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【エッセイ】厄災2023

 2023年は、とても嫌な年だった。厄年だったからだ。

 厄年であった2023年は、散々な目にもたくさん遭った。いいことがあっても、それを打ち消すかのごとく、厄災が降りかかった。

 前厄であった去年もかなり酷かったが、本厄と万年厄年の合わさったハイパー厄年は、殊の外酷い。酷すぎる厄災群をここでは「厄災2023」とひとまとめにして話そうと思う。


 厄災2023は、元旦に始まった。ドアに足をぶつけて血豆ができたのだ。これが、厄災2023の始まりを告げる出来事だった。

 この出来事をきっかけに、次々と厄災が起き始めた。レジに並んでいたときに揚げシューマイを落としたり、交通事故になりかけたり。他にも様々な厄災があったが、本当に対処するのがしんどかった。

 2月の厄災はとても酷いものだったので、ここでは語ることができない。

 3月の厄災は、襲撃までされかけた隣との一騒動や、川越遠征中に雨の予報が出たことであろうか。

 厄災に次ぐ厄災。今年厄年の厄災で死ぬかもしれない。そう思った私は、遺書を書いた。

 遺書には、財産の分与をこうしてほしいとか、葬儀も法要も要らないと書いた。あと、生前のお気持ちも書いてある。

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 これでもかと言わんばかりに降り注ぐ厄災のおかげで、元々ボロボロであった私の精神は、さらにボロボロになっていった。


 4月中旬から、さらに厄災がヒートアップした。夏が始まったからだ。

 暑さに弱い私の季節感としては、1月が冬で、2月から4月の初めまでが春、4月中ごろから6月の中頃までが夏、6月末から10月までが灼熱、11月から年末までが秋といった感じだ。熱い時期が圧倒的に長いのだ。特にここ数年間はそう感じることが多い。

 だが、今年の夏は、本当に酷かった。桜の花が散った瞬間夏が始まったからだ。

 4月中旬に出かけていたときに、倒れそうになった。あまりに暑すぎて。汗もかなりかいた。本当に倒れて死ぬのではないかと思った。この日の最高気温は、25℃。4月にしてこの気温はあまりにも暑すぎる。

 5月はもっと酷かった。GWくらいに気温が30℃を超えたのだ。

「GWに30℃超え」

 この事実を知った私は、もう気軽に外出できる季節ではなくなったと判断した。もし外出したら、日射しと暑さでやられてしまう。だから、どこか行きたい場所があったら、25℃以下の日を選んで行くことにしていた。

 5月には出先で転んで左腕を打撲したり、今までに感じたことのない目の痒みで病院に通ったりもした。

 6月、7月、8月、9月といった灼熱は言うまでもない。この時期は厄年かそうでないかも関係なく体調を崩している。だが、今年は、本当に異常だった。6月中旬から30℃の日が続いていたし、7月はさも当然のように37℃とか38℃の日があった。

 7月のある日、どうしても出なければいけないことがあった。

 そのときの気温は、37℃。立っているのでやっとだった。

 外へ出てみると、強い日差しで目の前が真っ白だった。凄まじい熱気も感じる。少し歩くだけでも、毛穴から物凄い汗が流れ出てくる。500メートル歩くと息切れがしてくる。意識が混濁してくる。このとき私は死にかけた。

「暑い中でも頑張れ」

 灼熱の季節にこんなことを平然と言うニンゲンもいた。正直私は殺意を覚えた。熱さに弱い私にとって、灼熱の季節の日中外で何かをするというのは、自殺行為そのものに等しい。それをわかっていながら、平然とそんなことが言えるのは、ニンゲンとしてどうなのだろうか?

 とにかく、灼熱の季節は、生きているだけでも大変だった。


 10月以降の厄災は、悪夢を見たり、転んだり1日1回どこかをぶつけたり、異常に高い気温にやられてしまったりといったことだろうか。あと、愛用のカメラが壊れたり、スマホがトイレに落ちて使えなくなるといったこともあった。そんな小さなことが度重なって、何もかもが嫌になってしまった。今まで物理的な攻撃がメインだった厄災が、精神攻撃にシフトしていったのだ。当然、元気とか生きたいと思う気力も無くなっていった。


 厄災2023で毎日のように災厄に見舞われた結果、もう生きたくないという思いが、より強くなった。

 前々から、心も体もボロボロだったが、今年に入ってからさらにボロボロになった。

 同時に、もし神様がいたら、かなり性格の悪い奴だろうなと思った。私のように、頭も悪くて、厄災を弾き返せるメンタルやフィジカルの強さも無い生き物にばかり災厄をふりかけているのだから。それに、私は成長とか試練とか、そういうのも一切求めていない。求めているのは、平穏な生活だ。

 なのに、なぜ、神様は私を厄年の厄災いじめの対象に選んだのだろうか? よくわからない。もし、楽しいから、という理由で選んでいるのなら、本当にタチが悪い。

「神よ、本当にいい加減にしてくれ」

 本当にこう言ってやりたい。正直な気持ちを言えば、私はもう疲れた。まだ厄年が続くと考えると、本当に精神が崩壊してしまいそうだ。

 貯金、生きようとする気力、元気、体力、時間。今まで持っていたものを、私はこの厄年に全て無くしてしまった。もうこれ以上私に厄災を振りかけても、私から奪えるものは、ほとんど無い。そんなに私に厄災をふりかけたいのなら、一思いに殺してほしい。

 25歳以降の人生は全く考えていない。食べたいものも食べたし、行きたい場所にも行った、やりたいこともやった。苦労という苦労は、高校の時に散々した。高校以降の人生は余生と捉えて生きている。正直いつ死んでもいいと思っている。だから、厄災でさらに苦しむくらいなら、死んでしまった方がいい。どうしても生きなければいけないのなら、もう厄災も幸福もいらないので、平穏に生きていたい。

 もし仮に私に来年以降の人生があるのなら、平穏な人生にして欲しい。もう厄災とか苦労はいらない。いい加減もう疲れた。


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佐竹健
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