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【エッセイ】灼熱の思い出 『佐竹健のYouTube奮闘記(80)』

 撮影を休むことにした。熱さのためである。

 5月の末ぐらいから暑さが酷くなった。三河へ行く計画については前々から練っていたが、岡崎で28℃、近くにある尾張の名古屋で30℃といった有り様だったので、とりあえず様子見をすることにした。

 ずっと様子見をしていたが、岡崎や名古屋の最高気温が25度を下回ることは無かった。反対にどんどん暑くなっていくばかりである。

 月が変わって6月。4月から続いていた「暑さ」は「熱さ」へと変質していった。暑さが熱さに変わったということは、もう夏ファーストが終わって灼熱へと季節が変わったということである。

 灼熱は本当にろくなことがない。外に出れば少し動くだけで息切れと物凄い量の汗が出るし、日焼けもする。中にいればいればで、エアコンをつけるので電気代がかかる。そして、黒光りしていて頭に二本の触角を持つあの平たい害虫がよく出る。こうしたことがあるので、灼熱という季節は楽しみがない。そして熱いのでQOLが爆下がりする。特に今年はそうだ。去年のような大規模プロジェクトも無いし、何より熱い。だから、今年の灼熱はとても退屈である。


 ここは世間で言われている「夏」らしく、夏の思い出と呼ばれているものでも書いていこうと思う。高校では今と地続きでいろいろ面倒なので、もう10年以上前となる中学時代の夏休みの話でもしようか。

 世間一般に夏と呼ばれている季節は、退屈で嫌な季節であった。土日は特に。

 テレビをつけても面白い番組は何一つやっていないし、外に出てもいたずらに暑いだけで、何か面白い出来事があるわけでもない。特にお盆時は強くそう感じていた。

 幸い、夏休み前半には部活が、後半の平日には体育祭のパネル製作の召集とかがあった。日によっては両方ある日もあった。この二つは、まあちょっとした暇つぶし程度にはなっていた。だからといって、楽しかったかといえば、そうでもなかったが。

 蒸し暑い空き教室の中で、下書きの書かれたキャンバスとにらめっこしなければいけないからだ。

 当然暑いので、汗もかく。汗をかくから、タオルで流れ落ちる汗を拭きながら、必死に色をつけていく。

 私は人の倍汗をかきやすい体質なので、キャンバスに汗を垂らさぬよう気を遣って色を塗っていた。汗が垂れたらせっかくのパネルも台無しになるので、神経もかなり使う。帰ってきたときはいつも、エアコンのついた涼しい部屋の中で録画したテレビ番組を見るのがやっとだった。帰った後に何かをしようとか、誰かと遊ぼうという気も起きなかった。

 こうしたことがあったので、中学3年のときは選ばれても辞退していた。さすがにこの根気のいる作業と受験は両立できない。そこまで器用でもないし体力も無いから、確実にキャパオーバーとなる。

 さすがにお盆時には、こうした作業は休みだった。

 お盆時は何をしていたのかというと、普通に仏壇と墓へ参って終わり。それ以降は慎ましく過ごしていた。これ以外は特筆すべきことはない。


 後半になると、少し心にゆとりが湧いてくる。それでも暑いことには変わりがないが。

 ゆとりが湧いてくるのは、部活が無くなるからであろうか。

 この時期になると、いつも友達と一緒に、少し遠くにある街のショッピングモールの中にある映画館まで行っていた。

 見る映画は、大体ポケモンが多かった。

 なぜポケモンなのかというと、映画来場者限定の特典目当てである。あと、公開から時間が経っているので空いているというのもあるが。

 映画を見終わったあと、同じショッピングモールの中にある食堂でお昼を食べてお開きになるのが定例だった。


 夏休みを語るうえで必要不可欠なのが、宿題である。

 その宿題が夏休み中に終わったということは一度もない。

 得意科目はあっさりと終わったが、苦手な数学は少しも進まなかった。

 そもそも、数学の問題そのものが途轍もなく難しすぎる。基本はまだしも、その少し応用となると、難易度が何十倍何百倍にもなるのである。もちろん実力テストや受験に出てくるような応用の難易度については何十倍何百倍以上になる。もしかしたら、何十倍何百倍以上とかいうまだ把握できる数ではなく、天文学とかで出てくるとんでもない数値まで上昇しているのではないか? そんな問題を自力で解けるということだけでも本当にすごいことだと思う。

 解くことが不可能な問題を目の前にして、いつも私は逃げていた。できないものはできない。諦めるしかないのだ。

 同じくらいに苦痛だったのが、国語の作文の宿題だった。何を書けばいいのかわからなかったからだ。

 高校以降の自分だったら、適当なことを書いて提出するであろう。が、当時の自分にはそうした力量や技術が無かったので、何を書くかでいつも困って終わりまで引きずっていた。

