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【後編】夫婦で大まじめに「モテ」考察! 「女にモテたいと思ったことがない」とか 夫がほざいています(笑) 


「生まれてこの方、女にモテたいと思ったことがない」
などと夫が言い出したことから、夫の「モテ」に対する考えを、妻である私が興味津々で聴いている……そんな話の続きです。


モテなかった私が、これぞ「若い頃に知りたかった」と思える内容になっていますので、前編も合わせてどうぞ⤵⤵

「こいつ(夫)、〇〇のこと、好きなんだぜ」

前回は、夫が好きな女の子を、休み時間に男友達によってバラされ、机に突っ伏して、泣いてしまったところまで書きました。

すべて終わった……。


夫の楽しい中学校生活は、幕を閉じたかのように思われた。

……が、当時は、子供の数が増えまくる人口ボーナスの時代。

中学2年から、新設校ができたことで、通っていた学校が二分されることになった。


テッテレー♪

夫、新しい学校へ通うことになった


「机につっぷして泣いた自分」のことを知る人間が、一気に減る絶好の機会。


カッコ悪い自分を、なかったことにできるかもしれない!!


再び、チャンスタイムの到来である。


夫は、新たな環境に身を投じ、また新しい自分になって、学校生活をおくりはじめる。

このときも、夫がいつも考えていたのは、「自分がどのように好かれるか」「どうすれば女の子にモテるか」

ではなく、

常に「どうあれば、自分はかっこいいのか・自分が満足できるのか」。


そして、逆にどういう人間になってしまうと
ダサいのか・みっともないのか・情けないのか


男として、簡単に涙を見せちゃならないぞ(笑)
辛さや苦しさを他人に見せちゃあ、ダサいぞ。
大人に迎合するのは、ダサいぞ。
仲間にいい顔してうまく立ち回るのは、ダサいぞ。

本当はものすごく怖がりの、弱虫の、引っ込み思案の少年が、グッとこらえて強がって、やせ我慢して、その場を乗り切ってみせる。

小さな器を、少しずつ大きくしていった。


そうやって、「自分があこがれるかっこいい男」を目指して生きることで、同性からも一目置かれ、女の子が自然と寄ってくるようになっていた。

***


こんどは高校に進学。

ふたたび、誰も自分のことを知らない生活がはじまったが、積み上げた自信を胸に、もはや「敵なし」の夫。


そうして1年のはじめから、クラスのマドンナとつきあい始めるのだが、2年の途中に、こっぴどくフラれ、夫の自我は完全崩壊する(笑)


この失恋の痛手は、あまりにも大きすぎた。

これでもかと、積み上げて積み上げて、築きあげた牙城。「かっこいい男としての、強者の自分」が一気に崩れ落ちた。


現在では、「たかが失恋程度で」と笑う夫は、はじめて深くつきあった女性から否定されたことで、やけになって自分を見失った。

「失恋のショック」というよりは、「自分が作りあげた自己のイメージ」が粉々に砕け散ったことに耐えきれず、血まみれの精神状態になっていたのだと振り返る。

クラスの中心人物となっていた夫の醜態に、周りの友だちもどんどん引いてゆく。


そして、夫は高2の途中から、ほとんど学校に行かなくなった。
なんと、その状態は一年以上も続いたらしい(笑)

ついに単位が足りず、卒業延期が決定。


……だが大学だけは合格していたので、のちに教師の温情によって、春休みに補習授業を受け、不足した単位を取得することで、なんとか卒業証書をもらえた夫であった。
夫のお母さんも、謝罪のため、学校に駆け付けたという。


思えば10歳から、「かっこいい自分になろう」ともがき、少しずつ階段をのぼっては、滑り落ち、それでも環境が変わるごとに、新しい自分を作ってきた夫。

18歳でぼろ雑巾のようになった夫は、今度は地元を離れて、上京し大学生となり、また新しい自分づくりが始まるのだった……



***


夫の人生には、その後もいろいろ起こるのだが、それは脇に置き、夫が言わんとする「女の子にモテたいと思ったことは、一度もない」というニュアンスをお分かりいただけただろうか。

夫が言いたいことは、シンプルにただひとつ。

「モテるのは、結果論」


その時代ごとに、若者には生きづらさがつきまとうだろうが、
「恋人ができない」「結婚できない」などと憂いている男たちは、「順番が逆になってるんじゃないのかなぁ」と夫が言う。


一生懸命「正社員」というポジションや役職を得ようとしたり、スペックを整えようとするよりも、まず、ひとりの人間としての理想をイメージし、それを目指すこと。


「自分は、こういうスペックを持っています」では、だれかにあなた自身をなんら説明したことにならない。就活じゃないんだから。


物語の主人公は、スキルやスペックがあるから、主人公なのではない。
その人のパーソナリティがおもしろいから、すばらしいから、主人公 たり得る。


相手は、あなたの「持ち物」と結婚するのではない。「あなた自身」と結婚するのだから。


「フリーターや派遣社員である自分を卑下する前に、肩書や年収を抜きにして、まずは、かっこいい・すばらしい・尊敬できる人間を目指してみたらいいんじゃないの?  そういう風に生きている男に、ひとりの女性も魅力を感じてくれないなんてことは、あり得ないと思うんだけど」

