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【短編】『飽くなきロマンス』(中編)

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飽くなきロマンス(中編)


 真っ黒な長い髪を肩まで下ろし、腰骨がくっきりと見えるほどドレスは彼女の身体にピッタリと張り付いていた。

「おい、遅かったじゃないか。待っていたんだぞ」

と何者かに声をかけられ私は我に帰った。視線を移すと、ダニエルがこちらを満面の笑みで見つめており、ハグを交わそうと両手を大きく広げていた。私も三年ぶりという懐かしさに彼とハグをしたいところではあったものの、つい今しがた起こった夢のような瞬間に動揺を隠せず、ただ目の前にいる彼の顔を認識することで精一杯だった。ダニエルはただ突っ立っている私にお構いなく背中に両手を回した。

「よく来てくれた。久しぶりだ」

「ああ、久しぶりだ」

「元気にしてたか」

「ああ」

彼は一歩後ろに下がっては私の身なりをじろじろと見て言葉を切った。

「おい、少し太ったか?」

「そうだな。最近何かを書こうとするとなかなかアイデアが思い浮かばないんだ。すると次の瞬間にはグラスを手に持っているというわけだ」

「そうか。それは気の毒だ。しかし気持ち良く酔うにはさぞかし効率的だろうな」

「ああ、だいぶ効率的だ。むしろ今はそのために物書きをしているよ」

私は彼の冗談に冗談で返しては、三年ぶりに彼と会話ができたことを嬉しく思った。ダニエルは以前の文学賞の授賞式の時とは打って変わって黒いシックな背広に蝶ネクタイを身につけていた。名前が売れたことで多少は大人としての落ち着きというものを学んだようだ。

「後でゆっくり話がしたい。君に見せたいものがあるんだ」

「もちろんだ。私は少しばかり残飯を摘んでくるよ」

「すまないな」

「いいんだ。残飯は酒に合う」

「ほどほどにな」

という彼の言葉に頷いて私はすぐに彼のもとを離れ、黒のドレスの女を探し始めた。彼も何か大事な用事があるのか、急ぎ足で宴会場を後にした。私は酒を飲みたい気分でもあったが、酔ってしまっては彼女と話すときに恥をかきかねないと思い、シラフのまま会場内を歩き回った。彼女とは先ほどダニエルに後ろから声をかけようとしたところ、すぐ脇に立つ黒のドレスに目を取られ、その時一瞬互いに目を合わせたのだ。そのためそう遠くには行っていないはずだった。しかし、あたりを見回してもどこにも黒のドレス姿の女性は見当たらないのだ。ここにいなければ、私がダニエルと話をしている隙にお手洗いにでも行ったのだろうと、気を落ち着かせながらその場にあった何かの酒のショットを喉に流し込んだ。即座に苦味が喉全体を刺激し、それがウイスキーであることがわかった。

 突然扉が開く大きな音がすると、ダニエルが奥の部屋から現れた。その後ろを彼の女房と思われる女性がついて行き、なんだか彼に向かってぶつぶつと文句を垂れている様子だった。私は何事かと思いダニエルを観察していると、彼はそのまままっすぐ私のところへと歩いてきた。

「今時間はあるかい?」

「ああ、あるけどそっちは大丈夫なのか?」

「大丈夫だ」

女房らしき人物は溜め込んだ怒りを全て彼にぶつけ終わったようで、元の奥の部屋へと戻って行ってしまった。

「ついてきてくれ」

と言って彼は僕を目的の部屋へと先導した。会場を出て再び廊下に出ると、また入り口までの長い道のりを歩かなければならないのかと落胆しかけたが、すぐに横の道に逸れて彼は部屋の鍵を取り出した。扉を開くと、中には途方もない数の美術品が飾られており、いわゆる富豪の娯楽部屋となっていた。白で塗られた西洋人の彫刻物から、東洋の仏像、そして金箔に覆われた日本の椿の屏風までありとあらゆる種類の美術品がそこにはあった。私はこれまで見たこともない情景に胸を震わせた。この別荘に来てから驚きの連続で、少々精神的に疲れを感じているように思えた。

「どうだい?いい部屋だろ?」

「ああ、大したものだ。なんて贅沢な部屋なんだ」

「君に見せたいものは別にあるんだ」

と言って彼は奥の大きな物置の中から、四角く形どられた平らな物を両手に抱えて取り出しては私の目の前で包みを解いた。すると中から焦茶色の額縁に入れられた肖像画が現れたのだ。そこには月明かりに青白く髪を光らせた少女が、窓際にある木目の椅子に座って外を眺める様子が描かれていた。

