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おっぱいが ひとつ あったとさ

「乳房」と書くほうが、逆に生々しい気がして、「おっぱい」で通すことにしようと思います(笑)
男性のみなさんにも、ぜひとも読んでいただけたら嬉しいです。

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数年前、乳がんのため片方のおっぱいを全摘出したので、現在、わたしのおっぱいはひとつです。

ときどき、ブラジャーの中の詰め物が、コロンと落っこちて、片方のおっぱいが下腹部に移動しているときがあるのですが、あんまり気にせず生きています。

しかし裸の自分のカラダを見て、ごくたまに、「あれ? おっぱいがひとつしかないわね……どこに行ったのかしら」と、散歩に出かけていったおっぱいの帰りを待ちわびます。


あ、冗談です。

微妙に笑えない冗談を言って、すみません(笑)

おっぱいがひとつになったというのに、
しばらくは夢の中では「おっぱいがふたつあると自認している私」が登場していました。
そして、あるときから「おっぱいがひとつの私、という認識」になって、「本当の意味で受け入れたのかな」と、ふと思ったことがありました。

***

母も祖母も乳がん罹患者のため、小さい頃より、おっぱいがひとつなのには、割と見慣れてきました。

まだ私が少女のころ、「自分もいつか乳がんになる」なんて、まさか思わずに、銭湯などで、祖母の術痕をまじまじと眺めていました。

祖母の術痕は「武士に切られたのか?」と突っ込みたくなるほど、ものすごい長さのキズであったと記憶しています。脇のすぐ下から「どんだけ切るんだ」と思える長さのキズでした。

二代目の母の術痕は、同じ側に、2回罹患したため、漢字の「二」みたいな術痕になっています。祖母のキズに比べると、すっきり短くなりました。

そして三代目の私の術痕は、斜め気味の、漢字の「一」。
私の術痕を、しばらく経ってから見た外科医が、「わぁキレイ♡」と自らの手術の腕を自画自賛しただけあって、なかなかキレイな仕上がりです。先生お世話になりました(笑)

昭和、平成、令和と、女3代の手術痕がどんどんキレイになり、抗がん剤や分子標的薬も次々開発され、医療の発展の恩恵を受けて、私は今、こうしてnoteを書いています。

***


わたしの乳がんが判明する、まだ少し前のこと。

食道がんの治療のため、入院していた母を見舞いに行ったときのことです。

カーテンで仕切られた4人部屋で、母の隣のベッドから、60代くらいの女性の声が聴こえてきました。

「先生……こわくて傷あとが見られないです」


話の内容から乳がんの手術をされたのだろうと、見当がつきました。

おっぱいがふたつある私は、その言葉に、キュッと心が痛みました。

そうだよね、こわいよね。
あったものがなくなるんだからさ……。



だが、女性の訴えに、男性医師はこう返しました。


「見ましょうよ、自分のカラダなんだから。
見た方がいいですよ」


医師として、正しい言葉を掛けているというような自信に満ちた声色でした。



……チッ


そうじゃねぇんだよぉ……


わたしは、隣のカーテンをシャッとあけて、その男性医師に怒鳴りつけてやりたかった。


ぼんくらドクターさんよぉ、正しいこと言えばいいってもんじゃねぇんだよぉ


あんたにとっちゃ、そのおっぱいは、
「ガンに侵された肉片」だったかもしれんが、その女性にしてみれば、大事な体のパーツだったのよ。


あんただって、おっぱい大好きでしょーがっ!


あんたがおっぱいを好きな理由は、それが女を象徴するからだよね?

顔のシミひとつ、シワひとつ、気にしている女って生き物は、同様に、女性の象徴に関わる部分、例えば「おっぱい」「子宮」「卵巣」を失うことには、それなりのダメージがあんの。

つーか女は、そもそも体のどこにも、キズなんかつけたくないわけよ。ひとつもだよ!!


