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【エッセイ】板橋の花火大会『佐竹健のYouTube奮闘記(81)』

 若いときから、花火大会は退屈な灼熱の季節唯一の楽しみだった。

 私の地元では毎年6月に花火大会をやっていた。そのときはいつも、旧市街地に住んでいる近所の友達の家に集合し、18時半ぐらいに土手へと歩いて場所を取りにいっていた。

 川の向こう側から見える花火は、きれいだった。川が近かったので、花火が写り込んでいたのだが、そのさまがとても幻想的だった。

 同時に実況のアナウンサーのリアクションを見るのも楽しみだった。

 アナウンサーは、花火大会に出資してくれた企業や個人の名前、どんな花火を上げるのか伝える。その伝えている内容により、テンションが普通になったり高くなったりするのだ。

 特に高くなるのは、スターマインを打ち上げるときだろうか。その際物凄い甲高く大きな声で、

「スターマインでございます!!」

 と拡声器越しに伝えるのである。そのときの声のトーンとかボリュームにやたら力が入っていてでおもしろいなと思いながら、対岸の農村から打ち上がるスターマインを見ていた。

 花火でもう一つ思い出したが、隣町の花火大会へも足を運んだことがある。

 その隣町は、隣の区の下にある町であった。ブックオフや私の通っていた学校のある方ではない。

 高校のとき、こっそり家を抜け出して見に行ったことがある。

 夕方家を出て、こっそり自転車を動かす。そして隣町にある駅の駐輪場に自転車を停め、駅へと向かう。

 駅で電車に乗り、2駅ぐらい乗ったところにある駅で降りる。距離に換算すると、大体東京駅から赤羽駅ぐらいの距離であろうか。

 この町は私の住んでいる町以上に、昔の町並みをよく残している。というのも、この町はそこそこ大きな神社の門前町なのである。暇なとき、私は自転車に乗ってこの町を散策したことが何度かあったが、少し雰囲気が京都に近かった。特に河原の雰囲気が、NHKとかで見る京都の賀茂川の風景とそっくりであった。あと、行く途中の道は、鎌倉の建長寺から円覚寺へ向かう道の感じにそっくりであった。

 賀茂川に雰囲気が似てる河原で、私は花火が始まるのを待っていた。

 花火のために即席で作られた場所から、川を眺めてみる。

 流れる川の水は、郊外を流れる町の河川とは思えないほど透き通っていた。その中を小さな魚が、流れに逆らって泳いでいる。

(釣竿とかがあったら、ちょっと釣ってみたいな)

 もし釣竿を持っていたら、清流を泳ぐ魚を釣ってみたい。そしてどんな魚か間近で見てみたいなと思った。同時に、いつかここで釣りをしてみたい、みたいなことも考えた。だが、私は釣りをしたことがないので、釣れるかどうかはわからないが。


 花火が始まった。

 花火は単発のものが多く、時折スターマインみたいな派手なものが上がるといった感じだった。ここら辺は地元のそれと同じである。だが、隣町の花火大会が地元のそれと違う要素を一つだけ持っている。

 それは、ナイアガラ花火が見られるということだ。

 単発の花火と時折打ち上がるスターマインが終わると、橋の下の部分に火がついた。

 火のついた橋は白い火花を吹き、流れる川の方へ落ちていく。

(きれいだな……)

 地元では見られない趣向の花火に、私は見入っていた。滝のように散っていく白い火花が、ちょうどアメリカにあるナイアガラの滝のように見える。やっぱり、遠くまで行って見に来た価値があった。


 帰りは駅まで歩いて、また行きの2駅乗って帰る。

 そのときの電車の車両は、まるで朝の東京の通勤ラッシュのようにすし詰めであった。普段は人がまばらで、朝と夕方しか人がいないのに、花火があるときはここまで人がたくさん乗るのには、花火の経済効果や観光効果を感じられる。

 何とか2駅乗って改札を通り、行くときに自転車を停めた駐輪場から自転車を出し、息苦しい家へと帰った。


   ※


 時は2024年8月3日。私は板橋の花火大会を見に行ってきた。

 夕方自転車に乗って荒川土手を目指す。

 自転車を駐輪場に停め、荒川土手へと登った。

 和光や朝霞方面から見える真っ赤な夕日がとてもきれいだった。

 前に荒川土手の埼玉側から、富士山がよく見える話をしたが、東京側からは夕焼けがよく見える。それも、かなり切ない夕焼け空だ。陰になっている新河岸川の向こう側の団地が、より夕焼けの持っている悲しさや哀愁を引き立たせている。

 土手の向こう側から見えるきれいな夕焼けを見ながら、私は花火が始まるのを待っていた。


 朝霞方面の空が藍色になり始めたころ、黒色に変わり始めた浮間舟渡方面の空を、花火が彩った。

 火花がくっきり黒色のキャンバスに彩られたときに、遅れて音が聞こえてくる。待ちに待った花火大会の始まりだ。

 板橋の花火大会は結構派手であった。スターマイン級の花火が毎回上がるのである。それだけではない。打ち上がるオーソドックスな形のものに混じって、ハート型やピカチュウ型の花火が打ち上がっていく(ピカチュウ型のそれに関してはピチューの可能性もあるが)。これには運営と花火師の遊び心を感じる。

 また、ものによっては、下の方で小さな花火が打ち上がっているものもあった。

 これでもかと言わんばかりに、少し間を開けながらも、スターマイン級の花火大会が次々打ち上がっていく。


 花火師が準備をしているであろう間に、後ろの和光・朝霞方面を振り返って見た。

 喧噪で音こそは聞こえないが、和光・朝霞方面から小さく花火が打ち上がっている様子が見えた。こちらも、板橋の花火と同じで何発も何発も打ち上がる方式のようだ。


 間を開けながらも、次々とスターマイン級の花火が打ち上がっていく。気がつけば終了の時刻である20時半が近づいていた。

 花火大会のトリは、いつも豪勢な花火が打ち上がる。地元の花火も、隣町の花火もそうだった。きっと、板橋の花火もそうであろう。

 どんな花火が上がるのかな、と考えながら、トリを待ちわびる。

 数分後。トリの花火が打ち上がった。

 トリの花火は、大スターマインの威容の花火が上がった。

 これでもかと言わんばかりに、花火が打ち上がっていく。そして黒い空で大輪の金の糸で作った房のような花が咲いては、消えていく。

 その様がとてもきれいで、目が釘付けになった。

 最後には特大の花火が夜空に花を咲かせ、2024年の板橋花火大会は終わった。

 帰りは空いている道を自転車で探し、途中買い出しなんかをして、何とか家へ帰った。

 昔も今も、花火は生きづらい灼熱の時期の私にとって、唯一の楽しみである。


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