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走ることについて語るときに母が語ることはもうない
「走るって、おもしろいのよね。走ってお話しすると、横に並んでいたり後ろにいたり、前にいたりで、ふたりで同じ方向を見ている。面と向かって、顔と顔を合わせて話すわけじゃない。だから言いにくいことも言えたりする、走り終わったら じゃあね、と別れる」
ランナーだった母のお友だちが、母の法事で話してくれたことだ。
なるほどなと思う。今走っているからこそわかる。
母はランナーだった。地元ではちょっとした有名人で「○○(母の名)V9」と地方版の新聞に載ったこともあった。
当時の私は、若く、傲慢で遊ぶことしか考えてなかったので、母が走ることについては興味はなかった。
母が走っていたのは、39歳から49歳で亡くなるまでの10年間だ。
母が亡くなってから走りはじめた私は、走っていた母の気持ち、母の記録を知りたいと思うようになった。
母の故郷である福岡に3年間だけ過ごしたことがある。姉が受験の為に家族と離れひとり、祖父母のいる埼玉に暮らすことになる。そのときから母は走りはじめたようだ。
『遠くに離れて何もしてあげられない私は、お百度を踏むつもりで主人と子どもたちがだんだん遠のいていくことで「走ること」を続けることにしました』
母の「走ることについて」の手記を亡くなったあと見つけた。「子どもが遠のく」のはわかるけど、「主人が遠のく」ってそういうことあったんだろうか。子どもの私にはわからなかったけど。
『故郷から戻り、子どもたちの受験が続き喜びや悲しみをいつも走る公園に心で叫びながら走ったこともあります。どんな嫌なことがあっても走って家につくとスカッと爽やかになってます』
母として嫁として、色々な想いを抱えながら走っていたんだな。母の走ることの想いはきっと、今の私とは違う。
『夫とふたりで菜の花と桜の甘い匂いの中を走った時の感激は忘れられません。二人だけで菜の花の中を結婚行進曲でも聞きながら走っているみたいでした。みなさまにぜひ、ご夫婦で走って頂きたいお勧めのコースです』
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ああ、これならわかる。私も夫と色々なところを走っている。夫婦二人で走るしあわせを知っている。「結婚行進曲」?おかあさん、かわいいぢゃん。やっぱりおとうさんのこと好きだったんだね。
子どもたちに走ったらホノルルマラソンに連れて行く、といい姉や私も走ることに引っ張りだすことに成功している。
『走りだした娘をみて自分が投げた餌の大きさにあわてている次第です。家族で走れる幸せでいっぱいです』
走り出した娘は、姉だ。私も時々は走っていたけど、若い頃は走ることより楽しいことがたくさんあり、続かなかった。
走りはじめてから何度も、今母がいれば、母と一緒に走りたかった、母と一緒にレースに出たかったと思った。
今なら母の気持ちがわかるのに。走ることの苦しさ、楽しさ。夫婦で走れることのしあわせ。
後悔が大きいけど、今走っていてしあわせならば母に伝わっている、と信じている。