【エッセイ】武蔵(東京)①─東博の思い出 その1(『佐竹健のYouTube奮闘記(32)』)─
相模国で大庭城と鎌倉をめぐる旅をしたあと、地元東京へと戻った。
(やっと楽ができる)
今までの旅はかなりの長距離であった。ドアのボタンに戸惑ったり、電車で一時間待たされたりすることも、東京まで来ればない。そして、どこも行きなれた場所だから、どこを紹介しようかは、すぐに考え付くことができた。
(とうとう東京まで来たか)
常陸、下野、上野、相模。関八州のうちすでに半分を制覇した。現代の都道府県に直すと、茨城、栃木、群馬、神奈川を制覇した感じだ。
残りは令制国なら下総、上総、安房の三国、都道府県なら埼玉と千葉の2県。もう終わりが見えていると考えると、少し名残惜しい気持ちになってくる。
最初に訪れたのは上野。動物園とか博物館のある、あの上野である。
上野駅を行き交う人波を縫うようによけ、公園口の改札を出た。
公園口を出て少し歩くと、大理石でできた東博こと東京国立博物館の立派な建物が見えてきた。
贅沢な話だが、私にとって、東博は今まで行ってきたあらゆる博物館の中でも、一番好きな博物館だ。
縄文時代の火焔土器、古墳時代の埴輪の隊列、飛鳥・奈良時代の仏像や大陸からの渡来品、蒔絵や金箔が施された華美な平安時代の調度品、歴史を題材にした小説やドラマに登場するような太刀、大河ドラマで役者さんが来てそうな華美な甲冑。ここには何でもある。もちろん在りし日の王朝文化を思わせる絵巻物や、江戸時代の風景や美人、風俗を描いた浮世絵も。
だから、単純に学問としての歴史が好きな人から、私みたいに物語としての歴史が好きな人、彫刻や絵画といった芸術が好きな人も楽しめる。
東博に入ると、まず最初に仏像のコーナーがある。
仏像は闇の中で照明の光をうけ、何かしらのポーズを取っている。ある仏像は立って何かを睨みつけていたり、またある仏像は穏やかな表情で印相を組んでいたりといった具合で。
特に奥の方にある仏像の並びは、本当に迫力がある。
不動明王みたいな仏法を守護している明王の場合は強者の風格を、菩薩や如来系の場合は、思わず拝みたくなってしまいそうな神々しいオーラを放っている。やはり照明の力は偉大だ。
東博には、戦国から江戸時代の刀剣だけでなく、それ以前のものもある。戦国時代以前の刀剣は、主に鎌倉から南北朝時代のものが多い。
例を挙げると、相州正宗や長船長光だろう。他にも備前派や青江系の刀剣類もいくつかあった。
だが、東博が他の博物館と違うところは、平安時代に作られた刀があるということだ。有名どころだと、童子切安綱と獅子王、そして三日月宗近などだ。
童子切安綱は、源頼光が酒呑童子を斬ったとされる伝説を持つ刀剣。有名な所有者に、剣豪将軍と呼ばれた室町幕府13代将軍足利義輝がいるのだが、永禄の変の時に使用したとの言い伝えがある。
獅子王は、頼光の子孫頼政が、近衛天皇を苦しめる鵺という妖怪を退治した功で賜った太刀。所有者は美濃土岐家や赤松家など、転々としている。
平安時代に作られた刀剣は、鎌倉や南北朝時代に作られた刀剣と形状はほぼ同じだ。が、平安時代に作られたものには、明らかに違うものがある。それは、不気味さを伴った危険な美しさがある、ということだ。
くぐもった刀身の妖しげな輝き。近づいたもの全てを真っ二つにしてしまいそうな鋭い刃。長い間現世に形を留め、物によっては人の生き血を吸っている。不気味な輝きと全てを吸い込み、斬ってしまいそうな刃は、長い年月を経て宿った魂や、斬られたヒトの怨念のようなものが成せる業なのだろうか。
人の生き血云々を言ってしまえば、戦後以前のそれは、ほとんど吸っている可能性があるので何とも言えない。けれども、千年近くも現世に形を留めているから、刀自体に魂や意思が宿っていてもおかしくはなさそうだ。ましてや、童子切安綱、獅子王辺りには妖怪の絡んだ話があるからなおさらだ。
平安時代に作られた太刀の美しさは、オカルト的なものがある。けれども、その妖気が、およそ1000年の時を超えて人々を魅了する要素の一つであることは、言うまでもない。
少し奥の方に考古館がある。遺跡からの出土品をメインに展示しているところだ。
考古館には、埴輪の列がある。
そこには、ヒト型埴輪をはじめ、円筒埴輪、馬型埴輪など、埴輪と言える埴輪が規則正しく並べられている。もちろんここにあるものは、全て複製品なのだが。
東博へ立ち寄ると、私はいつも考古館にも立ち寄るので、この埴輪の列を見ると、
「迫力があるな」
と思う。
埴輪を一つ置いても、大して迫力というものがない。以前動画の企画で作った埴輪が私の家にはあるが、一つだけを置いていても、寂しいだけだった。2つ、3つ揃えても大して変わらない。
けれども、たくさん集まると圧がすごい。
複製で、ある程度の数を並べただけでもこれだから、古墳にあったとされる埴輪の列は、もっとすごいものであったのだろう。古墳がたくさんある和泉や大和、北九州にある巨大古墳の上にあるそれは、勇壮なものであったのは想像に難くない。
東博については語りたいことがたくさんあるので、特別展や法隆寺展の思い出はまたの機会に。
(続く)
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