SNSの意見や反応で傷つく必要はありません。
わたしがnoteを知ったのは、私を特定できるような記事があったからです。その記事についたスキの数が800ぐらいで。そのスキにわたしは傷つきました。
Twitterでも、わたしをブロックした上で「えっ?これわたし?」と思えるようなツイートがありました。noteでも、コメントでもモヤモヤしたり傷ついたり。それはわたしだけではないと思います。SNSに関わる以上それはついてくるんじゃないかな。
心を穏やかに保て、強くなれる1冊です。
自分の意見で生きていこう ちきりん
自分らしく生きていくために欠かせない「意見」の重要性を丁寧にわかりやすく書いてます。
意見と反応の違いが興味深かったです。
正解のない問題に対してあるのが意見。
これに対して正しい、間違いはありません。意見はみんな違って当たり前だから。
反応はポジションが明確でなく、考えなくってもできます。いいね、スキも便利な反応です。
私自身「いいね」「スキ」に救われたことの方が多いし、反応はうれしいです。だけど、私個人に対する攻撃ともとれる「いいね」「スキ」は、「考えのない、ただの反応」と捉えるとモヤモヤがぱっと消えました。
攻撃的な文章は、その人個人の感情や愚痴で「世の中のあらゆる問題」でもないし、問題提起でも意見でもないと思いました。仮に「意見」だとしてもそこに正解はないのだから、本人が正しいわけではない、とすっきりしました。
また、この著書で、傷つく傷つける、誹謗中傷という言葉がないこともすごいなと思いました。それが主題ではないのだけど。
この箇所で、それを言いきってます。常識ですね、これは。テレビの前のひとり言で、この女優、化粧濃いなとつぶやいても、その女優さんに会ったときに、同じように目の前では言わないですよね。
私自身「狡猾」「嘘つき」(子どもの喧嘩ですね)と書かれたことがありますがこれも目の前で言えるのなら目の前で言って欲しいし、トラブルがあれば会って話したいと常々思ってます。
その人を目の前にして、言えることでないとつぶやいてはいけないと思います。目の前にして言えるのは信頼関係があってからこそ。信頼してない人から言われても傷つく必要はありません。
ネット上での議論よりリアルな社会で「意見を言い合え、議論できる仲間」が大切ともあります。
「常にあらゆる人を念頭において話せ」という広すぎるSNSという場所は、深い議論をするのは面倒すぎる場所だからです。もしかしたら、会えば少しわかりあえるのかもしれないですね。
トラブルがなくっても、noteの方々にはお会いする機会があり、会うと安心し心を開くことができました。
人生に正解が存在しない理由と多様性について書かれたところも好きです。
だとしたら、正解がある問題は大切なことではないのかもしれません。そんなことで心を煩わせる必要はありません。
頑張って!!と そんじゃーね! で終わる本書、明るく元気になれました。ありがとうございました。