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【短編小説】ものぐさ太郎(9) 再投稿
──京へ上っている信濃守護小笠原家のいち小地頭である更科太郎義勝が、大大名である大内家の娘をたぶらかし、自身の妻としようとした。
太郎が大内義弘の忘れ形見綾と付き合っていた話は、凄まじい速さで洛中、そして洛外へと広まった。
「分というものをわきまえていない愚か者」
「姫様を助けるのにかこつけて家を乗っ取ろうとした梟雄」
都の人たちから見た太郎はこんな感じだった。下賤の男がある出来事で良家の姫と懇意になり、その伝手で出世しようと企んでいたことになっていた。
「悪いが太郎、もう貴方をここにいさせて頂くことはできません」
小笠原家の顔に泥を塗ったということで、太郎は高野山へ送られた。本来であれば首を刎ねられるところであったが、彼の歌徳により死罪を免じ、それと同等であった高野山への流罪とすることにした。
門から出た太郎は縄で縛られている。虚ろな目、髷を結っていないボサボサの髪、砂塵に汚れた肌と衣服、青あざで腫れあがった顔……。つい1ヵ月前に呼ばれていた更科太郎義勝という美丈夫の面影は一つも無い。
徒士らに引き連れられ、太郎はとぼとぼとした足取りで護衛に守られながら、流刑先の高野山へと歩く。
高野山へ着いた。僧侶に出迎えられたあと、髪を剃りこぼした。長らく過ごした俗世間との縁を切ったのである。
高野山に入った太郎は、梅勝(ばいしょう)という法名をもらい、いち僧侶として修行をしていた。
毎日朝早くに起きてお経を読む。そして禅を組んだり、掃除をしたり、祈祷の際にまたお経や真言、陀羅尼(だらに)を読むといった感じだった。
小笠原家の京屋敷建造のときよりも体力がついていたので、修行についていくことは何とかできた。が、彼を苦しめるものが、二つあった。
一つは、後悔である。
あのとき嘘をついていれば、もっと長く一緒にいれたのに。綾を清水寺で助けていなければ、彼女は別の誰かと幸せになれていたのに。それ以前に、自分が京都へ行かず、信濃の地でものぐさ太郎をやっていれば、こんな目に遭わなかったのに……。
いくつもの後悔が太郎の胸を締め付けていく。胸を締め付ける後悔は、次第に罪の意識へと変わっていった。
二つ目は、いじめである。
僧房に入ったときは、なにも無かった。が、入ってからしばらくすると、太郎が世俗にいたころに何をしたかが、周りの同輩の修行僧たちにも伝わった。
「梅勝坊、貴様俗界にいたとき貴種の女に手を出したんだってな。お前は身の程を知らんのか」
「身分の高い女に手出すとかどんだけアホなんだよ」
事実を知られてから、毎日のように太郎の陰口を聞くようになった。
蔭口というぼんやりとした悪意は、嫌がらせという形で顕像化していった。
ごはんの量が少ない、もしくは量が多くても虫を入れられるとか、転ばされる……。例を挙げると枚挙にいとまがない。
太郎は何も言い返せなかった。自分が綾と付き合うまでの背景には、結婚相手を探しているという下心があった。だから、清水寺で若い女を見かけては必死に口説くという今になって思い返せば恥ずかしいことをやっていた。また、彼が綾と出会った経緯などを客観的に見てみると、分を知らない愚か者とか、彼女を利用して大大名の家を乗っ取ろうとした梟雄みたいに言われるのは仕方ないと思っていたからだ。
後悔、罪の意識、いじめ……。気がつけば太郎は、京都にいたときの輝かしい若侍から、信濃にいたときの「ものぐさ太郎」に戻っていた。いや、そんな可愛らしい愛称より、もう「廃人」と言った方がいいかもしれない。
同輩から悪口を言われたり、唾を吐かれ足りしても、反抗する素振りはもちろんのこと、嫌がる顔もしない。魂の抜けた虚ろな顔で、どこか遠くを見つめているだけ。
いじめている同輩の修行僧たちは、次第に彼への関心を失っていった。これ以上苦しめてももう意味はない。何も反応を示さないから。
「こやつはもう無理じゃ……。心の病ばかしは、もうどうしようもない」
いじめが終わってから少ししたあと、彼を監督していた僧侶からも太郎は見捨てられた。そして彼は養老院へ送られ、還俗させられた。
京都へと戻ってきた太郎は、還俗させられ、高野山追放から蟄居に減刑された。そして近親者に代わり、左衛門尉が彼を引き取ることにした。
「太郎、お前か?」
やつれて目が虚ろな太郎を見た左衛門尉は、身をゆすった。
「ああ……」
幽かな声で、太郎は返す。
「痩せたな。辛かったか?」
「ああ……」