「素晴らしい絵だ」

「そうだろ?」

「どこで手に入れたんだ?」

「それは言えない。だが、これを君にやる」

私は彼のその言葉を聞いて戸惑わずにはいられず、何の言葉も返すことができなかった。

「実はこの肖像画を描いた画家はルノワールなんだが、幻の作品として市場に出ていなかったんだ。題名は、青髪の少女」

「そんな高貴な作品を私に?」

「ああ。不思議なことなんだが、なぜかこれを手に入れた時から君に渡したいと思っていたんだ」

「なぜだ?」

「わからない。君の書く伝奇もののきっかけにでもならないかと」

「そうか。しかし、突然貰えと言われても」

「頼む。見飽きたら売ったって構わない」

と彼はあたかもその絵画をいち早く自分の手元から遠ざけたいかの如く私に手渡した。私はようやく冷静さを取り戻し彼に答えた。

「わかった。だが売るのはまずいだろう」

「ああ、そうだな。なんせ幻の作品だからな」

私はその絵画を再び包んで荷物を乗せるカートの上に置いた。

「そういえば、黒いドレスを着た女性が見当たらないんだ」

「なんだ?酒の次は女か?」

「まあ、そんなところだ。あの女性は一体誰なんだ?」

ダニエルは少しばかり考え込むと、私の方に視線を戻して言葉を切った。

「君は何か見間違いをしているんじゃないか?」

「なぜだ?」

「なぜって、このパーティーにはドレスコードがあっただろ。男は黒、女は黒以外と」

「しかし、先ほど君に声をかける前に彼女と目が合ったんだ」

「そうか。もしかしたらうっかりドレスコードを見落として参加してしまったのかもしれないな。もし彼女見つけたら正式に君に紹介しよう」

「ほんとか。助かるよ」

 その後も、会場に戻ったのはいいものの一向に彼女の姿を見ることはなかった。私は確かにあの時黒のドレスの女と目が合ったのだ。見間違いなどではなかった。あの瞬間感じたなんとも形容し難い感情を私は終始忘れられずにいた。まるで自分を地球と例えた時に何千年ぶりに太陽と再会した時の感動のように思えた。もうすでにダニエルからもらった肖像画のことは頭の隅に追いやられていた。私は彼女なしでは行くあてもなく、このまま会場にいても仕方がないのでパーティーを去ることにした。私は自分で持ち寄った酒の数本をテーブルの上から掻っ攫いボーイに預けていたキャリーケースの中に入れた。肖像画はキャリーケースには入らないため別でカートをもらう羽目になった。私は帰りのタクシーを呼ぼうと、玄関にいたドアマンを呼びつけ電話を借りた。しばらくの間玄関の側のベンチに腰掛けてタクシーが到着するのを待っていると、突然ドアマンが私に話しかけた。

「もう帰られるんですか?」

私はドアマンに視線を向けずにただ頷いた。

「いかがでしたか?パーティー」

「まあまあだ」

「そうですか。私も一眼見てみたいところですが、仕事がありますので」

「それは気の毒だ」

すると、突然彼はかしこまっては私の方をじっと見て小声でつぶやいた。

「あの、実はこの別荘、あの男のものではないのです」

「何を言っているんだ君は?」

「ここは元々別の人が所有していたのですが、その人物が変死を遂げまして。その後継人としてどう言うわけか何の関与もない彼が指名されたらしいのです」

「なんらかのわけがあるんじゃないのか?」

「いいえ、あの男はこの土地を所有する一族とは全くの繋がりがないのです」

「なぜあんたがそれを知ってる?」

「実は、私も変死した者の一族でして」

「そうか。それでドアマンに変装して別荘への潜入を企てていたってわけか」

「いいえ、潜入など」

とドアマンが言葉を言い切る前にタクシーがロータリーに到着したのを見て私はベンチを立った。後からドアマンはキャリーケースを担ぎ、肖像画の乗ったカートを転がしてタクシーの駐車したところまで歩いてきた。トランクを締め終わると、ドア越しから私に何か言いたげそうな顔を見せるも、タクシーが発車するとともに別荘の中へと歩き去ってしまった。私は後になって彼にチップを渡しそびれたことを思い出した。


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