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【短編】『ジョルティン・ジョーの鼻』(前編)

ジョルティン・ジョーの鼻(前編)


 家を出てからかれこれ5年が経とうとしていた。私は20歳を迎えても自立せずのらりくらりと親の脛をかじってばかりいたためにとうとう愛想を尽かされ親勘当されたのだ。私に唯一残されたのが愛犬のジョルティン・ジョーだった。ジョルティン・ジョーは私が家を出ると悲しそうな顔を見せのこのこと私のあとをついてくるので、仕方なく親はジョルティン・ジョーを手放したのだ。そのジョルティン・ジョーが唯一家から持ち出したのが、私が小さい頃父親とキャッチボールをする時に使っていた野球ボールだった。野球ボールはやがてジョルティン・ジョーのおもちゃとなった。グローブはどこかになくしてしまった。

 私はそれからのことイタリア国内を転々としながら居住地を変え、安い賃金の仕事にありついてはすぐに辞めさせられる始末であった。その怠慢な性格に関しては家を出た当時と今と何ら変わりなかった。しかし、ジョルティン・ジョーの餌を買うためのお金を惜しむことは一切なかった。実際には一度も正式に購入したことはなかったのだが。ジョルティン・ジョーには感謝していた。ジョルティン・ジョーがいなかったら私はどこかでのたれ死んでいたに違いなかった。私の生きる唯一の目的はジョルティン・ジョーと人生をともにすることだった。しかし、それを続けられるのもあと少しだった。犬の寿命は平均で10歳から15歳と言われていたため、すでに寿命を迎えていた。

 ジョルティン・ジョーは私が10歳の誕生日を迎えた時に親が買ってくれた犬で、犬種はロマーニョ・ウォーター・ドッグだった。当時大の人気だったチワワやゴールデンレトリバーではなかったが素直に嬉しかったのを覚えている。ジョルティン・ジョーという名前は、メジャーリーグのヤンキースで強打者兼外野手として活躍したイタリア出身のレジェンドプレイヤーであるジョー・ディマッジオのあだ名からつけた名前だった。ディマッジオは外野手として特別に足が速いわけではなかったが、何故か気づくと打球の落下地点におり難なくボールをキャッチしてしまうのだ。彼は推測する力、そして判断能力が他の選手よりはるかにずば抜けていたのだ。それは打者としても同じことが言えた。ジョルティン・ジョーもディマッジオみたくどんなボールを投げても瞬時に予測し口でキャッチして持ってくるため、大の野球好きの父親がジョルティン・ジョーと名付けたのだ。そのためもともと母親がつけたドルチェ=甘いという名前を家で耳にすることは次第になくなっていった。ジョルティン・ジョーは家族に愛されてきた。私はジョルティン・ジョーを一緒に連れてくるべきではなかったと後悔さえした。自分が貧乏生活を強いられる状況を特に気に留めてはいなかったものの、ジョルティン・ジョーにも同じ環境を強いてしまうのが不満だった。だからこそ、仕事を探し続けることを諦めるわけにはいかなかった。

 ある時、新聞の求人広告を見に町の売店を訪れたのがきっかけだった。いつものように店頭に並べられた新聞を手に取ってはこっそりジャケットの中に忍ばせ売店を去った。いかにもただの通りすがりを装って売店から遠ざかっていくとすぐに、「万引きだ!捕まえてくれ!」という叫び声とともに中から店主が追いかけてきたのだ。私はしまったと思い、直ちにジョルティン・ジョーを連れて町を走り抜け路地という路地へと逃げ込んだ。生憎、私はジョルティン・ジョーを連れていたため、どこへ逃げてもジョルティン・ジョーが騒ぎ立て、もはや店主は私ではなくジョルティン・ジョーの鳴き声を追っているようだった。側から見ると、店の番犬が万引き犯を追いかけているように見えるが、実際のところはもっと複雑だった。店主は諦めが悪くどこまでも追ってくるため、ようやく撒く頃には町に夕日が差し込んでいた。

 私は近くの公衆電話ボックスへと急いだ。機械の下の隙間に落ちている小銭を手で繰り寄せ穴にコインを入れてからダイヤルを回した。手当たり次第広告主に電話をかけてみることにした。

「はい、もしもし。こちら郵便配達事務所ですが、どういったご用件でしょうか?」

「あ、求人広告を見て電話をしたんだけど、ですが」

私は社会に出る時期が遅かったこともあり、敬語を使い慣れてはいなかった。

「ご応募のお電話ですね。応募者ご本人様でしょうか」

「あ、はい」

「そうしましたら。」

「お名前とご年齢、ご経歴をお聞かせください」

電話はそう長くは続かなかった。電話の担当者は私の職歴を聞くなりあっさりと断りの言葉を添えて電話を切ってしまった。どの求人も私の職歴では務まらないとのことで、対応はさして変わらなかった。とうとう最後の求人広告の番号でダイヤルを回すと、ちょうど30分ほど前に採用が決まり募集を打ち切ったということだった。私はなんて不運なのだろうか。あの時万引きに失敗していなければ店主に追いかけ回されることなく仕事にありつけたというのに。と深くため息をついて落胆した。それを最後に求人広告欄は空白となっていた。私は気を紛らわそうとジョルティン・ジョーの隣に座って、表面に載った記事に目を通した。すると、ある見出しが目に留まった。


「今年はトリュフが豊作!」


と大きく書かれていた。私はそのトリュフという高級食材に興味をそそられた。何しろ親から勘当される前に一度高級レストランに連れていかれ、そこでの前菜に出てきたのだ。そしてトリュフを口にした瞬間、体全体に幸せを感じ世界が変わったのを覚えていた。私は記事を読み進めながら、その時初めてトリュフがきのこの一種であることを知った。と同時にその見出しの下に書かれている内容に目を疑った。


“あるトリュフハンターが発見したトリュフ100gが、オークションにて20万5000ユーロで落札”


20万5000ユーロは巨額のお金だった。大きな一軒家を三つも一括で買えるほどだった。オークションで売れたトリュフは黒トリュフのおよそ10倍もの価格と言われている幻の白トリュフであり、そのトリュフを掘り当て一攫千金狙うハンターが急増しているとのことだった。見つけ出したのはそのうちの一人で、なんでも訓練された犬がそのトリュフの匂いを嗅ぎ取って見つけ出したらしいのだ。犬の持ち主は3年も苦労して訓練した甲斐があったと喜びの言葉を残していた。その記事を読み終えてから、私は真剣な眼差しでジョルティン・ジョーを見た。ジョルティン・ジョーは、お腹が空いたという顔つきで私を見つめていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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