもゲームも何も買ってくれたことはない。唯一買ってくれたものといえば、ニーチェの「道徳の系譜学」という本ぐらいだった。表紙には十字架に貼り付けられた男とその周りを取り囲む歪んだ不気味な顔たちが描かれている。もちろん中に絵など描かれてなく、文章だらけのページを見て読むことを諦めた。その本が棚から取り出されるのは父が暴力を振るう時ぐらいだった。

 フィルは代金を払ってものを買うことにすでに抵抗を覚えていた。ゲーム機は箱に包まれ、リュックに入れるには大きすぎた。そこでフィルは手ぶらでスーパーへと訪れると、真っ先にバッグの売り場へと歩いた。大きいリュックを手に取ると、そのまま背負った。これならゲーム機が入るはず。同じ足でゲーム機の棚の方まで歩くと、前に見た宇宙船の表紙のゲーム機が自分のことを待ち焦がれていたかのようにひっそりと待機していた。フィルは両手にそれを抱え、ゲームで遊んでいる未来を想像して目を輝かせた。

 スーパーにはレジカウンターはなく、黒いセルフレジの機械が並んでいるだけだった。フィルはオレンジジュースや、牛乳、シリアルの箱をカートに入れ、数人並んだ列の後ろに立った。リュックはすでにいっぱいでジュースも牛乳もシリアルも入らない。仕方がない。ゲームの値段よりは断然に安い。フィルは十三歳にしてすでに高度な金銭感覚を持っていた。商品の値段を暗算することはお手のものだった。

 商品のバーコードを順に読み取り、ビニール袋に丁寧に入れた。ポケットに入った小銭を取り出すと、必要な分だけ開いた穴の中に放り投げた。

「お買い上げありがとうございます」

 機械から女性の透き通った声が響いた。機械の周辺からは店員がこちらを監視している。リュックとリュックの中身が盗品であることはバレていないようだ。フィルはそしらぬ顔でスーパーの扉へと近づいていった。もちろんリュックとゲーム機の箱についたタグはすでに破り捨てている。扉の前のセンサーさえ通り抜けられればゲーム機はもう自分のものだ。あと一歩のところまで来ていた時、男の声がした。

「君、ちょっといいかい?」

 フィルは恐る恐る声のした方に顔を向けると、店員は自分ではなく別の客の方へと歩いていった。すると自分の後ろに並んでいた同じ年頃の男子が引き止められた。どうやら、商品のバーコードを読み取らずに、ビニール袋の中に入れたらしい。フィルは冷や汗をかいて一目散に扉から出ていった。危なかった。バレたかと思った。でも違った。盗みは成功した。もう心配する必要はない。激しく打つ鼓動を落ち着かせようとなん度も自分に言い聞かせた。

 しかし一向に心臓のリズムは速度を落とすことはない。この異常な緊張感はどこから来ているのだろうか。念願のゲーム機を狙ったことで、失敗することによる自信喪失を恐れているのか。他の万引き犯が捕まっているところを目撃したことで、それを自分に当てはめてしまっているのか。もしくは、ゲーム機を手に入れたことに底知れぬ興奮を覚えているのか。自分の心の声を聞き取ろうとしても、どれもしっくりくる答えではなかった。

 もう忘れよう。不安なんてない。今目の前にあるのはずっとやりたかったゲームだ。フィルは抱きつつある喜びを実感しながらスーパーの裏までゆっくり歩いていくと、道端に置いておいたキックボードに両足を乗せた。その時、突然物陰から誰かの声がした。

「おい、ちょっと待って」

 店員ではなかった。一回り大きい体格の若い男がこちらを睨みつけていた。高校生か大学生くらいだろうか。清潔感のある白いシャツとジーパンを着て、左腕には高そうな黒い腕時計をつけていた。危険を感じたフィルは、咄嗟にハンドルに両手を当てて発進しようとした。しかしすぐさま別の手がハンドルを握った。