 そして必死こいて書いたものを読んだ先生に、過激だの何だと言われて一蹴される。このせいで、作文というものが嫌いになった。

 正直学校の先生は、もう少し生徒の書くものに寛容であってほしい。そして、ごく平均的な生徒と違って尖っているからといって、異端として扱わないでほしい。


 毎年学校が始まるくらいに、地元の神社で祭りが行われていた。

 それによく近所に住んでいる友達と一緒に行っていた。

 夜宮ではよくかき氷を買って食べていた。一番安価で熱された体を冷やすのにいいからである。

 好きな味は、イチゴ味だった。イチゴ味が一番甘みが強くて。あと、舌が青くなると面白がっていたブルーハワイなんかも同率でよく頼んでいた。

 対して近所に住んでいた友達は、焼きそばをよく頼んでいた。他にもフライドポテトとかその辺も頼んでいた気がする。

 当時の私にとって、祭りの屋台で売られているものは、どれも高く感じられた。

 一応お年玉とかを貯めた総資産10万円はあったが、それでも祭りの屋台で売っているものを買うのは、少しためらいがあった。

 特に粉物や揚げ物に関しては、そう感じることが多かった。

 別に粉物や揚げ物が嫌いというわけではないけれど、どれも400円とか500円もするから、正直買おうにも買いづらい。だから、私はいつも買えるのはかき氷かスパボーぐらいなものである。奮発してもチョコバナナくらいなものだろうか。

 ちなみに生活が幾分楽になった今でも、こうしたものを買うのに少し抵抗がある。

 屋台をある程度見たあとは神社の方へと向かう。

 神社の参道には行灯にも似た無数の灯篭が並べられていた様が、壮観であった。人もあまりいないから、驚くほど静かだ。普通祭りとなると、神社の参道もにぎやかなのに。でも、それでいいのかもしれない。本来神事とか祭りの類の主役は人間ではなく、神様なのだから。そう考えてみると、浄闇にたくさんの灯篭が灯っているという落ち着いたスタイルの方が、神様も落ち着いていられるだろうから。


 祭りが終わったあとに待っていたのが体育祭だった。

 中学の年間予定表を見ていて、体育祭が8月30日や9月1日にあるのを見たときは、

「正気かよ!」

 といつも絶句していたものだ。体を動かすのにあまりに不適当な時期だったからである。

 熱さに弱い私のことなので、この体育祭で死んでしまうのではないか、とよく考えたものである。『るろうに剣心』の京都編に出てくる志々雄真実みたいな感じで、ずっと動き回って自分の身体の限界を超え、体から発火して、その火で丸焦げになって死んでしまう。そんな感じで、自分も動き回っていて限界を超え、どこかで暑さに耐えられなくなり、発火して死んでしまう。

 こうしたことから、体育祭を休もうかなと考えていた。無理はできない。

 だが、親が「休むな」というので、仕方なく行っていた。

 どこかで倒れてしまうのではないかとか考えていたが、幸い倒れることはなく、応援や競技に出られていた。

 応援や競技に出ていたといっても、何も役に立つことは無かった。みんな運動能力が高かったから、パワー、防御、スピード全てに劣る自分の役目はどこにも無かった。暑さのせいでかしこさも落ちていたので、普段以上に役立たずになっていた。

 あんな熱い中でもみんなよくあれだけ動き回れるな、と10年経った今でも思える。

 学年の7割が運動部であったのもあるので、暑さに慣れていたのもあるだろう。だが、それと同じくらいに「精神が肉体を凌駕していた」ということもありそうだ。暑さで体が音を上げていても、やらねば、という心が上回っていたから、あの酷暑の中でも物凄いパワーが出せたのだろう。

 なお、私は暑さで倒れそうになるのをこらえるので必死だった。やるやらない以前に、暑さで倒れるかどうかの方が一大事だったからだ。どこの軍が勝つとか負けるとかハッキリ言ってどうでもいい。大会の開会式が始まる前から心の中で、早く終わって欲しい、と一日千秋の思いで祈っていた。

 そうして拷問のような時間を何とかやり過ごし、結果発表を兼ねて行われる解散式をやって夕方になる。

 帰るころにはエネルギーが尽きて、何かをしようとかそんな気力が根こそぎ無くなっていた。そして家に帰って夕食を食べたあとすぐ寝ていた。

 体育祭が終わったあとも、灼熱は続いていく。そして9月の末くらいにやっと秋めいてくるといった感じだった。


 どこか遠くの観光地へ旅行したりとか、帰省したりといったことは何一つ無かった。夏休み明けにはすぐ体育祭があるなど、嫌なことばかりだった。だが、休みの日に学校へ行って何かしたり、友達と夏祭りに行ったりと、世間で言うところの夏らしいことは一通りやったのかなとは思う。


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