鴨長明がM-1 2021の審査員だったらロングコートダディに100点?
時空を超えるロングコートダディ
M-1から2か月以上たちますが、いまだにときどきロングコートダディ(堂前さんと兎さん)のネタを見返しています。
「生まれ変わるなら強くて敵無しのワニがいい」という兎さんが肉うどんに転生してしまう話。
自分はなぜこのネタにこんなに惹かれるのだろう?と思っていましたが、わかりました。
「これは令和の発心集だ!」と。
800年前の仏教説話
鴨長明は『方丈記』で有名ですが、仏教説話も書き溜めていて、それが『発心集』。1216年頃の成立と見られています。第八巻の13番目は、こんな話。
意訳
とある聖(偉い僧侶)が船に乗って琵琶湖を通っていたとき、網を打つ船が大きな鯉を獲った。まだ生きていてバタバタしているのを聖はあわれに思い、着ていた小袖を脱いで、鯉を買い取り、湖に放してやった。
すばらしい善行を積んだ……と思っていると、その夜の夢に白い狩衣を着た翁が一人、自分を訪ねてきた。ひどく恨んでいる様子なので、不思議に思って理由を聞くと、「私は昼間、網にかかって命を終えようとしていた鯉です。聖のなさったことが残念でございますので、そのことを申し上げようとここにおります」と言う。聖は「納得がいかない。喜んでお礼をおっしゃるべきところを、それどころか、お恨み言とは。じつに理不尽である」と返す。翁は「それはそうでございます。しかし、私は魚の身に生まれ、悟りを得る機会がありませんでした。この湖の底で長い年月を過ごしてきました。それがたまたま賀茂祭の供え物になり、それをご縁として、魚に生まれた畜生道の苦しみから脱しよう!としておりましたのに、聖様が小賢しいことをなさいますから、また畜生として生きる日々を長く延ばしてしまわれたのです」と言った……という夢を見たそうだ。
ロングコートダディのネタと見事にリンクしています。
早死には幸せ?
肉うどんになった兎さんも、すぐにお客に食べられ、天界に戻ってこられたことを「回転の速い店だったので」と喜んでいましたからね。
二度目の肉うどん転生のときも、冷凍食品でしたが、すぐにレンジで調理されて一安心。「天寿、全うしてきました」と言う兎さんが誇らしげに見えました。
その後は、なんと、ワゴンRに転生することに。天界の男(堂前さん)から「45万キロ走ります」と言われ、「天寿、長すぎるやろ!」と兎さんがキレたのも当然です。彼は今すぐワニになりたいのだから。
発心集の聖は、45万キロも走ったから廃車にしようとしていたオーナーに「レストアすればまだ乗れますよ」とアドバイスするようなものですね。
鴨長明がM-1ファイナルに審査員でいたら、「これは絶対『発心集』に載せたい」と満点をつけたことでしょう。
私はいやなことがあったとき、公園で池を見下ろして、のんびり泳いでいる鯉や浮かんでいるアメンボに「君らはいいなぁ」なんて思っていましたが、彼らは彼らで「どうしたらこの苦しみからぬけて、せめて人間になれるのか?」と悶々としているのかもしれませんね。
道の真ん中を歩いていたクワガタムシを、道端の草の上に移してあげたこともあるなぁ。恨まれてしまっていたのかも。
今後、このようなことがあったとき、助けるべきか、助けざるべきか……悩ましいです。
話の主役が鯉である意味
それにしても、発心集のこの話の主役が鯉であるのは偶然なのでしょうか? だって、このときのM-1で優勝したのは錦鯉。
もう一度、発心集を読んでみます。
狩衣は、
つまり、白狩衣は、今なら白いスーツ。
まさに、錦鯉の長谷川さんじゃないですか!
この鯉、もしかして長谷川さんの前世?
「湖の底にて、多くの年を積めり」も「湖」を芸能界と見れば、まんま当てはまりますよ。
鴨長明は下賀茂神社の神官の子ということもあって、今頃、天界でお笑いの神と親しくなさっているのではないだろうか。
方丈記冒頭の
は、私にはお笑いの世界のことを言っているように思えます。
去年の師走の満月の夜、お笑いの神様は、誰を優勝させようか?と考えたとき、ロングコートダディのネタで『発心集』を思い出し、鯉を水の底から解脱させてあげようと思ったんでしょうね。
『方丈記』を書いた鴨長明ですから、
「方丈(四畳半ほどの広さ)暮らしの芸人が優勝すると盛り上がりますよ」とアドバイスしたのかも……。
そんな妄想も楽しませてくれるM-1です。