ったくよぉ……


「うぅ……」


すぐ隣で、点滴を打たれながら、母がうめいていた。

あ、私は母の見舞いに来たんだった。


母は、食道がんの抗がん剤&放射線治療中で、被曝によって食道内の皮がただれたのか、めくれたのか知らないが(コワッ)、痛みで唾さえ呑み込めずに、口の中に溜まる唾液を洗面器に吐き出し続けるという、見ているこっちがしんどくなる状態であった。
「こんな思いをするくらいなら死んだほうがマシ」と、母が子供みたいな半べそ顔になって、私にすがってくる。

母が元気だったら、となりの女性に「乳がんの傷あと」を見せてあげたことだろう。
「ほら、こんな感じにキレイになるのよ、そのうち慣れるから大丈夫よ」
乳がんの先輩として、女性を励ますことができたはずだ。

……それから間もなくである。

私が自分のおっぱいの「しこり」に気づくのは。


***

話はここからである。


女性の悲しみに心を痛めた私が、ほどなくして乳がんになり、手術で片方のおっぱいを切り取った。

わたしは自分の傷痕を、翌朝から見ていた。

内出血だらけの、青や赤や黄色に変色した胸部に、15㎝ほどの、迷いのない一直線の縫合があった。

なかなかにグロい。


見回りにきた女性看護師に、

「あ、もう、傷を見られるんですね」


と言われた。

「あ……はい」

看護師の言葉にうなずきながら、わたしは無意識であったが、こんな風に思っていた。

(そうだよ、わたしは、すぐに傷を見れちゃうの。平気だもんね)


術痕を見られない女性の気持ちに心を痛めたわたしが、いざ自分のことになると、それと気づかず、強がっていたのである。


私はね、傷口を見られないなんてこと、ありません。
おっぱいのある・なしで、私という存在は一切揺るぎません。
そんなことで傷つく私じゃなくってよ。


頭の中でそのように合理的に思考し、実際にさっさと傷痕を見た自分を、どこかで誇らしく思っていたのだった。


***

えーんえーん。
大切なおっぱいがなくなって、悲しいよぅ。
大きな傷ができてショックだよぉ。

そういう気持ちが、私にだって多少はあったはずなのだ。

だが、そんな悲しみを認めずに、合理的な思考と論理で、きれいにコーティングした。

少しでも強くあろうとする自分が、おっぱいの損失に対する泣き言を私に言わせなかった。

そう考えられる自分の方が「人間として上等」だと思った。


ガンが分かったときには、尋常じゃないほどワーワー泣いた私だが、こと手術に関しては、ミッションのようにして、機械的に、次々と合理的な判断をしていった。


実は、私のおっぱいのガンは、一か所にとどまっていたため、全摘しなくてもよかった。

だから医師は「部分摘出」のつもりでいたのだが、

「全摘で!」


とお願いしたため、医師の方が面食らっていたという経緯がある。


理由は、母が20年越しに、同じ側に二度目の乳がんを再発したからである。
母の血をひいている私は、この先何度でも再発する可能性を考え、即座に「全摘」を選択。

さらに医師に対し、こうも言った。

「もう片方も、とってしまうことはできないですかね?」


「病変がないからできない」と言われあきらめたが、私は自分の「女性性」の叫びをおいてけぼりにして、「命に比べりゃ、些末なことだろう」とばかりに、物事を合理性のみで判断し、これが「ベストアンサーだ」と鼻息を荒くしていた。

あの男性医師のことを、ぼんくらなどと揶揄している場合ではない。

自分のカラダの一部を、よく考えもせずに「ガンに侵された悪い肉片」として、さっさと切り捨てたのは、女である私であった。


***


人はときに、自分の感情さえごまかす生き物だ。

私は、「傷が怖くて見られません」と言った、あの女性の強さを想う。


前回、「傷つき」についての記事を書いたが⤵⤵

怖い・悲しい・寂しい・傷ついた・怒っている

そんな感情をなきものとして受容せずにいると、いつか、それらは余計に暴れ出す。

私たちの心に浮かぶ感情。
それは、どんな種類のものであろうとも、すべて正しい。

生まれた感情を、叩き潰すのではなく、やわらかく受け止めてやる。

「よしよし、いい子いい子」


そうすることで、その感情の「気が済んで」、次へ進める。

何かの解決に向けての合理的な判断や決断は、その後でおこなえばよい。


***


私はおっぱいを全摘出したことを、後悔はしていない。
生きることに必死にしがみついた、あの頃の判断が、間違っていたとも思わない。


けれども40年以上も、私とともに生きてきてくれたおっぱいに、ちゃんとお別れを言ってやればよかったとも思っている。

ガンが分かってから、しこりに触れるのが怖くて、一度も触ってやらなかった。触ると、その刺激によって、ガンが増殖するような気がしたのだ。
忌むべきものとして、私はおっぱいを切り捨てた。


私のおっぱいさん、今まで私のそばにいてくれてありがとう。
もう会えないけれど、忘れないよ。
天国で会えたら、また私のおっぱいになってよね(笑)

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