まったくその通りだと、女のわたしも思う。


だが


「そんなこと言ったって、女性はいつだって男の年収を気にするじゃないか!!」


そう思っている男性陣も大勢いらっしゃることだろう。

実際、そういう女性が多数いることも否定しない(笑)


ここからは、女の私が説明しよう。

メスは、オスの狩猟によって、自分や子供の生存を確保してもらってきたという、長い長い歴史がある。
充分な食糧が確保できなければ、即、生存の危機に直結したため、それを回避するために、メスたちの不安や恐怖のアラート機能は、異様に発達した

女のわたしは、お金がないと思うときや、貯金が減ったとき、本能的に、生存が脅かされる気がして、不安でたまらなくなる。


男性だってお金の心配をするだろうが、女性の不安の大きさは、男性の4倍とも言われるほど切実な感覚なのだ。


現代のこの日本で、飢えて死ぬことはほぼあり得ないにも関わらず、生存の不安をすこしでも脅かされると、古い脳みそのアラートがいとも簡単に鳴ってしまうのだ。女性の脳みそ代表のわたしが、詫びを入れよう(笑)


そして女性が、そのような恐怖や不安を男性にぶつけてしまうとき、

男性は、暗に、

自分を無能だと言われたり、オスとして劣っていることを突き付けられているような気がしているのではなかろうか?


女のわたしから見て、男性は「金を稼ぐ」ということを、「男としての存在意義」に直結させているように見えているのだが、いかがだろう?

だから男女のペアで、女性の方が多く稼いでいたりすれば、男性はそのことでコンプレックスを持ったりする。

一方、女性は、相手の男性が稼げば稼ぐほど、ただ嬉しいだけ(笑)



古来からの、長い歴史によってつくられた、男女の非対称性によって、

男は「お金を稼がねば敗者になる!」
女は「お金がないと、命がおびやかされる!」


こんな構図になっているのではないだろうか。

どちらも「お金が欲しい」ことには変わりないが、本質的に求めているものが、多分違う。
令和のこの時代に、男も女も、生物学的なくびきから、いかに解放されてゆけるか。
若者たちは、解放されつつあるのだろうか? 
いや、おそらく、まだまだこれからだろう。

***

「お金の話」で回り道をしたが、話を本筋に戻すと、女性の中でも気づいている人もいる。

男性の地位や肩書や収入を最優先に相手を選んでも、幸福に直結しないということに。


お金を稼げる男性は、もちろん魅力的なのだが、もっと根幹で求めているものは、女の自分からみて、

「かっこいい」か「すてき」かどうか。


ただ、それだけ。


そしてこの記事では、夫が考える「男のかっこよさ」を一例に挙げたが、

女性にとっての「かっこいい」の種類は、数多く存在する。


誰しもがベタに「赤レンジャー」を目指す必要はなくて、青レンジャーがかっこいいと思うなら青レンジャーを、緑なら緑を、黄色なら黄色を目指してみたらいい。

あ、若い人に「レンジャー」が通じるのかどうかわからないけど(笑)

いわゆる「古い男らしさ」の概念など脱ぎ捨て、やさしくソフトな雰囲気を目指すのだって、ひとつのカッコよさのカタチであろう。

***


少年時代、ウルトラマンが大好きだったという夫。
怪獣をバタバタ倒して、みんなを守る、強くてかっこいい存在。
なにも言わずに颯爽と去ってゆくヒーロー。

引っ込み思案で泣き虫だった夫が、「かっこいい男」に憧れて、そんな風に自分をつくってきた話に、私も励まされる思いがする。


夫とつきあい始めて、しばらく経った頃、夫がぽつりぽつりと、ここに書いたような少年時代の話をし始めた。

私は、そのとき、本当はこう思っていた。

それは、あなただからできたんでしょう?
みんなにできることじゃないよ


そう考えることで、いったい、私にはなんのメリットがあっただろう?

あるとするなら、「変われなくても仕方がない」と言い訳できるメリットだったのかもしれない。

だから長らく母から刷り込まれた「人は結局、遺伝子よ」という、半分本当で、半分ウソの呪いを解くまでに、ずいぶん時間を要してしまった。

***

夫には申し訳ないが(笑)、夫は年収が高いわけでも、体格に恵まれているわけでも、イケメンなわけでもない。


特筆すべきところのない、引っ込み思案の少年が、ひたすら「かっこいい男」を目指して生きてきた、ただそれだけの人である。

夫は、社会人になってからも、組織や集団の意向よりも、「それがかっこいいか、わるいか」を何よりも最上位に掲げて生きてきたから、ときに敵もいたであろうし、人とどっぷりと関わりながらも、どこかいつも一匹狼であった。

人は社会的な生き物だから、理想論だけではメシが食えない。

それでも、「個としての自分」を絶対にないがしろにしないこと。

なりたい自分になろうとして生きることに、男も女も関係ないだろう。

***

長くなってしまった。
今回は書ききれなかったが、いつか「女のモテ」についても考察してみたい。

男が「かっこよく生きる」とき、男は、男にも女にもモテる。

しかし女が「かっこよく生きる」とき、男ではなく、女のみにモテるのではないか?(笑)


そのあたりを、またいつか、深堀りしてみたいと思っている。

みなさんの「モテ」への一過言、ぜひ聞かせてくださったら嬉しいです。

長文お読みいただき、ありがとうございました。

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