「ゆっくり休め」
この日から左衛門尉は、彼を客分として扱った。そして京都の宿舎から自身の本貫地である新村に帰り、そこに太郎を置いた。
帰ってから左衛門尉は、ひたすら太郎に話しかけた。
飼っていた猫に子どもが生まれたこと、孫が生まれてお祖父さんになったこと……。とにかくポジティブな話題をこれでもかというほどにかけた。
最初は「ああ……」とか「うう……」みたいな感じで、意思疎通が困難だった。時折悪夢にうなされ、突然叫び出す時もあった。
「もう怖くない。苦しむことはない」
苦しそうにする太郎に、左衛門尉は語りかけることを辞めなかった。もう自分を苦しめる存在はいない。だから、もう苦しまなくてもいい。ここには苦しめるような人はいないから。
左衛門尉の地道な言葉がけは、功を奏していった。
少し少しであるが、太郎の顔に笑顔が戻っていったのだ。そして、感情が戻っていくのと同時に、彼の言葉も戻っていく。虚ろであった目は、左衛門尉のいる館に来たときより輝きを取り戻していた。
言葉も戻っていった。まだあの時のように堂々とはしていなかったが、出会ったときの太郎くらいには話せるようにはなっていた。
季節は冬から春へと変わろうとしていた。
このころになると、都にいた時と同じように再び和歌や管弦のあそびをたしなめるくらいには回復していた。
今日も琴の優雅な音色は、左衛門尉の屋敷にある小さな離れに鳴り響く。
「ちょっといいか?」
琴を弾く太郎に、左衛門尉は話しかけた。
「ああ」
演奏を辞め、太郎は左衛門尉の方を向いた。
「話さなければいけないことがある」
「なんなりと」
左衛門尉は太郎が高野山にいたとき何があったかを話した。
連歌の名手ということで帝が太郎に興味を示したこと。師である宗方が太郎のために抗議をしたことで大内家から嫌がらせを受けたこと。綾が尼寺に幽閉されたこと。太郎周辺の人物のことを一通り話した。自身は取り調べを受けたが、確定的な証拠が無かったので、無事に今まで通り主君である長秀に仕えている。
「本当、か?」
自分が京都にいない間に、これほどのことが起きていた。そう考えると、1年という月日はとても長いと感じられた。
「ああ、本当さ」
深刻そうな表情で、左衛門尉はうなずいた。
「ごめん……」
太郎は自分のために文字や学問を教え、連歌の会に誘ってくれた宗方が斬られたことに責を感じた。自分と出会わなければ、今もこうして生きて住職を続けていたのに……。
同時に、綾の身の上が心配になった。どこの尼寺に幽閉されているのであろうか? 尼寺だから、男は入れない。もう一生会えないかもしれない。
自分のしてきたことへの後悔と綾のことで、涙が流れた。今までやってきたことは、全部間違いだった。間違いであることを知らずに突き進んだから、今こうなっている。そして綾を不幸にしてしまった。
「辛いよなぁ──」
左衛門尉はそう言って、端切れを渡す。
太郎は涙を拭く。
「でも、お前にはまだ『希望』がある。帝がお前に会いたがってるっていう」
「お会いになってもいいのかな……」
思っていたことを太郎は口にした。減刑はされても、自分は罪人。ましてや蟄居の身である。そんな自分のことを待っていてもしょうがないではないか。
左衛門尉は首を縦に振り、
「できるさ。何てったって、お前は働きながら頑張って文字を覚えて、連歌の会の星になったんだから。それにお前は特別なんだ。だから、自信を持てよ」
と答えた。
「どうして、みんな、他人であるのにここまで優しくするんだ?」
「お前に生きていて欲しいって思うからさ」
「どうせ恩返しのためとか、罪を償うためとかだろう」
首を横に振って、左衛門尉は続ける。
「いいや。違う。もちろんこれには俺の単純な自己満足やお上の思惑も入っている。けれども、みんなお前に生きていて欲しいって願っているからだよ」
「みんなの?」
「ああ。そうだ。俺や新村の名主のじいさん、お前の師匠の宗方和尚、屋敷の新造の奉行をしていた長野殿、綾殿のな。帝に会ってお前の和歌の才を見せて周りを、見返してやれ。そして偉そうにふんぞり返っているハゲ親父をぎゃふんと言わせて、綾殿を勝ち取るんだ!」
「でも、まだおれは蟄居の身だ」
弱々しい口調で太郎は答える。
左衛門尉は太郎の肩を強くつかみ、言う。
「何とか話をつけてくる。だから、任せておけ!」
「そこまで言うなら、頼むよ」
「ああ、やってやるよ」
力強く、左衛門尉は立ち上がった。
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