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【短編】『恐怖研究室』
恐怖研究所室
私はとある大学にて研究費を支援してもらいながらとある研究をしている。研究生はいないが、学内でもなかなかの研究実績を出していた。テーマは、人が感じる恐怖についてである。人が恐怖という感情を抱くが、その思考の仕組みだったり、身体や精神に対する影響だったり、また認識作用における主体・客体の関係性など広範囲にわたって研究をしている。実験は簡易的なものばかりだが、検証は教授自身も被験者となって行なっていた。ある時は、あらゆるホラー映画を題材に、人々の恐怖する瞬間を捉え、そのシーンの及ぼす視覚効果や認識作用を調査した。もちろん自ら映画を見ては、自己分析を経て恐怖を抱く因果関係を、個人の視点からもアプローチした。
その他には、事件・事故に遭遇した被害者へのインタビューを行ったり、逆にその事件・事故の加害者やそれを引き起こす原因となったものを調査したりした。それにより主体・客体の関係性が明確になってくるのである。ここで重要なのが、恐怖を感じて当たり前であることを当たり前と考えないことだ。例えば人に襲われただったり、殺人の現場にいたというものは、恐怖を抱くのは当たり前と思われるが、その当たり前という共通認識自体がどのようにして作り出されたのかというのが、恐怖という感情を研究する上でのヒントとなるのだ。
とても興味深かったデータが一つある。それは、恐怖を全く感じない人がいたことである。その人は、昔は恐怖を感じていたが徐々にその感情がなくなっていったそうだ。その人が言うには、「人は究極的には動物であり感情をコントロールできないのが自然なのだ。しかし、他の動物とは対照的に感情というものから逃げ、それを何かで補う形でこれまで発展してきた。そのため実際には感情から逃げているが、それをコントロールできていると社会的に錯覚しているのだ。だからコントロールできていないとわかった時に、焦ったり不安になったり恐怖を感じたりするのだ。通常であればカオスである状況に今では秩序がもたらされ、感情というものの本質から遠ざかって行っているのが人間なのだ。だからこそ、感情はコントロールできないと全て諦めてしまうことで、人は再び感情を取り戻すのだ。私はその諦めた側の人間なので、この社会における恐怖というのがいかにちっぽけかを知ってしまっただけだ。」とのことだ。このデータは特殊事例として参考にできそうだ。
大学からメールがあった。研究費を半分に削減するという内容であった。私は、大学側の意向にどうにも納得がいかず抗議したものの毎度のこと門前払いであった。理事長に直接申し出たところ、大学の経営が悪化し倒産寸前ということであった。入学者数は激減し、さらには施設の維持費の高騰などが重なり、最悪の状況だった。私は、引き続き研究をするためには、他の大学に移るべきかと考えながらも、仕方なく研究費の削減を受け入れ、研究を続けた。
ある日、研究所に戻ると携帯に留守電が入っていたことに気づいた。着信元は市役所であった。折り返し電話をかけると、担当の者が出た。以前、研究関連で許可申請を出していた件であった。私は、悪い噂のあるとある洞窟への立ち入りを試みていた。その洞窟はとある町の山奥にひっそりと存在し、今まで何人もの洞窟探検家が立ち入って別ルートでの脱出に挑んだが、重いトラウマを負って帰る者が続出したのだ。市は、その危険性を考慮して洞窟の閉鎖を決定した。そして、この度研究のため、洞窟に入ることの許可が市から正式に下りたのだ。私は、探検家の人々の恐怖体験をもとに自ら彼らの感じた恐怖の実態を調査しようとしていた。体験談についてだが、皆口を揃えて似たようなことを言うのである。「私はあの時頭がおかしくなった。気が狂った。自分が自分でないような気がした。まさに恐怖だった。出られたのが本当に奇跡だ」と。私は、絶好の研究対象と思い、期待の念とともに洞窟に入っていった。
