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【秋の教養講座】リヒャルトという名のシュトラウス(2)


新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は10月定期演奏会で取り上げるリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」以降の長い長い「後半生」の四方山話です。昨年の「リヒャルトという名のシュトラウス」の後編にあたり「完結編」でもあります。今回は普段のコラムと少し趣を変え「大学の教養講座」的なアカデミックテイストでお送りします。「芸術の秋」そして「読書の秋」…演奏会や配信のお供に、演奏会の予習に、そして・・・「演奏会の余韻」とともにお楽しみください!これでみなさんもリヒャルト・シュトラウスに詳しくなれるはず!



交響詩「英雄の生涯」と、「英雄の生涯」作曲後の「英雄」リヒャルト・シュトラウスの生涯


§1. リヒャルト・シュトラウスの後期交響詩の特徴


リヒャルト・シュトラウスの自叙伝的交響詩である「英雄の生涯」は、彼の初期の交響詩「ドン・ファン」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「死と変容」「マクベス」のような形式ではない。彼のその後の「交響詩」または「交響曲」と題されているものは、いくつかの部分、「楽章」と呼ぶには若干意味合いを異にする形式ではあるが、より楽曲は拡大して長大になった。主題の扱い方やモチーフ(動機)の展開・発展や動機同士の絡み合い、対位法的な処理などが施され、作品はより深みを増していった。

ニーチェの著作に発想を得た「ツァラトゥストラはかく語りき」では、単一楽章でありながらいくつかの「楽章的」に分かれた部分で構成された長大な交響詩のスタイルを確立させた。また「ドン・キホーテ」では独奏チェロとヴィオラをフィーチャーした「二重協奏曲」のようなスタイルでセルバンテスの世界を見事に表現した。

ニーチェ
ドレ「風車に突進するドン・キホーテ」


リヒャルト・シュトラウスの後期交響詩の大きな特徴としては、その一曲の中に交響曲の各楽章にあたる部分、例えば「スケルツォ」や「緩徐楽章」の要素を含む部分があったり,また交響曲の両端の楽章(1楽章と終楽章)に相当する部分を見出すことができることが挙げられる。

そして同時に、交響曲の第1楽章の形式として、古典派やロマン派の作品に採用されている「ソナタ形式」をその一曲のなかに見出すことができる。一概にそれを完全に当てはめるのは野暮というものだが「主題提示部(主な主題と対立する主題)」「展開部」「(主題の)再現部」「結尾部(コーダ)」というソナタ形式の拡大版を、リヒャルト・シュトラウスの後期交響詩に見出すことができる。特に「英雄の生涯」はその特徴がよくわかる作品といえる。

「英雄の生涯」だけではなく、彼の交響詩では、各登場人物(「ツァラトゥストラ」では自然や人間、憧憬など)に「モチーフ」を設定して、それを展開させていくという作曲技法を使用している。これはワーグナーが彼の楽劇で採用した「ライトモティーフ(示導動機)」のような意味合いを持ち、そのモチーフが登場する部分は、その人物についての描写であることを示す。複数のモチーフが登場する部分ではそれらの登場人物の絡みを表現する、といった仕掛けとなる。このようなところにワーグナーからの影響を見ることができるだろう。

ワーグナーからの影響としては「増大したオーケストラ編成」や「特殊楽器の使用」などが挙げられる。特に金管楽器は人数が増え、より存在感を増した。木管楽器も種類も各パートの人数も増員され、またこれまで以上に重要な役割を担うようになる。管楽器と打楽器の編成が増えると、それを支えるべく弦楽器の人数を増やす必要が出てくる。その結果オーケストラの編成は大規模になった。ホルンの多用や超絶技巧ヴァイオリンソロの多用は、それぞれホルン奏者の父フランツやヴァイオリン奏者のリッターからの影響を受けたものだろう。


§2.  交響詩「英雄の生涯」の概要


この作品はリヒャルト・シュトラウスの「交響詩シリーズ」の最後を飾る作品だ。自らを「英雄」に見立て、その「波乱の人生」を音楽に表現している。「闘争と勝利」「勝利ののちの回顧と安寧」が楽曲の中に描かれている。これらのストーリーは古今の交響曲にも用いられたストーリーだ。また「英雄」「英雄の敵」「英雄の伴侶」にそれぞれ「主題」を与え、それを中心にして音楽が編まれていく。

「英雄」といえばベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を想起させるが、シュトラウス自身「最近ベートーヴェンの英雄があまり演奏されていないのは残念だ」といったニュアンスの発言をしている。「英雄の生涯」の主要な調性は、ベートーヴェンの「英雄」と同じ「変ホ長調」であることも見逃せない。