「待てって言ってるだろ?」

 男は焦るようにフィルに言った。

「ちょっと聞きたいことがあるんだ。このキックボード、どこで買ったんだ?」

 フィルは一瞬背筋が凍った。もしかするとこの男が元々の持ち主かもしれない。自分はこの男からキックボードを盗んだのかもしれない。そう悟った。

「えっと、ネットで――」

「本当か?」

「うん」

 男の手はまだハンドルを強く握りしめたままだった。男は苛立った様子を見せながら質問を続けた。

「いくらで買ったんだ? 俺もこれがほしいなって思ってさあ――」

 男の声には、早くキックボードを取り返したいという欲が滲み出ていた。

「覚えてないや」

「そうか。なんて名前だ?」

「忘れちゃった」

「おい、忘れるわけないだろ? お前が買ったんだろ?」

 男の口調は徐々に強まり、善意と悪意が混ざり合ったしわくちゃな顔になった。フィルはキックボードを置いて、すぐにその場から立ち去りたかった。今まで店員にも盗品の持ち主にも見つかったことがなかったために、この窮地を切り抜ける方法が思いつかなかった。

「いや、実はお父さんに買ってもらったんだ」

 気がつくと、フィルは話を作り上げていた。

「三年ぐらい前にお父さんに買ってもらったんだ」

「なんだって? さっきいくらで買ったか覚えてないって」

「うん、間違えた」

「間違えるわけないだろ? おい、お前嘘ついてるな?」

 フィルの内心に土足で踏み込んできた男は必死にフィルを悪者扱いした。フィルは男の狂気に圧倒され恐怖を覚えた。

「これ、本当は俺のだと思うんだ。どう思う?」

「えっ」

 フィルには男の言っていることが理解できなかった。自分のものであれば勝手に持っていけばいい。仮に他の人のものでも自分が欲しいのなら取っていけばいい。なぜこの男はキックボードを自分のものだと主張した上に、こちらにそれを確認してくるのだろうか。フィルには男の真意がまったく読めなかった。

「わかった。さっきは声を荒立ててすまなかった。もしよかったら一緒に警察に行かないか? そこで言ってほしいんだ。これは自分のキックボードではない。あなたのだって」

「なんでそうしなきゃいけないの?」

「だってほら、もし今ここでキックボードを取っていったら、俺が盗んだみたいになるだろ?」

 男の急に優しそうに振る舞い始める行動にどこか違和感を覚えた。フィルは一度黙り込むと、ビニール袋をハンドルに掛け、背負っていた重たいリュックを腕に抱えた。数秒目を瞑って自分自身に決心を促すと、目を開けた途端に勢いよく男に向かってそれを投げ飛ばした。すぐさまキックボードに乗り込み、ハンドルに両手をかざした。男は道路に倒れ込むと、腰を痛そうにして立ち上がった。

「何すんだ! お前!」

 男の怒鳴る声が聞こえる前に、すでにキックボードは発進していた。高速で道を駆け抜け、いつも見る街の景色など目に入ってこないほど、フィルは逃げることで頭がいっぱいだった。後ろを見る余裕もなかった。あの男はきっとこの三年の間、ずっとキックボードを探していたに違いない。先ほどの怒っているのか優しく問いかけているのかわからない言動はフィルの頭をさらに混乱させた。あの男はきっと罰を与えたかったのだろう。三年間味わった苦痛を自分にも体感させてやろうと企んでいたに違いない。しかし、なぜ急にあんな優そうになったのだろうか。男の抱く感情とこちらに向ける言葉が一致しないことにフィルは腹が立った。

 日が沈みかける前に家に戻った。父は家にいなかった。フィルはすぐにキックボードを自分の部屋のクローゼットの中に隠し、ベッドに横になった。それにしても今日は疲れた。いつもより一日が長く感じた。ふと我に帰ると、大事なことを思い出した。あの時、ゲーム機の入ったリュックを男に放り投げてその場から逃げ去ってしまったのだ。ずっと待ち焦がれていたゲーム。手にした喜びはあっという間に何者かによって奪われた。お金を失ったわけでもないのに、ひどく喪失感が残った。

 フィルは不貞腐れながら父の帰りを待った。しかし、その日父は帰らなかった。一週間が過ぎても家に戻ることはなかった。フィルの心に不安がよぎった。

中編「密売人」⑨ に続く


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