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敵は誰なのだろう 

   「イワン(ロシア兵を意味するドイツ側俗語)どもは人間でない」とドイツ兵が言い、ソ連も「フリッツ(ドイツ兵)は人間でない」と言っていたのは1942年、独ソ戦です。

過去に起こった残酷な戦争を小説の中で知りました。事実もあれば、そうでないものもあります。

今現実に起こっていることも何が本当かわからなくなっています。

小説の中では、著者の願いも読みとれます。

同志少女よ、敵を討て       逢坂冬馬 

1942年、独ソ戦のさなか、モスクワ近郊の村に住む狩りの名手セラフィマの暮らしは、ドイツ軍の襲撃により突如奪われる。母を殺され、復讐を誓った彼女は、女性狙撃小隊の一員となりスターリングラードの前線へ──。第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。

ドイツ軍がソ連にしたこと、ソ連がドイツにしたこと、日本が中国、韓国フィリッピン、アメリカ各国にしたこと、中国、韓国、アメリカ各国が日本にしたこと、みんな同じだと思いました。悲しく残酷な歴史が世界中にあります。

人間でない、と思わなければ殺せなかったのかもしれません。
人間でない同士の殺しあいなのに、人間くさく、内面が丁寧に
書かれているので迫ってくるものがあります。

みんな人間だし生きている。

軍事学校の同じような境遇の少女たち、前線で出会った少年兵、看護師、それぞれの個性も際立っていますが、ドイツ兵に恋をしたソ連の女性の生き方が印象的でした。

弱さを身にまといしたたかです。セラフィマは彼女の生き方は異様であり、哀切を覚えた、とあります。

戦争だから、たくさんの人が死にます。

生き残るために殺し、生き残ったらその先も生きることを考えなければなりません。戦争を経験した多くの方が心の均整を保てなくなることも知られています。

残酷なこと、悲惨なこと、悲しいことがたくさんで、それでも生きることと戦争は起こしてはならないという著者の強い想いが伝わってきました。

セラフィマの敵は、母親を殺した相手個人でなく戦争なのではないでしょうか。

わたしたちに敵がいるとしたら得体の知れない大きなものかもしれないし、自分の中にある感情かもしれません。

小説の中は、救いがあり希望も光もあります。現実もそうであって欲しいと思います。



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