初演は1899年、フランクフルトの美術館で、作曲者の指揮でおこなわれた。

この作品は大きく6つの場面に分かれている。「英雄」「英雄の敵」「英雄の伴侶」「英雄の戦場」「英雄の業績」「英雄の引退と完成」といわれるが、この作品の特徴は英雄が戦いに勝利して曲が終わるのではなく、その後に「エピローグ」的な部分が思いの外長く存在することだろう。逆にいえば、そのことが「英雄の生涯」に特別な意味を持たせているともいえるだろうか。

「英雄の業績」では、これまでのリヒャルト・シュトラウの作品が引用されている。よほど詳しい人でないと全てを把握する人は少ないと思う。「ドン・ファン」「死と変容」「ドン・キホーテ」「ツァラトゥストラはかく語りき」「マクベス」「グントラム」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」のモチーフが引用される。これが「英雄の生涯」の動機と見事に絡み合い「一つの作品」として我々のもとに届けられる。

「英雄の引退と完成」は静謐な音楽だ。穏やかな余生を過ごす英雄を思わせる幸福な音楽が続く。たまに「英雄の敵」の中に現れた不安なモチーフが現れたりもするが、彼の回想と判断すれば不自然なことではない。大詰めに全合奏で高らかに力強く音楽は頂点に達するが、また静かになり全曲を閉じる。

実はこの部分はリヒャルトが改訂した部分だ。知り合いの音楽評論家に本来の初稿のエンディングに不満を述べられて、現在我々が知っているエンディングとなった。したがってもっと静かな「原典版」のエンディングがあり、最近では「原典版」を採用する指揮者も増えてきた。

シュトラウスはこの改訂されたエンディングについて「まるで国葬のようだ」と自らの労作についての感想を述べている。

この作品は作曲家35歳の頃の作品だが、実際のリヒャルトは、この作品以降約50年間生き続ける。彼の人生は「英雄の生涯」を書いてからもずっと長く続いたのだ。

ここからは、彼の後半生を見ていこう。

§3.  「英雄の生涯」後の後半生


シュトラウスは多作の作曲家だ。もちろん色々なジャンルを満遍なく作曲している。

だが、その濃淡は思いの外ハッキリしている。特にオーケストラ関連の作品については、その人生の前半は「交響詩の時代」、「英雄の生涯」を分岐点にした後半が「オペラの時代」と言ってよい。

実は英雄の生涯の前後のオペラ「グントラム」と「火の災い」は大した成功を収める事ができなかった。そのような中で生まれたのが、シュトラウス一家の様子を音詩にした「シンフォニア・ドメスティカ(家庭交響曲)」だ。続けて演奏される4楽章形式の作品で、妻との喧嘩や子供が騒ぐ様子などが音楽によって生き生きと描かれている。管弦楽法的な特色としては、この作品にはアドルフ・サックスが発明した楽器「サクソフォン」が用いられている点が挙げられる。「新しい楽器」や「新しい音」に興味を持ち、取り込んでいったシュトラウスの気概も感じる事ができる。

リヒャルト・シュトラウス一家


余談だが「家庭交響曲」のなかで、夫婦の営みを描写している部分があるのだが、そこで用いられている音程が「増4度」という音程。音階を下から上がっても、上から下がってもちょうど「真ん中」にある音で「3全音(トライトーン)」と言われるが、この音程を同時に鳴らすと…ものすごい不安な音が不協和音で鳴る。そのような理由や、音程を取りにくいという理由から「悪魔の3全音」と言われている。その音程を夫婦間の営みの描写で使うとは、なんとも意味深なことだ。

その後に作曲したのが、ヒット作となった「サロメ」というオペラである。妖艶かつグロテスクな内容から上演禁止になったこともあったが大ヒットし、シュトラウスは高額な演奏料や印税を得て、アルプスの麓ガルミッシュに山荘風の豪邸を建設した。現在も「リヒャルト・シュトラウス・ヴィラ」として多くの観光客が訪れている。

その山荘で作曲された作品が、登山者とアルプスの1日を描写した「アルプス交響曲」だ。この作品を一つのピークとして、シュトラウスは本格的にオペラ作曲へと舵を切った。(詳しくは「リヒャルトという名のシュトラウス(1)」で!)