洞窟の中は特に変わった様子もなく、通常の洞窟みたく、ゴツゴツとした岩肌で覆われており奥に進むにつれて鍾乳石が増えて行った。私は、1週間分の食糧と衣類を用意して、懐中電灯を照らしながら、自分が快適に過ごせそうな場所を探した。これを言うのはなんだが、私はこれまで数々の心霊スポットや廃墟などあらゆる恐怖にまつわる場所に一人で訪れてきたので、こういうのには慣れ親しんでいた。そして、毎度のこと怪奇現象に遭うことはなく、人々の信条が創り出す幻想の可能性があると研究の立場から考察していた。ちょうど、天井の鍾乳石から池に水が滴り落ちる箇所を見つけ、水分確保には文句ない場所だったため、すぐ側の平地を寝床にすることにした。日中特にすることがなく、持参した研究資料を読み進めた。
ある時、鍾乳石からの水滴が落ちるタイミングが変わったのがわかった。私は特に気にすることなく、資料を読み続けた。すると、突然地面が揺れだし、天井から石ころが降ってきたのだ。すぐに、ヘルメットを被って身を伏せた。さらに揺れは増していき、ヘルメットに石が当たる音が洞窟に響いた。私は、その時異音を捉えた。岩肌が軋む音がまるで何かが叫んでいるかのように聞こえたのだ。その叫びは人間の発するもののようでもあり、動物の泣き声のようにも感じられた。しばらくすると、揺れは止まりひっそりとした空間に再び同じリズムで水滴が滴り落ちた。私はすぐに足下の砂利を下敷きで掃いて綺麗にした。その地鳴りは、数日おきに響いた。私は徐々にこの環境に慣れていき、ある時は水滴の落ちるリズムが変わる前に地震を察知するほどであった。私はこの地鳴りが探検家の頭をおかしくするのだろうと考察した。この狭くて孤独な空間の中で異音を聴くことで、徐々に精神的を病んでいくのだと。とその時だった。微かに人の声が聞こえたのだ。この音は地鳴りでもなければ、動物の泣き声でもなく、確かに人が何かを発している声であった。誰かがこの洞窟に許可なく侵入したのだと思い、私はその声に耳を傾けた。すると、音は徐々に人間味をなくしていき、再び地震とともに地鳴りへと変化していったのである。しかし、私は確かに先ほど人の声を聞いたのだ。あれは、誰かが愚痴を吐いているか、誰かを叱り付けているような喋り方だった。私は、慣れない空間に何日もいることで頭が疲れて、錯聴しているかもしれないと思った。
ある日、私は地震を察知し、すぐさまヘルメットを取り出して揺れに備えたが、一向に地震は起きないのである。何も起こらずただ水滴が滴り落ちる音を聞いていると、一瞬音が止まった。と同時に、あらゆる異音が聴こえてきたのだ。その異音は徐々に人の声へと変化していった。その声は一層数を増やしていき、私はしっかりと声を聞き取ることができた。その一つは、まるで人生をやめろと言っているように聞こえたり、一方では、お前は愚かだと罵倒されているように聞こえたり、はたまた、お前にはまだ知らぬ恐怖があると言っているように聞こえた。そして、その聞こえてくる声というのは、私のものであったのだ。私は自分の頭のあらゆる考えが具現化して響いているのか、あるいは何かが自分に乗り移って言葉を発しているのか、またはこの声は実は自分自身が発しているのかと、様々なことを考えながらも徐々に正気を失っていった。私は何もかも置いて体一つで元来た道を辿っていった。声が聞こえているのか聞こえているのかわからない状態になりながらも、必死で岩という岩を駆け上った。そして、やっとのことで入り口まで辿り着くことができた。
すでに声はしなくなっていたが、体の震えは止まらなかった。近くの川で水を口に運び、ようやく落ち着きを取り戻して携帯を開いた。久方ぶりに電波が繋がり、すぐに警察を呼んだ。メールが一通届いており、中身を確認すると大学からのメールであった。大学が閉鎖するという本文とともに、推薦状が添付されていた。
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