ガルミッシュのリヒャルト・シュトラウス・ヴィラ


「サロメ」での新しい、強烈な和音や管弦楽法、調性感のない前衛的な音楽はセンセーショナルな「新しい時代の音楽」として賛否が分かれたが、明らかにそれは新時代への幕開けであった。「サロメ」に続く「エレクトラ」にもそれは受け継がれた。「エレクトラ」から台本作家ホフマンスタールとの共同作業が始まったが、その第2作「ばらの騎士」で、シュトラウスの音楽はロマン派の、ある面でいえば「前時代」の音楽へ「先祖返り」した。そこにどのような心象風景があるのかはさまざまな文献が紐解いているが、元々モーツァルトの音楽を敬愛していた彼にとってはごく自然なことだったのかもしれない。

ホフマンスタール


「新しいこと」やれば守旧派に、「古いこと」をやれば前衛派に批判されたシュトラウスには、いささか気の毒な思いを持つが、それでも「我が道を行った」彼の信念は見習わなくてはいけないと思うし、なにより「ばらの騎士」はシュトラウスの最高傑作だ。僕自身、このオペラとの出会いは人生を変えるくらいの「事件」だった。

その後も「ナクソス島のアリアドネ」や「影のない女」など、晩年の「カプリッチョ」まで精力的にオペラを作曲した。

そのような後半生に暗い影を残してしまった出来事がある。ナチス政権下での「帝国音楽院総裁」就任だ。これをもって「親ナチス」「ナチスの協力者」というレッテル貼りは適当ではない。この時代に生きた多くの「善良な人々」は、あの独裁政権と何らかの「折り合い」をつけていかなくてはいけなかったのだと思う。それは我が国の山田耕筰、信時潔、そして古関裕而らも同じだったはずだ。シュトラウスの息子の妻はユダヤ人だった。その家族を守るための決断だったのでは?と解釈するひともいる。

山田耕筰


ナチス政権関連の作曲として知られているのは、ナチスのプロパガンダとして悪名高い、ベルリンオリンピックの際に作曲された「オリンピック賛歌」と、日本政府からの依頼で作曲された「皇紀2600年奉祝曲」の作曲だ。

神武天皇即位から1600年とされていた1940年、盛大にそれを祝う行事が開催されたが、そのクラシック音楽イベントが「皇紀2600年奉祝大演奏会」で、特別編成されたオーケストラが世界各国の作曲家に委嘱した作品を演奏した。演奏会は当時の歌舞伎座で開催された。イギリスのベンジャミン・ブリテンも依頼されたが、送ってきた楽譜のタイトルが「シンフォニア・ダ・レクイエム」…祝典の場に鎮魂曲は相応しくないということで演奏はされなかったが、作曲料は支払ったそうだ。ちなみにフランスのイベールが作曲した「祝典序曲」の指揮をしたのは山田耕筰であった。

歌舞伎座における演奏会の模様


シュトラウスの作品は160人ものオーケストラ編成で、多数の「鐘」を使用する大作。初演の際は、増上寺、寛永寺、伝法院、本門寺など錚々たる名刹から鐘を借りてきたそうである。

浅草寺(筆者撮影)
池上本門寺(著者撮影)


第2次世界大戦が終わり、リヒャルト・シュトラウスは「非ナチ化委員会」の裁判にかけられるが最終的には無罪となる。そのような中で「4つの最後の歌」の原型となる歌曲などを作曲したが、1949年に84年にわたる生涯を閉じた。ミュンヘンで執り行われたリヒャルトシュトラウスの葬儀では、ゲオルグ・ショルティの指揮によりシュトラウスのある曲が演奏された。

その曲こそ「ばらの騎士」・・・第3幕の大詰めに歌われる有名な3重唱であった。この事実だけをみても「ばらの騎士」がシュトラウスにとって重要な作品であり、多くの人に愛されたオペラであることをわかっていただけると思う。この選曲はリヒャルト自らの遺言であったそうだ。

歌劇「ばらの騎士」第3幕(カルロス・クライバー指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団。終幕の3重唱は47分45秒付近から)


戦後のインタビューでシュトラウスは「私はもう過去の作曲家であり、私が今まで長生きしたのは偶然に過ぎない」と語っていた。また彼の晩年の趣味は「庭いじり」で、庭の花を見て「私がいなくなっても、花は咲き続ける」と語っていたそうである。しかし、21世紀の現代に目を向けてみると、いまだにリヒャルト・シュトラウスの作品は、忘れられるどころか多くの演奏家によって演奏され続けている。

「人の死」は2回訪れるという。1回目は「肉体の死」そして、2回目は「その存在を忘れられた」ときだ。

その意味において、リヒャルト・シュトラウスは今でも生きている。リヒャルトの音楽や功績は、今でも多くの人の心の中で生き続け、またこれからもずっと生き続けるだろう。

(文・岡田友弘)


新日本フィル演奏会情報

#644〈トリフォニーホール・シリーズ〉&〈サントリーホール・シリーズ)

2022年10月1日(土)14:00  すみだトリフォニーホール
2022年10月3日(月)19:00 サントリーホール

ソリスト・ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)
指揮・尾高忠明

プログラム

  • R.シュトラウス:セレナード 変ホ長調 op. 7, TrV 106R

  • R.シュトラウス:4つの最後の歌 op. posth. TrV 29

  • R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 op. 40, TrV 190

詳細、チケットは新日本フィルホームページで!


執筆者プロフィール

岡田友弘
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


岡田友弘・公式ホームページ

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